こんにちは、Hareです。

 

 

先日のArkセミナーにて、

「ゴールという構造物を育てる」と建築の例で、メンターとのゴール設定の景色のシェアがありました。

 

内観して深堀りするだけ(セルフでのゴール設定をまとめたのはこちら)ではなく、メンターの知識も使い、一緒に情報空間を観て複数の可能世界でどれを掴むか、観ていくもの。

ここに窓つけたら壊れます、ということはしないし、これは行けたら良いけど負荷が大きいね、といったことまで観ていく。

対話でしかありえない、と。

 

『Just The Two Of Us』が紹介されました。

 

To make those rainbows in my mind

When I think of you sometime
And I want to spend some time with you

時にあなたを思い

たくさんの虹が架かかるようにと願う

そして、あなたとまた一緒に過ごしたいと思う

Just the two of us

私たち二人きり

We can make it if we try

努力すれば、上手くいく

Just the two of us(Just the two of us)

私たち二人きり(私たち二人きり)

Just the two of us

私たち二人きり

Building castles in the sky

空に城を建てよう

Just the two of us

私たち二人きり 

You and I

あなたと私

(歌詞和訳をかずまるーむから引用)

Just the two of us

Building castles in the sky

「二人で、空に城を建てよう」

 

城を建てることにエネルギーを使えるよう、身体を緩め、情報空間の体力を取り戻し、付けていきたいです。付けていきましょう。

 

 

 

上記のメンターとクライアント(メンティー?disciple?)との対話とは厳密には違うのだと思いますが、

 

リーダーに率いられた場での集団主義の衝撃(勝手に言ってます😁)がまだ駆け巡っていて、

今まで断片的に掴んでいたことが整理されていっています。

日々、それによって動いている部分があり、徒然にとりとめなく共有します。

 

 

集団主義については以下のように学びました。

 

場で一緒に上がっていくには?

 

個人主義ではなく集団主義で「自分は共同体の一員でありそのものである」と考え、「他人を自分事」と認識する。

 

良いものは増幅し、コピーし、広げる。「自分も」と上がっていくことができる。

悪い部分はマネジメントをする。責め合うのではなく、できないことはカバーし合う。

そのためにも最低のダメダメな自分も受容し、他者のできないことも少しずつ受容できるようになっていく(イエスの『まず自分の目の梁を取り除け』)。

 

全員がわかっていると上手くいく。

(初めて一位をいただいた記事です)

 

昨夜のユウさんの夜会では、(前回もそうでしたが、)場が回されている内に参加者に変容が訪れ、オラクルが現れ、といったことが起こりました。

(LIVE遠隔ヒーリングを挟みつつ3時間ほど…😳

 今回も録画は消失したらしいです😂)

 

場のメンバーがユウさんの共有してくれる情報や臨場感で変わっていくだけでなく

場のオーナーのユウさん自身も話しながらスコトーマが外れていく景色を観て、

集団での対話の力をより深く見たように感じました。

 

 

継続して参加しているメンバー各位もヒーラーやヒーラーとして走り始めている方などおられますが、回を重ねるごとに共感覚や気功の実力は着実に身についておられます☺️✨

(略)

いわゆる無料セミナーでも、配信でもなく、私と皆さまでの相互的なやり取りや共有がポイントなのでしょうね✨

何より対話は大事☺️✨

 

なぜならインプットだけでなく、その場での発言や質問、共感の相づちですらアウトプットとなり、参加している各メンバー皆さまの成長を加速させます(決して、発言は強制されません☺️聞き専でも大丈夫♪)✨

 

(ユウさんのブログより引用)

>何より対話は大事☺️✨

 

 

同時に、

場のリーダーのユウさんの覚悟が決まる様子や、今まで自分事になっていなかったことが自分事になる瞬間の目撃者になったとき、

もしかして、受け手側も場を良くするために積極的に参加できる存在なのかも」、とふと思った自分に気付けました。

 

この思考が走る裏には、

『受け手側=自分の価値を下げて、何の機能も果たさないことを課している』信念がありそうです。

 

「対価に商品を享受するだけ」、な消費者マインド
「できることは一方的に漏らさないように受け取ることだけ」、な学校教育での生徒マインド

これらが一部残っていることが自覚されました!


