ひだまり 日常生活 -20ページ目

ひだまり 日常生活

日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                

内にある世の中に対する不満や忸怩たる思いが入り混じってどうすればよいのかわからなくなった。ならば僅かな時間でも世の中への理解(寛容を含まない)に向けようと試みた矢先、とある一文につまずいた。

「世界を理解することは、世界に等しいことである。本質的なことは人生の苛烈さであって・・・」

極論とはいえ理解の意を問われた気がした。未来には何が起こるかわからないという広い意味では人生は苛烈に違いないが、罪なく処せられたり、戦火に巻き込まれるような事態となると私の状況は苛烈とはいえない。

自己が世界と対立している世界観と
自己を世界の一部と見なしている世界観
世界を組織し形式化しようとする意志や
世界のみならず自然までも支配しようとする意志
そして、その善し悪しは別として
世界をありのままに受けとり順応しようとする精神

私は自己が自然の一部と思えても、世界とは対立している。
果たして私の抱いている世界観は戦後洗脳された世界観なのだろうか。だとすれば元来のものは如何なるものか。

語り継がれる人生、伝えられ遺されたもの、美や建築物、そして文学の中で、私はどのような日本古来の世界観と出会うのだろう。



この秋の霜が降りる前、私は初めて植えたさつま芋を恐る恐る掘り起こした。店頭に並んでいるようなものが4、5個なった株もあれば、小芋ばかりのもの、かぼちゃみたいな大きい芋がひとつだけなったものなど、出来はまちまちだった。元々の苗の状態か植え方によるのか、私は春に向けて不揃いになった原因を探っている。

結果を見て原因を考えることは次へ繋がり進歩となる。しかし、最近は何でも機械的な因果関係の思考方法で不確実な要素が多いことでも原因を特定しようとする傾向があるのではないだろうか。

このほど知ったところによると、人は因果関係を考える時は、時間に関係なく事物を「現象」として観ているらしい。これに対し、事物を「出来事」として観る場合は時間が深く関係しているという。※※

ところで、昨今の自己啓発本に因果の法則を引き合いに出して、事象の原因は心にあると主張しているものを見受ける。原因である心をうまく働かせることによって成功したり奇跡が起こると、あたかも「出来事」が起こるかのように書かれているところにどうも引っ掛かりを感じる。

「現象」を「出来事」にすりかえたかのような誇張した表現。
これは注目を集めて本を売りたいが為のように思われる。

「外の世界は変えられないが自分や自分の心は変えられる」と、さも今気づいたかのように言われているが、これと同じようなことは誰もが知る哲学者がとうの昔に語っていたのに。※

考えてみると、私は結果とその原因ばかりにとらわれているような気がする。そんなとらわれより、今まさに自分の身に起こる偶然、出会い、感動、驚き、発見などの「出来事」を映像さながらの鮮明さで記憶に残しておきたい。

人は他愛もないことを考えていると笑うかもしれない。

けれども、出会い、感動、発見の体験とその記憶は私にとって、かけがえのない、星々の輝きのように思われてならない。





※『方法序説』
「・・・常に運命をねじふせようとするより自分自身を抑えるようにして、世界の秩序を変えるより自分の欲望を変えるようにしよう・・・」

 縦書き文庫:『方法序説』 ルネ・デカルト  38/118 より引用
    http://tb.antiscroll.com/novels/library/2085   




11月25日追記
※※「現象」として観るとき、時間に関係する場合もあるが、それは繰り返しが可能で便宜的な観方の時間を指し、「出来事」の場合は一方向にしか進まない時間を意味する。


今朝、部屋にコオロギが迷い込んでいた。山に映る別の山影やすすきが風に吹かれる情景を見て、私は10月が終わりに近づいてきたことを知る。街に住んでいた頃、この時期を感じたのは、行き交う人々の服装と店頭のディスプレイだったか。何とも人工的な季節感だ。


私たちはカレンダーやメディアの情報がなければ、今日が何日かも分からない。それだけ情報に頼りきっている。情報がなければ何を頼りに判断をするか考えてみた。私は自分自身の知覚と記憶ではないかと思う。輝く木の葉の色合いが、あの日見たものと同じかどうか。さかりを過ぎたリンドウや野薔薇の実の赤さなど、自然から季節を知ることは感動を伴う。


ところで、最近はネットで分からない言葉に出会うとすぐ検索して調べる。「なるほど」と思うと、次の瞬間には忘れてしまう。私たちは知覚や記憶の能力をあまり働かせずに過ごしているのではないだろうか。


