ひだまり 日常生活 -19ページ目
先日、久しぶりにAさんとお会いした。Aさんは伝統工芸師であると同時に現代美術も手がけておられ、現代美術の作品は日展に幾度も入選し、数年前には特選にも輝いた。Aさんは文化遺産の修復などをされているが、それら行政からの仕事は不定期で安定していないとのことである。その合間に、Aさんの作品を高く評価している方々から依頼されるものを製作しておられる。
先日の話では、サブカルチャーの領域も作る気構えがあるとおっしゃっていた。伝統工芸の衰退についても話した。後継者不足はいうまでもなく、伝統工芸の組合員数が激減していて、行政は想像以上に文化に対して認識が浅いようである。そういう私も近頃、文化について考えはじめたばかりなのだが。
日本の伝統である「芸」。それは「私」「個性」を没するものであり、その対極には「私」「個性」を主張する現代美術(芸術)があるという。※ 「没」と「主張」の対極を手がけるAさん。その作品に対する柔軟性は想像を超える。けれども、もしかすると、その対極によって均衡が保たれているのかもしれない。
私たちは伝統工芸の存続をどのように考えればよいのだろうか。結果として、その道の人々に負担を強いているならば、私たちは問題から目を逸らせているのかもしれない。私はこのごろ伝統技術そのものの大切さとともに、学びの姿勢の重要性に気づきはじめた。さらには、文献や映像では伝えきれない感覚や観念。それは、ひとたび失われると取り戻すことができない私たちの貴重な共有財産のように思う。
人(私)は苦しいとき、自分の過去の経験を振り返って対処しようとする。わからない時は経験した人にたずねる。それでも、わからないときは、古人にたずねようとするのではないだろうか。本気でたずねるとき、明文化されたものだけでなく、背景や行間、さらには抽象的なものにも目を向けはしないか。
彼らは私たちに何を語りかけてくれるのだろう。

※参考箇所
「・・・日本の(中略)「芸」とは「私」とか「個性」とかいうものの抹殺のうえに立った完成である。・・・」
=抜粋p.137 =
「・・・「芸」に屈折させられた「芸術」はすでに西洋とは無縁なことになり、一方「芸術」という観念のなかにとりこまれた「芸」はすでに感受性から根こぎにされたという意味で「芸」ではなくなっている(中略)・・。それほど西洋と東洋の距離は遠い。・・」
=抜粋p.138~139=
『「芸」と「芸術」』
~『文学と私・戦後と私』~ 江藤 淳 新潮文庫
人はなぜ詩や文に抑揚やリズムをつけるのだろうか。
言語の起源が動物の鳴き声だとすると、言葉の根底に抑揚やリズムがあるのは当然で、それは言葉そのものよりも意識の奥底へと作用するのかもしれない。
キャッチコピーやスローガンには、印象づけることを意図して抑揚がつけられている。一方で、普段私たちが読み書きする文は情報の内容に重きを置いているためか平面的である。
同じリズムの繰り返し。それは次に来るであろう音やタイミングに見当がつき、きたるべき「未来」が予想できるため、人に何らかの安心をもたらすのかもしれない。
美しい抑揚とリズムを伴った文体。それは空間的な広がりと言葉では伝えきれない背景を表現しているようで、私は流れるような文体に心が澄んでいく感覚を覚える。
東京オリンピックの開催が決定してからというもの、「おもてなし」という言葉が耳ざわりで仕方がない。私が個人的に理想とする「おもてなし」とは、お客様をよく観察して、その場の状況に応じて接することで、それは、たやすく体得できるものではない。
他の産業同様、サービス業も人に負担が強いられている。機械は壊れると修理代がかさむので大切にされ、逆に人は消耗品のように扱われる。この現状では、お客様を観る時間も精神的余裕もない。うわべの笑顔や形式だけの接客を「おもてなし」と呼べるだろうか。もっとも、「おもてなし」と主張すること自体、その精神から外れている。
こちらはおよそ50年前、つまり前回の東京オリンピックのころに執筆されたものである。
「・・・東京の水不足をこういう(民族の持続の根本にある、ある重大な価値が枯渇した▽)観点からみることのできた「知識人」はみあたらなかった。それどころか、彼らは、水も出ない都会では外国からくるお客に対してはずかしいというようないい方でこれ(都の無策無能▽)を「批判」したのである。今日の「知識人」が、日本人を日本人にしている価値に盲目で、ものごとを「外人」の基準でしか判断できなくなっていることを、これほど端的に示している例はない。・・・」※
