思考と判断の根底を探して(7)現象と出来事の対比 | ひだまり 日常生活

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この秋の霜が降りる前、私は初めて植えたさつま芋を恐る恐る掘り起こした。店頭に並んでいるようなものが4、5個なった株もあれば、小芋ばかりのもの、かぼちゃみたいな大きい芋がひとつだけなったものなど、出来はまちまちだった。元々の苗の状態か植え方によるのか、私は春に向けて不揃いになった原因を探っている。

結果を見て原因を考えることは次へ繋がり進歩となる。しかし、最近は何でも機械的な因果関係の思考方法で不確実な要素が多いことでも原因を特定しようとする傾向があるのではないだろうか。

このほど知ったところによると、人は因果関係を考える時は、時間に関係なく事物を「現象」として観ているらしい。これに対し、事物を「出来事」として観る場合は時間が深く関係しているという。※※

ところで、昨今の自己啓発本に因果の法則を引き合いに出して、事象の原因は心にあると主張しているものを見受ける。原因である心をうまく働かせることによって成功したり奇跡が起こると、あたかも「出来事」が起こるかのように書かれているところにどうも引っ掛かりを感じる。

「現象」を「出来事」にすりかえたかのような誇張した表現。
これは注目を集めて本を売りたいが為のように思われる。

「外の世界は変えられないが自分や自分の心は変えられる」と、さも今気づいたかのように言われているが、これと同じようなことは誰もが知る哲学者がとうの昔に語っていたのに。※

考えてみると、私は結果とその原因ばかりにとらわれているような気がする。そんなとらわれより、今まさに自分の身に起こる偶然、出会い、感動、驚き、発見などの「出来事」を映像さながらの鮮明さで記憶に残しておきたい。

人は他愛もないことを考えていると笑うかもしれない。

けれども、出会い、感動、発見の体験とその記憶は私にとって、かけがえのない、星々の輝きのように思われてならない。





※『方法序説』
「・・・常に運命をねじふせようとするより自分自身を抑えるようにして、世界の秩序を変えるより自分の欲望を変えるようにしよう・・・」

 縦書き文庫:『方法序説』 ルネ・デカルト  38/118 より引用
    http://tb.antiscroll.com/novels/library/2085   




11月25日追記
※※「現象」として観るとき、時間に関係する場合もあるが、それは繰り返しが可能で便宜的な観方の時間を指し、「出来事」の場合は一方向にしか進まない時間を意味する。