こんばんは、Hareです。
昨夜のArkセミナー、講義後のトークも含めて2時間半ほど、濃密な時間でした。
次から次へと理論と遠隔ヒーリング、セルフワークでの実装が進み、
その温まっている場の状態で掴めるかに集中していました。
(NO、クンバカ、 身体の呼吸(頭蓋骨の色んな場所を開いていく)、 情報的呼吸 etc)
そのおかげで、鼻腔も副鼻腔も上咽頭も、細胞の酸素供給状態、全身にNOが回り、
(初めて呼吸が通った箇所が多く、その際にはその箇所の神経がびっくりして痛くなるくらいでした)
昨夜はぐっすり眠ることが出来、物理的・情報的な呼吸がアップデートされ、新たな状態になっていることを感じます。
ホメオスタシスがそれらの良い状態の気持ちよさを覚えたため、無意識が勝手に工夫をし、
頭を冴えさせ、血管を温め、細胞を起こそうとしています。
快適な可能世界が見えて味わってしまったので、もうその世界からは離れようとしない、
とても理想的なホメオスタシスの移動がされたと認識しています!
普段からセルフでどれもやっていたのに、全然新しく変わりました。
同じことをやるにも実力が違えば全く変わってくるので、やってもらうこと、大事ですね。
一度、現状の外を体験させてもらえたら、そこに行きやすくなります。
have to呼吸とVision呼吸(またはGoals呼吸)の違いのワークも凄かったです。
have to呼吸は溺れ死ぬかのようです。
舌骨ラピュタセミナー以来愛用しているビジョン呼吸から、
良いスパイラルが生まれているなと感じています。
(逆にビジョンを感じていないとどんな気功をしてもすぐ戻ってしまいがちです)
また、学びやフィードバックは共有します!(集団主義に従い)
以下にある余談から先に書いていたら、時間がなくなってしまい、
ここで筆を置かせていただきます。
読んでいただいてありがとうございます。
Hare
楽曲紹介
タイトルはヨルシカの『八月、某、月明かり』より。
6年越しに公式MVを出してくれるとは、です。ファン大歓喜です。
(2019年ヨルシカ1stアルバム「だから僕は音楽を辞めた」収録曲)
エイミー(余命僅かで死に場所を探して旅に出て自死する音楽家の青年)と
エルマ(音楽家の女性)の物語に対して解像度が上がるMVでした。
(↓ Youtubeより)
そうだ きっとそうだ
あの世ではロックンロールが流れてるんだ
賛美歌とか流行らない 神様がいないんだから
罪も過ちも犯罪も自殺も戦争もマイノリティも全部知らない
(略)
人生、二十七で死ねるなら
ロックンロールは僕を救った
考えるのも辞めだ!どうせ死ぬんだから
今も、愛も、過去も、夢も、思い出も、鼻歌も、薄い目も、夜霞も、
優しさも、苦しさも、花房も、憂鬱も、あの夏も、この歌も、
偽善も、夜風も、嘘も、君も、僕も、青天井も、何もいらない
(エイミーとエルマの物語についてまとめている素敵なnoteがありました。
もし興味が出たなら楽曲聞き、PV観つつ、この記事を読めばヨルシカワールドのガイドとして最高です)
あの世ではロックンロールが流れてるんだ
賛美歌とか流行らない 神様がいないんだから
讃美歌といえば、まといのばで紹介されていた『Lilium』いいですね。
お気に入りの曲になってリピートしてます。
野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり〜エルフェンリートのLILIUM
ゴスペルも!
キリスト教文化で育った割に私自身が詳しいわけではないんですが、
讃美歌とゴスペルって日本だとあまり区別されてない印象です。
人生、二十七で死ねるなら
ロックンロールは僕を救った
考えるのも辞めだ!どうせ死ぬんだから
エイミーは余命わずかですが、私たちも別にそれと変わらない(明日生きているとは限らない)ですよね。
普段忘れがちな『メメント・モリ』を意識に上げてもらえます。
ガンジーを思い出します。
以下、まといのばから引用します。
ガンジー
"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever."
