「エイリアン、故郷に帰る」の巻(48) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(47)

 

 

 

 

 

「体から管を取り外します。

たくさん出血しますので、

ここから出て、外でお待ちください。」

 

 

 

 

 

 

臨終を告げたドクターに、

ICUからの退出を促された。

 

 

 

 

 

師匠の体には、何本もの

管が通されていた。

 

ベッドの周辺には、

いろんな機械が置かれていて

手狭だっただろうし、

 

私たちがいると、処置に

手間取ってしまうのだろう。

 

 

それに。

 

大量に出血する姿を

家族には見せない方がいいとの

配慮もあったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

死んでもまだ

出血するなんて...

 

 

 

 

 

 

 

痛々しくて

仕方がなかった。

 

 

 

ただ。

 

それにも増して

痛々しかったのは、

 

臨終が告げられ、

バイタルサインが

動きを止めた後も、

 

喉に取り付けられたチューブが、

先生に呼吸をさせていたことだった。

 

 

濁音の混ざった機械音と共に

酸素が喉から出入りする度に、

 

師匠の首は上下に

突き動かされていた。

 

 

 

 

死んでもなお、これでもかと

揺さぶられているようにしか、

私には見えなかった。

 

 

 

 

先生の体は、すでに痛みや

苦しみから解放されて

いたのだろうけれど。

 

あまりにもやるせなく。

 

どうにもこうにも

直視するに堪えない

光景だった。

 

 

 

 

でも。

それでも。

 

私は先生から目を逸らす

ことができなかった。

 

 

 

 

 

あの時のことは、

今も忘れられない。

 

 

 

 

 

恐らく。

 

先生の寿命は、ドクターが

臨終を告げるまでもなく、

 

疾うに尽きていたのでは

ないだろうか。

 

 

 

 

 

ふと思い出した。

 

鍼灸の専門学校時代、

解剖学の教授が授業で

話していたことを。

 

 

 

 

 

 

 

「西洋医学というのは、

延命するのが前提なんです。」

 

 

 

 

 

 

 

そうだった。

 

患者をできる限り

長く生かすというのが

前提の医学だった。

 

 

 

そして。

私もそれを望んだ。

 

というより。

それに縋った。

 

 

 

 

 

その結果がこれだ。

 

 

先生は、静かに穏やかに

死ぬことすらできなかった。

 

私の先生への執着が、

それを許さなかった。

 

 

 

 

 

本当に馬鹿だった。

 

 

 

 

 

私は師匠の尊厳を

奪ってしまった。

 

 

 

 

 

若くて。

元気で。

健康で。

 

 

 

 

それはそれで

結構なことだが。

 

こういったことには、

人生経験の浅さからくる

脳天気の影が付きまとう。

 

 

当時の私のように。

 

 

 

 

 

反面。

 

衰え。

弱さ。

痛み。

共感。

 

 

 

 

 

あと数年で五十路を

迎える今の私なら。

 

 

今の私なら。

 

ああ。

今の私なら。

 

 

きっと。

潔く手放せた。

 

涙が枯れるまで

泣いた後。

 

きっと。

諦められたはずだ。

 

 

 

 

 

 

先生。

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

先生が亡くなった後。

 

私はもう、このブログは

辞めようと思っていた。

 

 

 

 

ヘッダーにある

セピア色の写真は、

 

師匠の兵役時代の身分証明書に

貼られていたもので、

私の宝物だ。

 

 

 

 

 

 

もし、うちが火事になったら、

この写真だけは持って逃げる。

 

 

 

 

 

 

そう決めていた写真を

見ることすら辛かったから、

 

もう続けることは

できないと思っていた。

 

 

 

 

 

 

ところが。

 

先生が亡くなって

1年半を過ぎた頃。

 

 

ある日。

 

台所に

立っていた時。

 

 

 

 

 

 

 

 

書かなければいけない

 

 

 

 

 

 

 

 

突然、こう思った。

 

 

 

 

そして。

 

書くのは、先生の入院から

亡くなった後、

 

