先生を乗せたストレッチャーが
向かった先は、病院の地下だった。
てっきり。
安置所に行くの
だろうと思ったら。
いや、確かに。
安置所でも
あるのだろうが。
そこは、
葬儀屋だった。
入口には、葬儀屋の
名前が印刷された
看板が掲げられている。
台湾の病院の地下には、
葬儀屋が入っているのか...
これには驚いた。
今ならば。
これは、ただ単に。
台湾と日本の風習の違い
なのだろうと理解できるのだが。
当時は、
病院の地下に葬儀屋が
存在していることを知り、
その事実に面食らって
しまった上、
ほんのついさっき、
師匠を亡くしたばかり
だったため、
亡くなる=即葬儀
この図式というか、
こうなるのであろう展開が、
日本で生まれ育った私には
あまりに性急すぎて、
遺族に対して無神経なのでは
ないかと感じたのだ。
「はいはい。死んじゃったのね?
それじゃあ、今すぐ葬儀の準備に
取り掛かりましょう!」
なんだか。
こう言われている
ような気がして、
無性に腹が立った。
「病院の地下にあるから、手配する
手間もかからなくて便利でしょ?」
こうも言われているような
気がして、怒りで震えた。
これを合理的だと
考えろとでも言うのか。
亡くなってまだ1時間
経つかどうかなのに。
もう葬儀の算段かよ。
先生の体は商品かよ。
死んだ
死んだ
死んだ
ご丁寧に。
ろくに間髪も入れずに
突きつけやがって。
これじゃあ。
先生が亡くなったことを
心が受け入れる暇さえない。
と。
こんな悶々とした記憶を
ずっと抱えていたのだが。
「百日告別」
先日、アマゾンプライムで
観た台湾の映画。
妊娠している妻を
交通事故で亡くした男性と、
同じ事故で婚約者を
亡くした女性の物語。
冒頭のシーン。
病院のエレベーターの
中だろう。
ストレッチャーの上で、
白いシーツを被せられて
横たわる婚約者。
その体に触れようと
彼女が手を伸ばすと、
「触らないで。
成仏できなくなる」
婚約者の母親が、
泣きながら
それを遮った。
そういうことだったのか...
今月の末に
程近い頃。
師匠が亡くなってから
丸8年を迎えるが。
やっと。
あの時のことが、
腑に落ちた。
私も触れようとした。
ストレッチャーの上で
横たわる師匠に。
彼女と同じように。
「不行(ダメよ)」
義妹のバオメイに
こう告げられ、
私も手を止めた。
本能的に。
これがここでの
作法なのだろうと思い、
黙って従った。
そう言えば。
「お骨は、うちの中に
入れちゃダメよ」
葬儀の前後
いつだったか。
義姉は、
こう言っていた。
亡くなった人の体とは
一線を画す。
恐らく、これが台湾の
風習なのだろう。
映画のセリフから
すれば、きっと。
それが亡くなった人のためであり、
供養だと考えるんじゃないだろうか。
もしくは。
遺された人たちのため
でもあるのか。
疑問に思っていたのなら。
知り合いの台湾の人に
訊いてみれば良かったの
だろうが。
そうすると、どうしても。
師匠が亡くなった時分や、
葬儀のことを思い出してしまう。
それが嫌で、誰にも
訊ねたことはなかった。
きっと。
台湾では、亡くなった人を
自宅へ連れて帰ることは
しないのだろう。
実際。
師匠が病院から帰宅する
ことはなかった。
ならば。
病院の地下に葬儀屋が
入っている理由も頷ける。
大切な人を亡くした時の気持ちは、
どこの国の人も、みんな同じはず。
人間なのだから。
ただ。
弔い方が違うだけ。
あの時に覚えた、
孤独
怒り
悔しさ
わだかまり
やるせなさ
みんな、みんな。
どこかへ
流れて行った。
さらさらと。
有難いことだ。
どれもこれも。
抱えて生きていくには、
重た過ぎるから。
もし。
先生が日本で
亡くなっていたら。
うちに連れて帰って。
畳の上に敷いた布団に
先生の体を横たえて。
先生の顔を見ながら、
思い出話をして。
先生の頬に触れ。
先生の髪を撫で。
一緒に暮らした家の中で、
ゆっくりと時間をかけて、
先生が亡くなったことを
受け入れただろう。
子供たちは
どうしただろう。
畳の上で横たわる父親と、
きちんと対面できただろうか。
あの頃。
まだ幼かった
子供たち。
できたかもしれないし。
できなかったかもしれない。
どちらでもいい。
いずれにしても、
正解があるわけではない。
そう思う。
長男は、すでにうちを出て
暮らしているから、
次男と娘にしか
伝えたことがないのだが。
母ちゃんが死んだ後、
葬式を出してくれるなら。
直葬にしてください。
こうお願いしてある。
「え? 葬式出さなならんの? 面倒くさ!」
次男。
こいつは。
泣かす。
飯抜き。
まあ。
とにかく。
母ちゃんはね。
立派な葬式よりも。
たとえば。
あなたたちが、
ハーゲンダッツを
食べている時。
「ああ。そういえば、これ。
母ちゃん、好きやったなー」
あなたたちがスーパーで
買い物をしている時。
「ああ。そういえば、これ。
母ちゃんに、買ってくれって
ねだったなー」
あなたたちが
台湾を訪れた際。
「ああ。そういえば、この道。
パパと母ちゃんと一緒に歩いたなー」
何気ない瞬間でいい。
日常生活の中で、
こんなふうに時折。
パパや母ちゃんのことを
思い出してもらえたら。
それで十分。