思考と判断の根底を探して(5)技術・高級志向の物差 | ひだまり 日常生活

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思うに、日本でフランス料理は「料理天国」というテレビ番組の紹介で始まり、経済発展と共に広まっていった。全盛期から衰退にかけては坂井宏行氏が活躍した「料理の鉄人」の頃になるだろうか。贅沢極まり、バブル崩壊後ほぼ終末を迎えたといえる。私がフランス料理店で働き始めたのは、終末後ということになる。


それにもかかわらず、私の勤めていたフランス料理店はその後どこへ向かったらよいか分からなかったようだ。シェフはいつまでも、オテル・ドゥ・ミクニやジャン・ムーランといった有名店の料理を追い求め、オーナーはソムリエの資格を取得し、店に収まりきらないワインの在庫を抱えていた。ヴィンテージものを注文されたときには自宅のワインセラーまで取りに行く始末であった。終末後どこへ向かうのか難しいのは他の分野でも同様かもしれない。


もともと、私が専門学校へ入ったのは菓子作りが好きだったからではなく、『舌の世界史』など辻静雄氏の著書に感銘を受けたからである。だから、初めは料理や菓子を多様性のある食文化ととらえていたはずなのだ。それなのに、いつしか有名店や高級店、技術の高いことを礼讃する判断基準になり、ついには、この優劣の物差だけになってしまった。正確に言うと、最近行き詰ってようやくこの物差しか持っていないことに気づいた。


私は今、客数が大幅に変動する観光地にいる。ここで高級志向や技術の高さを求めても採算が合わない。この環境だからこそ考え出された菓子を目指すべきだろう。それが食文化の発展というものに違いない。技術は目的達成の手段に過ぎないのに、いつまでも技術の高さを追って、それを拠り所とする自分がいる。これは職人気質の自負心からくるのか、それとも哀愁からだろうか。


野草の咲く環境に胡蝶蘭が咲きはしないのに、いつまで私は胡蝶蘭を追うのだろう。