うちから車で
15分くらい。
まっすぐ続く道路沿いに
流れる川がある。
距離にして、2~3km
あるだろうか。
川の端から端まで、
両側の土手には
ずらっと桜が植えられ、
花見の季節には、圧巻の
美しさを見せてくれる。
その後。
6月に入ると、今度は
その川で蛍が舞う。
今月頭の週末。
次男と娘を連れて、
見に行って来た。
街灯もない
真っ暗な場所だ。
娘の掌の上。
逃げることもなく、
光ってくれる。
今年の大発見。
それは!
川や土手だけじゃなく、
近くの草むらでも
蛍がたくさん光っていたこと。
何年か前に蛍を
見に行った時には、
車のフロントガラスに
蛍が一匹くっついたまま
うちまで一緒に帰って来た。
あれから、あの蛍は
どうしただろう...
なんだか悪いことをしたような
気がして、今も気になっている。
そっとガラスから持ち上げて、
川へと放してから、帰宅すれば
よかったんじゃないだろうか。
仲間と離れてひとりだけ
見知らぬ土地へやってきて、
大丈夫だっただろうか...
まあ。
とにかく。
昨年同様。
今年も子供たちと一緒に
蛍を見に行けたことが
嬉しかった。
それに、何より。
真っ暗な場所でこそ
その美しさを発揮する
生き物がこの世にいることに、
やっぱり希望を感じた。
まるで、穏やかな
花火のようだ。
それにしても。
蛍を見つける度に、
子供の頃のように
胸が躍るのはどうしてだろう。
たとえ。
仄暗い、
淡い光であっても。
暗いところで
光を見つけることに、
原始的で本能的な喜びを
見出しているのかもしれない。
この次の週。
父が入院した。
あの夜。
蛍を見に行った川辺は、
ちょうど。
父の入院前後の
私の心のようなもの。
真っ暗で。
左も右も
前も後も
分からない。
それこそ。
川に落ちて、足を取られて
しまうかもしれない。
挙句。
ずぶ濡れになって
しまうかもしれない。
でも。
だからこそ。
この世には、
蛍がいるのだろう。
真っ暗な世界の中にも、
必ず灯る光があることを
自然界が教えてくれる。
今年の蛍も。
それはそれは
美しかった。
そう思えるのだから、
大丈夫。
顔を上げて。
前を向いて。
目を開いて。
耳を澄まし。
天を仰いで。
いちに。
いちに。
歩いて行こう。
きっと。
私の目に映る蛍は
来年も美しいはずだ。