 

 

 

私自身、この夜会でゴールが取り出せ、有り難い機会でした。

自分だったら絶対出てこなかった、出てきたとしても1年くらいはそのゴールに出会うこともなかったのでは、と思います。

普段自分に問いかけもしない領域だからです。

他者はその時点で現状の外なので、他者からゴールが訪れることも当たり前のことだと思えてきました。

(というかその方がきっと自然で、視点がまだ個人↔集団であべこべになっています)

 

 

会話でぽろっと出てその場ではスルーした情報に対しての身体の激しいワクワクを、

会が終わった後にユウさんにシェアして、仮のゴールとして取り出すことができました。

寝る前には認知不協和で、吐く寸前の激しい嘔吐感がやってき、しばらく寝られませんでした😅

 

そして、一夜明け、ゴールに要請された視点が情報空間に現れました。

他者の視点が入りました

 

人間の脳には必ず他者がいるので、「他者を気にする(受け身)」から「他者を気にかける(能動的)」へ転換というドクターの教えがありましたが、実装されました。

以下私の過去記事の引用です。

脳内に他者がいることは人間の脳の仕組みであるようです。

苫米地博士もこの前の動画でも仰っていました。

 

以下は該当箇所の文字起こし(筆者太字)です。

 

 

ありとあらゆる脳内情報処理の後ろに隠れた相手の人間がいるって俺はずっと認識してやってるっていうことね。

(中略)

だから人はなぜ気にしてしまうのかっていう質問があったんだけど、それは周りに人がいるから。

人がいなければ感情になったり物事を気にしたりしないの。

(中略)

人間は社会の中でのみ嬉しいのね。

私たちが苦しんだり悩んだり喜んだりするのは全て誰か人間がいるっていう大前提だっていうことね。

(中略)

全ての私の情動は必ず人間がどっかで関わっている。

でも一方でその人間も実は皆さんの脳内の存在でしかないんですよってことね。

 

苫米地英人の銀河系アカデミアより。

この動画では、「抽象度っていうのはただの概念ではなく、利他性であること」や、

「他者を気にする(受け身)」から「他者を気にかける(能動的)」へ転換しましょう、

「物理でリアルにやるには知識が大量に必要

という話がされていて必聴です。

 

他者の視点について、パートナーの視点、仲間の視点、クライアントの視点、親の視点と考える際に、

過去の情動記憶を参照して結びつけてしまい、他者の視点=悪・不要なものと防衛反応がでていましたが、

全く過去に関係ない(思ってもみなかった)他者の視点が現れたことで、

他者の視点が自分の情報空間内に存在することを受容でき、かつそのことが喜ばしいことである

という感触を得ることが出来ました😆

 

 

また1つ謎解きが進んだ心持ちです。

 

過去の見通しが良くなりました

なんでこんなことしたんだろう、こんな事が好きだったんだろう、に対して過去が整理されていきます。

(未来から過去の意味が整理されていくことを敷衍させると、現在の意味は未来によって決まり、未来でわかるので、現在の視点で現在の事柄の意味に思いを馳せることの無意味さを思い知らされます。「全ては必然」で進むしかないんですねー。)

 

そして、この空いた穴からまた連鎖してヒビが入っていきそうです。

 

 

また、試行錯誤していた手足の冷えもだいぶ改善されました😆

(ヒーラーとして手の冷えは共感覚的にも触れられる側の感触的にも良くないので、ヒーリング前にはお湯や電気カイロで温めてから「熱」や「ミッキーの手」「美肌クリーム」で手をブートする工程を入れています。)

 

心に強く抱えているものがあると手足が冷える」と、INORI2期の第一講義でも学んでいました。

(以下講義の書き起こしを要約)

手足の冷えについて、メンタルが影響していることが多い

 

前提として、心は身体と同じモノ。

 

例えば、情報的にバイタルな状態があり、頭の中にずっとあるとする。

そうなるとエネルギーが遮断され続ける。

その状態で身体を構築することになるが、中心部(身体的には心臓とか肺とか腸など)にエネルギーを使わないと守れないと脳が認識しているので、手足は後回しにされてしまう。

だから手足が慢性的に冷える。

 

単純な冷えだったらストーブで温めたら治る。

戻らないってことはホメオスタシス化しているということ。その理由は何かということをほぐしていく必要がある。

 

このことを知ってから、

「メンタルに何か外すべきものがある」と意識に上がり、浄化にも身が入るようになりました。

 

しかし、今回スコトーマが外れたことは、手足の冷えの改善に強く寄与してくれました。

 

 

 

話を戻します。

『ビジョンは共有物』について、

永森コーチングの永森さんが焦点を当てていた部分がすごく良いなと思ったので共有したいです!

 

当てる焦点が異なる、切り取る視点が異なる、そのことによって学びが立体化されます。

これも集団主義の良いところですね!