現在に至るまでの

様々な経緯だと感じた。

 

 

 

 

ただ。

 

どうして書かなければ

いけないと思ったのか。

 

その明確な理由は、

自分でも未だに分からない。

 

 

 

 

それに。

 

ただ書くだけなら、

わざわざブログを使わないで、

ノートにでも認めればいい。

 

 

 

 

でも。

 

それは無理なのだと、

すぐに分かった。

 

 

 

 

先生を亡くしたことは、

私のこれまでの人生の中で

一番辛い経験だ。

 

 

毎日が綱渡りのようだった

あの日々の中で

湧き上がって来た感情を

 

ひとつひとつ

もう一度、あるいは何度も

 

丹念に掘り起こして

なぞらなければならない。

 

 

 

 

 

だから。

書きたくなかった。

 

私には、自分を痛めつけて

悦ぶ趣味はない。

 

 

 

 

 

実際。

 

一連の記事を書きながら

何度泣いたか数え切れない。

 

 

自宅で。

ファミレスで。

ミスドで。

 

 

時には、鼻水を垂らしながら。

時には、歯を食いしばりながら。

 

 

私のことなぞ誰も

見てはいないだろうが、

 

たとえ人目があっても

なくても同じこと。

 

涙は止まらない。

 

 

 

 

 

 

つまり。

 

 

 

 

書かなければいけない

 

 

 

 

この衝動に忠実に従って

最後まで書き上げようとすれば、

 

自分が書いたものを

人目に晒すでもして、

 

後戻りできないように

するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

第1話目をアップする時には、

マウスを持つ手が震えた。

 

投稿ボタンを

クリックする指も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これでもう、

逃げられなくなる

 

 

 

 

 

 

 

こう思った。

 

 

 

 

 

 

 

分かっていました。

 

 

 

このブログを訪れて

くださる方たちは、きっと。

 

明るい記事を求めて

いらっしゃるのだろうと。

 

 

 

 

皆さん、それぞれに。

 

日々、色んなことが

おありだと思うんです。

 

それが生きている証とはいえ、

楽しいことばかりではないと。

 

 

 

 

 

だから、せめて。

 

他の誰かのブログを読むときは、

心が軽くなるものがいいと

お考えになるのは、

極々自然で当然のこと。

 

 

 

 

 

 

 

ですから。

よく分かっていました。

 

 

 

 

 

こんな辛気臭い話に

付き合ってられるか。

 

連れ合いが入院して

辛いんだろうけど、

 

それはなにも、世の中で

あんただけじゃない。

 

世界中どこにでも

転がってる話。

 

そんなに自分が可哀想?

 

気が滅入るだけで、

何の役にも立たん。

 

 

 

 

 

 

少なからず。

 

こういったお考えの方が

いるのであろうことも。

 

 

 

 

 

読者さんの登録数が、

減っていきましたから。

 

 

 

 

 

それでも。

 

辞めるわけには

いかなかった。

 

意地でも。

 

 

 

私は、あの日の自分の直感を

裏切るわけにはいかなかった。

 

どうしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の私が思うこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

パパって、最期は

どんなふうだったんだろう...

 

 

 

 

 

 

 

いつの日か。

 

子供たちが、こう思う日が

来るかもしれない。

 

 

こう思った子供たちが、

このブログを訪問する日が

来るかもしれない。

 

 

 

 

もしかしたら。

 

私は、その日のために

書いてきたのかもしれない。

 

 

 

 

だとすれば。

 

あの日の台所での

インスピレーションに

感謝しなければならない。

 

 

 

 

 

私が死んだ後でも

構わない。

 

 

私の遺言書みたいな

ものだと思って、

 

子供たちがこのブログを

覗いてくれたら、

こんなに嬉しいことはない。

 

 

 

 

 

長男

次男

 

先生の子供たち

 

 

 

 

 

母ちゃんが死んだ後、

葬式を出してくれるなら。

 

 

どうか。

 

あのセピア色のパパの写真を

母ちゃんの棺に入れてください。

 

 

 

 

 

あとは何もいらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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