情報が不確かなとき、または情報がないとき、頼れるのは自分自身の知覚と記憶による判断ではないかと思う。しかし、それが正しいとは限らない。また、情報の信憑性を見極める能力も大切である。けれども、私はこの自分に与えられた知覚と記憶の能力を大切にしたいと思う。












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お読みいただきまして、ありがとうございます。
しばらくの間、お休みする予定です。
いずれ再開しますので、
その時は、よろしくお願い致します。











思うに、日本でフランス料理は「料理天国」というテレビ番組の紹介で始まり、経済発展と共に広まっていった。全盛期から衰退にかけては坂井宏行氏が活躍した「料理の鉄人」の頃になるだろうか。贅沢極まり、バブル崩壊後ほぼ終末を迎えたといえる。私がフランス料理店で働き始めたのは、終末後ということになる。


それにもかかわらず、私の勤めていたフランス料理店はその後どこへ向かったらよいか分からなかったようだ。シェフはいつまでも、オテル・ドゥ・ミクニやジャン・ムーランといった有名店の料理を追い求め、オーナーはソムリエの資格を取得し、店に収まりきらないワインの在庫を抱えていた。ヴィンテージものを注文されたときには自宅のワインセラーまで取りに行く始末であった。終末後どこへ向かうのか難しいのは他の分野でも同様かもしれない。


もともと、私が専門学校へ入ったのは菓子作りが好きだったからではなく、『舌の世界史』など辻静雄氏の著書に感銘を受けたからである。だから、初めは料理や菓子を多様性のある食文化ととらえていたはずなのだ。それなのに、いつしか有名店や高級店、技術の高いことを礼讃する判断基準になり、ついには、この優劣の物差だけになってしまった。正確に言うと、最近行き詰ってようやくこの物差しか持っていないことに気づいた。


私は今、客数が大幅に変動する観光地にいる。ここで高級志向や技術の高さを求めても採算が合わない。この環境だからこそ考え出された菓子を目指すべきだろう。それが食文化の発展というものに違いない。技術は目的達成の手段に過ぎないのに、いつまでも技術の高さを追って、それを拠り所とする自分がいる。これは職人気質の自負心からくるのか、それとも哀愁からだろうか。


野草の咲く環境に胡蝶蘭が咲きはしないのに、いつまで私は胡蝶蘭を追うのだろう。















Y先生の教育方針は、生徒に好きな本を読ませて読書感想文を書かせるというものであった。本の選び方を知らなかった私が偶然手にしたのは、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される・・」の書き出しで有名な『草枕』だった。私は主人公の心情に重きを置いて感想文を書いた。すると、Y先生はそれを絶賛した。

思えばこのときからである。私に対するY先生の態度が変化したのは。それからというもの、私はどの科目でも何をしても褒められるようになり、仕舞には特別扱いされるようになった。それは私が卒業するまで続いた。いま振り返ると、私はこの頃だけが唯一、自分を肯定できた時期のように思う。

10年ほど経ったある日、満員の通勤電車で私の前に白髪混じりの中年男性が立っていた。その人は、まぎれもなくY先生だった。私の記憶にある長髪で芸術家のような風貌とは随分変わっていた。教員を辞めて会社勤めをしているらしい。
「この歳で新しい環境に慣れるのはしんどくて・・」と先生は弱音を吐いた。私はその弱音を受け止めるには若過ぎて、何と応えたらよいか分からなかった。私は先生が教員を辞めた理由も、私を特別扱いした理由も聞けずに先生と別れた。

それ以降、Y先生とは会っていない。その後、ある人からY先生は画家になりたかったようだと聞いた。『草枕』の主人公も画家である。かつて、私を褒めたのは、「画家の心情を察した私」で「私」ではなかったのだ。私はなんだか寂しくなった。






尊敬する人から褒められたり、認められると、私のように短絡的な思考の持ち主は自分は正しいと思いがちである。しかし、自分の意見や判断が妥当か否かは、ひとつひとつの事柄で、その根拠を探して客観的に観察しなければならない。私は未だ洞察力が不十分なので、すぐ誰かに意見を求めたくなる。自分で考えもせず、人に意見を求めることは判断を放棄することに等しい。この責任逃れの態度こそが、尊敬する人の意見を鵜呑みにして傾倒してしまう原因ではないだろうか。考えが行き詰ると、私はしばしば傾倒してしまいたくなることがある。ただ、いまはそれをどうにか踏みとどまっている。