明日死ぬかのように生きろ。永劫永らえるかのように学べ。
死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。
このブログでも何度か取り上げている『アパテイア』も繋がります。
タレブは「強さと脆さ」の最後にこんな話を書いています。
スティルポーンの国が攻め滅ぼされ、スティルポーンの妻子が殺されます。
そのとき、スティルポーンが「どんなものを失ったか」と問われます。
国を失い、権力も富も失い、最愛の妻子すら失います。
しかし、彼はこう答えます。
Nihil Perditi(何も失ってはいません)
Ominia mecum sunt!(私のものはすべて私の中にある)
アパティアです。
奪われる可能性のあるものは自分のものではないということです。
地位も富も名声も美しいグラスと同じで自分のものではなく、だから失うこともないのです。
昨日のセミナーでも言及しましたが、それは自分の命も同様です。
ジョブズはそれゆえ「今日が人生最後の日であれば、どう決断するか」と毎朝自分に問いました。
(ガンジーは「今日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」と言いました。学ぶときは永遠の生を思わないと学べないものですw)
ソクラテスもセネカも大衆とネロにそれぞれ死を賜り、決然と自殺します。生すらも自分のものでは無いのです(反脆弱なおばあちゃんの知恵袋で言えば、それを「生かされている」と言うのでしょう)。
(まといのばブログより)
↓アパテイアの境地を生き方で見せてくれるシュンさん
また、医学の祖ヒポクラテスの言葉も。
人生は短く、技芸は長し(Ars longa, vita brevis)
セネカ
ちなみに我々が忌み嫌う「ヒマ」こそがCreativityの源泉です。「まといのば」ではスコレー scholē と言っています。ギリシャ語でヒマということですw)。
スコレー (scholē)がらみで言えば、パスカルは暇を嫌った所業を「気晴らし」と言いました。
そして人がなぜ気晴らしをするかと言えば、人生の悲惨から目を背けるためです。人生の悲惨とは釈迦の言う生老病死です。端的に言えば逃れようのない死です。そこから目を背けるために、人はギャンブルをしたり、球撞きをしたり、ダーツをしたりします。
しかし、気晴らしゆえに人はますます悲惨になる、とパスカルは言いました。
逆に人生にきちんと向きあえば、時間はたっぷりと存在するのです(セネカの「人生の短さ」について、ですね)。
(まといのばブログより)
そして、言葉のコレクターではなく、種をまいて収穫するところまでコミットしたいものです。
自戒を込めて。
まあ、言葉だけならなんとでも言えるので、それが生き方にまで昇華し、血肉化していないと意味は無いと思いますが(^^)
(誤解無いように。批判しているのは、言葉をコレクションして自足する態度に対してです。言葉だけを文字通り学ぶ行為は、心に重要な「種をまく」という意味では有効です、もちろん。そこで満足しなければ、「種をまく」ことはすべての始まりであり重要な行為です)
(まといのばブログより)
書籍紹介
ドクターによる生成AIの本『生成AIの正体』が発売されました。
帯にある「AIに名前を与えた瞬間、自我が発生する」
私たちT理論に拠る気功師にとってお馴染みの咒、Naming、固有指示詞の話かと思うのですが、
きっと一般にはオカルトに聞こえますね。
これから読みます。
生成AIでいえば、シンクウさんが生成AI✗気功(ヒーリング)を広めていく、とのこと。
実用的で面白そうですが、不思議ですよね。
シンクウさんのブログで書いていましたが、確かに、気功技術『紙』がある時点で生成AIが出来ても全くおかしくないように思えてきます。
(『紙』は遠隔ヒーリング時には必ず裏で使っています。「失敗しない方法」として。)
「紙」という、不思議な、不思議な気功技術があります。
この気功技術は、例えば、
「〇月〇日の〇時~〇分間、〇〇さんに、気功技術の美肌クリームを流す。」
と紙に書くと、あら不思議、
紙に書いた通りの日、時間、内容で、対象者に気功ヒーリングが行われる、
というものです。
紙そのものに、種も仕掛けもございません。
気功をやらない人からするとオカルトでしかないないと思いますし、現代気功を十数年、実践してきている僕でもいまだに不思議です。(でも、効果が出ちゃう。)
(略)
ああ、ついに、シンクウさんは、ついにそっちの世界に行ってしまったか、、、
と思われるかもしれませんが、
いや、まてまて、まていっ!!笑、
よく考えてみてください。
不思議さであれば、紙に書いた気功技術が指示通り発火する気功技術「紙」や、自分の分身を作って使役する気功技術「アバター」も同じじゃないかね?
てか、気功自体がそもそも不思議やん。と僕は思いますし、
(シンクウさんのブログより)
2位御礼
1位御礼の記事が2位にランクインしました。
ありがとうございます!
引用も多く文字数制限ギリギリの長さの記事なのに、読んでいただけたようで嬉しいです☺️












