ひだまり 日常生活 -16ページ目

ひだまり 日常生活

日記を書くことで考えを整理したり、気づいたことを記しています

                



初鳴きの 蝉より 我にかへりけり

暮れゆく夏の 暦数へる







今日からミンミン蝉が鳴き出しました。いつもルーチンワークで日付を確認しているものの、もうそんな季節かと改めて思って、暦を見てみると、あと10日ほどで立秋・・・

この歌はその心境を詠んだものです。


「もののあはれ」を知り、それを表現する生き方がしたいので、歌の善し悪し、季語なども気にしてません。


先日、目の前に熊が現れました。私にとっては二度目の遭遇です。体長は1メートルほど、木に登って実を食べていました。


(何の実でしょうか?)

次の日は外で作業をしようと思っていたのですが、怖かったので日帰り温泉へ行きました。温泉に入っては休憩して読書、ぼーっとしては温泉、気分転換が出来たのは熊のおかげと言ってよいものかどうか・・・

読んでいた本は、ある方から「装丁から直感で選べ」と助言をいただいて選んだものです。
『人間・この劇的なるもの』


(何のデザインでしょうか?)

実は一度読んだのですが、書いていることが把握出来なかったので今回は再読になります。これは、せめてこの本に出てくるシェイクスピアの戯曲、四大悲劇を知らないと理解が難しいと思います。『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』を経て、改めて『人間・この劇的なるもの』を読むと「時間」というものを明確に意識して感じるようになりました。

今・現在が進行していることを実感するのです。現在進行という意味で小説より戯曲のほうが、時間的に人生を写し出していることを観て、いかに過去が現在に関わっているか、いかに未来は未知で不確定であるかということが、自分の前に明らかになりました。また、それとは逆に今まで、いかに自分は未来はこうあるべき、こうなるだろうと思い込んでいて、果ては、こうなって欲しいという願望と融合し、未来や予定が思い通りにならなければ、少しのことでもストレスを感じるようになっていた、そこに気がつきました。

時々刻々と変化していく周囲の環境と自他、自分の意識・・・

何がどのように作用して未来が決まるか、知れたものではありません。熊の出没で結果的に気分転換したり、ひとつの助言で今・現在を実感出来るようになったり、未来はあらゆる可能性を孕んでいて、人間や人生はどう変わるかわからない、そのようなことを考えた一日でした。


7月26日追記:
ブロガーさんより、素晴らしい論考をコメント欄に書いていただきました。真摯な考察がなされていて、大変深い内容です。私が紹介したくても、うまく説明できなかった『人間・この劇的なるもの』についても、こちらをお読みいただければ、どのような内容の書物かお分かりいただけると思います。

是非お読みになってください。


このことばで 自分の心が

どれほど硬直しているのかを自覚した

けれども

これからいかようにも自分が変わる可能性を

自分も他者も変わりうるのだから

今 受け入れることが出来なくても

後に 受け入れうる寛容さを

今 愚かであっても 失敗しても

一歩 踏み込むこと

これらを このことばが気づかせてくれた




すべてのもののうちでもっとも可塑性に富むのは人間の精神

  ※p221『連続性の哲学』より





さて、自然法則が進化の結果であるとすると、この進化そのものもまた何らかの法則に従っているはずである。しかしこの法則はそれ自身進化し、発展するものでなければならない。法則は、絶対に不在なところで自己を創出するものではないであろうが、自己を強化するものではあるだろう。したがって、われわれが過去へと遡るなら、その作用はいかなる規定力をもった所与の法則よりも弱いものであったことを見出すであろうし、無限の過去の極限においては、まったく姿を消すであろう。それゆえ、問題はこうした自己強化の傾向を示す法則や傾向の種類を特定することである。それは明らかに事物を一般化する傾向--あるいはそれ自身が一般化する傾向--を具えている。しかし、いかなる普遍的な根本的傾向も、自然のうちのどこかに姿を現すはずである。われわれはそれをどこに見つけることができるのだろうか。重力のような現象にかんしては、その進化がほどんど最終的な限界に達しており、不規則性を示すものはほとんど何も見出されない以上、そこに一般化する傾向を見つけるのは望み薄である。むしろこの傾向は、可塑性と進化とが今なお働いている自然の分野に探し求めなければならない。すべてのもののうちでもっとも可塑性に富むのは人間の精神であり、その後に来るのは有機体の世界、原型質の世界である。そしてまさしく一般化する傾向は、人間精神の大原則であり、観念連合の法則、習慣獲得の法則となって現れている。また、すべての活発な原型質のうちに習慣を獲得する法則が見られる。したがってわたしはこれらの考察から、宇宙の諸法則は、一切のものが一般化と習慣獲得へと向かう、普遍的な傾向性のもとで形成されてきた、という仮説に導かれたのである。


引用 p.220~p.221 傍線:引用者








トニが一枚の写真を送ってくれた。

 

ノイアッフォッテルンの住居。私がいた頃と変わってないって。

けれど隣に住んでいたエンヴェラは、もうそこにいない。

エンヴェラ、 君はいつ故郷のドレノックに帰ったんだ?