こう指摘され50年が経過した今、ものごとを外の基準でしか判断できなくなっている体質の深刻さたるや如何ほどだろう。本来のおもてなしができない労働環境にありながら、「おもてなし」をあからさまに主張するという、日本人の感性とかけ離れた感覚。さらには「感動を与える、勇気をもらう」にみられる主体が逆になった言葉の表現も根本は同じように思われる。私はこれらに対して違和感を通り越したものを覚える。
※ 『文学と私・戦後と私』 江藤 淳 新潮文庫
『歴史と伝統』 p.108 より抜粋
▽ 引用者補足:引用箇所 p.101 ・ p.99
今年の夏、ブロガーさんの影響で数学者の岡潔(おかきよし)と小林秀雄の対談『人間の建設』に興味を持った。対談だけの中古の単行本と同じく中古で少し値がはる作品集(小林秀雄全作品 25)のどちらにしようか迷ったが、単行本を選ぶと二度と作品集にある他のものは読まないかもしれないと思い、エイッと作品集を選んだ。私はこれを気に入って何度もページをめくっている。
この本には、『常識について』というデカルトの人物評のような随筆も載っていて、私が最近デカルトを引用しているのは、このせいである。人や作品を評することで、こうも人を魅了するとは不思議なものだと感じた。
先日、私は初めて真剣にある本のレビューを書いた。お世辞でなく、等身大に、責任を持って、しかもレビューを読んだ人が興味を持つように書くには相当なエネルギーを要した。ところで、どうも小林秀雄の文章を読むと頭にモヤモヤしたものが残る気がする。しばらくの間、このモヤモヤはいったい何だろうと考えていた。するとある日、ひょんなことから坂口安吾の随筆集をめくっていたら、『教祖の文学-小林秀雄論-』が偶然目にはいった。確かこれは二年ほど前に読んだはずだが、小林秀雄に対するモヤモヤを抱えたまま見返してみると、これをすっきりさせてくれることを坂口安吾が書いていた。
「・・私が全然あべこべなことを思いこんでいたのは、私が甚だ軽率な読書家で、小林の文章にだまされて心眼を狂わせていたからに外ならない。・・(中略)・・小林は独断先生の如くだけれども、本当は公式的な正統派なんだと私はその時から思っていた。・・」※1
「・・現在こうだから次にはこうやるだろういう必然の道筋は生きた人間にはない。死んだ人間だって生きている時はそうだったのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などというものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。・・」※2 そのうえで、坂口安吾は小林秀雄を教祖と称し「教祖は本質的に鑑定人だ」※3 と言って、過去の人間の相ばかり観ていると痛烈に批判する。
「人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのじゃないか。」※4 という安吾の方に私は傾いた。けれど、随筆集の作品解説を読んで考えが揺らいだ。解説は“坂口安吾の人物像を表現した”小林秀雄の一文を引用して締めくくられている。
「・・それに何をしこたま詰め込んだか、大きな茶色のトランクを下げていた。人影もない山間の小駅の、砂利の敷かれたフォームに下り立ったのは彼一人であった。晩秋であった。この『風博士』のごとき異様の人物の背景は、全山の紅葉であった。紅葉という言葉もいかがなものか。雄大な雑木の山々は、坂口君のトランク色のすさまじい火災を起こしているようであった。木枯が来て、これが一斉に舞い上がったら、と私は思った。頭を無造作に分けた彼の顔は、河童のようであった。彼は、長いこと手を振って私を見送っていた。・・」※5
小林秀雄はちゃんと生きた人間を、人柄がありありと、手に取るようにあらわしているではないか。私の頭には再びモヤモヤするものが湧いてきた。
エイッとクリックしたひとつの判断が、こんなに私の世界を広げたかと思うと、私は何とも不思議な気がしてならない。
※『堕落論』 坂口安吾 角川文庫
『教祖の文学-小林秀雄論-』より抜粋
※1=p.233~234 ※2 ・※3=p.239 ※4=p.241 ※5=p.309
日本古来の世界観を考えていたとき、偶然か、それとも何かの巡り合わせか、古典の中に「消えゆく船の波跡」をみた。
朝の入り江に浮かぶ船が沖へと向かう
今ここに在ると思っていたものが、船の波跡のように、すぐに消えて“無”となり、今この瞬間と自覚している現在は、とらえることもできず、すぐに“過去”となってしまう。
ひとは純粋な心でいにしえに触れるとき、日本古来の世界を感じるのではないだろうか。純粋な心でありさえすれば、いにしえのどこをみても、その世界は心に映るのかもしれない。
「消えゆく船の波跡」をみたこと。
それが偶然でも、巡り合わせであっても、私は触れたということに喜びを感じる。