なにか日本語で故郷というと、私は懐かしいような哀愁のある語感、もしくは古い慣習を連想してしまうけれど、この場合はハイマート、(家の場所とでもいう語感)そう言ったほうがしっくりくるなぁ。

 

5月6日 スカンデルベクの誕生日。

英雄と声高らかに言える人物がいて羨ましい。

オスマントルコを追い払った民族の精神的支柱、それとも民族の共通認識の象徴という表現のほうがよいのだろうか。そういえば、君のお兄さんをスキャンダェーラと呼んでいたけれど、スカンデルという発音のほうが日本語的過ぎるんだよな。

 

 

 

 

 

アドリア海の美しさ、それに世界の誰もが知っている人物、マザーテレサがアルバニア人ということを教えてくれたのも君だったのだが、私は日本人の英雄も世界の誰もが知る日本人も教えることができなかった。果たして、今改めて言うとすると誰になるのか。

 

いよいよ明日、5月28日は選挙だね。政治家か支援者が襲われて怪我をしたとのこと。「これが今おこっている現実だ!」と君が言ってはっとさせられたよ。なんだか閉塞感の日本にいると、これから国を作るエネルギーに魅力を感じるのだか、現実には不正や暴力が横行する。そして、この事件も、そのものが真実かどうか検証しなくてはいけないんだよな。自作自演もありうるから。我が国も明治時代には、国(近代国家)を作るエネルギーに満ち溢れていたが、過度なインフレに悩まされたり、富める者は富み、貧しい者はますます貧しくなったんだから、一面だけ見ちゃいけないんだよな。

 

アグロンが海外に住んでいても投票できるって言ってた。いくつかの書類を揃えないといけないらしいんだけどね。それとさぁ、エンヴェラ、君はあるマスコミの創設者の亡くなった日を覚えていて、彼を悼んでいるんだね。そこに書かれていたある言葉を私はとても気に入ったので、自分の好きな言葉として心に留めておくよ。

 

「Endrra vazhdon...」  

 

「夢は続く」

 

 

 

 

親愛なるサミィ君へ

君の写真を拝見しました。本当に立派になられて涙が出ます。初めて会ったのは、君がまさにプリシュティナからバスで逃れてきた時のことでした。国をまたいで長時間バスに揺られたからか、かなり疲れた様子だったのを覚えています。あのころのサミィ君はまだ10代の少年でした。まず、
難民の施設(避難所=Asyl)へ行って手続きをしなければならなかったので、君は一枚の地図を手に持っていたのですが、【Asyl】 という文字が嫌だったからか、その文字に線を引いて見えないようにしていたのを、私は今でも昨日のことのように鮮明に覚えています。

あれから25年が経ちました。

異国の地で兄弟、従兄弟が別々の場所で生活しているとのこと。色々なことがあったのだと思います。ですが、私は何も問いません。教えてもらったティラナのニュースサイトを時々見ています。シリアへのアメリカの攻撃について考えさせられました。まさに、あのころ君達の広域での祖国は内戦やNATOの空爆を経験しているのですから、シリア問題について、私達日本人と見方の真剣度が違って当然です。私は自分の見る目と認識が欧米の判断基準にどっぷりつかったものであると気づき、その妥当性に疑問を持ち、また、日本の報道もあまりシリアのことに触れずに北朝鮮の事とリンクしてばかりで恥ずかしいと思いました。

念願の国家独立を果たしたにもかかわらず、君達がまだ、祖国に帰っていないのは、推して知るべしということ。東と西の違いや紛争に翻弄された人々の人生を思うと、また涙が出てきました。



君の絵葉書に書かれた言葉「僕は忠実な朝を過ごしている」、日本語に訳すと何に忠実か分らず少し変ですが、サミィ君の誠実な人柄がよく表れていると思います。

私はこのことを自分のブログに書いて、私達の認識や日本の報道について疑問を呈したかったのですが、私くらいがこう書いたところで、どうにもならないと思うと、また、涙が出てきました。

それでは近いうちに、また連絡します。お元気で。



※しばらくお休みというか、閲覧・更新共、より不定期となります。
 よろしくお願いします。