 

以下、まず、私の記事の引用です。

 

そもそも集団主義しかないということが、情報は共有物という視点から入り直しました。

情報は全て共有物だと思ったほうが良い。

 

ビジョンも、罪悪感も、感情も。

罪悪感は他者から入ってきている。

ビジョンについても誰が先に観たかということはあっても共有物。

邪気も入ってきたなら所有せず、出せば良い。

外から入ってきたものを不要なのに所有してしまうからおかしくなる。

 

「情報は共有物」は、私にとっては躓きの岩石を取り払ってくれた言葉です。

すごく大事で、この考え方が入ってドミノ倒しのように変わっていく人も多くいるのではと思っています。

 

 

以下、永森さんの視点で捉えてシェアしてくれた部分(私が溢していた部分)です!

 

KAZUMAさんのオンラインサロンArkのArkセミナー〜舌骨ラピュタエフィカシー編〜(1/20開催分)でも、全ては共有物だというお話がありました。

 

・ビジョンは共有物であって、個人のものではない。

・場にビジョンが浮かんでいるとして、あるタイミングで誰かが見てるってだけ。

・僕が先に見て飛び込んで、物理空間におろせたら、それは(後に続く人が)その道に対して行きやすくなる。でも、それが僕じゃなかった可能性もある。

 

まさに先駆者として、今を生きている人の生の声を聞き、がっつり感化されました!!

 

(もう一つ「全ては共有物」の例として話されていた、

・自分の罪悪感も(浮かんでくる感情も)絶対個人のものじゃない。

・誰かしらから言われた何か(教えられた何か)で罪悪感が生まれたりする。少なくとも教えた人がいる以上、個人のものではない。

 

というのも強く心に残りました!)

 

(永森コーチングより引用)

>僕が先に見て飛び込んで、物理空間におろせたら、それは(後に続く人が)その道に対して行きやすくなる。でも、それが僕じゃなかった可能性もある。

 

百年後に名を残すかもしれないKAZUMAさんが、「自分ではなかった可能性もある」と発することに、

ビジョンは共有物であり誰かが見ているだけ、が立体化してきました。

 

 

上記の永森さんの記事の中で、

米津玄師さんのインタビューが掲載されており、これも集団主義でしかない利他的な人々の営みについて書かれており、心に染み入りました。

 

ものすごく遠い未来に憧れがあるんです。100年でも1000年でもいい、ものすごく先。自分も当然死んでいるし、自分のことなんて誰も覚えていない、今の世の中の形なんてまったく失ってしまった未来のことに思いを馳せることがよくあって、そうやっているとすごく安心するんですよね。営みが脈々と受け継がれながらたどり着いた先には、その世界を当たり前として生きる人たちがいる。そのことが自分にとって救いのように感じられるんです。遠く離れれば離れるほど米津玄師という個としての自分は希釈していって、覚えている人はいなくなるだろうけれども、だとしても受け継がれていくものは確実にあると思いたい。音楽を作っていて「詠み人知らずになりたい」とずっと言い続けているのもそうで。道端のガードレールもバス停も、誰が作ったかなんて誰も知らないけど、確実に誰かが作ったからそこにあるわけで。「こうでありたい」「こうであってほしい」そうやって誰かが祈ったから今の社会がある。

(永森コーチングより孫引き。引用者により太字)

 

祈ったから今の社会があるということで思い起こされたのが、

ちょうど昨日、命日の記念ミサがあった『蟻の街のマリア』北原怜子(きたはらさとこ)さんです。

 

 

概要をgoogleのAI概要から持ってきました。

 

北原怜子(きたはら さとこ、1929年-1958年)は、昭和中期の日本で「アリの街の聖女」と呼ばれた社会奉仕家です。

 

東京都の裕福な家庭に生まれ、聖心女子専門学校(現・聖心女子大学)を卒業しました。戦後の虚脱感の中でカトリックの洗礼を受け、隅田川沿いの廃品回収者の共同体「アリの街」の人々と出会ったことで人生が一変します。結核に侵されながらも、28歳の若さで亡くなるまで彼らと共に歩みました。 

 

  • 「アリの街」の支援と共生:
    単なる慈善活動にとどまらず、自らもボランティアとして廃品回収(バタ屋)を手伝い、住民と同じ目線で生活を共にしました。
  • 子供たちの教育と精神的支柱:
    劣悪な環境にいた「アリの街」の子供たちのために日曜学校を開き、教育や情操の向上に努めました。彼女の存在は、社会から疎外されていた住民たちに深い自尊心と希望を与えました。
  • 「アリの街」移転への尽力:
    東京都との交渉などを通じ、現在の江東区潮見への共同体移転と定住化に道筋をつけました。

(Google AI Overviewより)

裕福な生まれにも関わらず、戦後の部落的な共同体と子どもたちのために働かれました。

 

以下のエピソードから、機会の通り道を見つけられている様子が伺えます。

 

しかし、子供達の夏休みの宿題がなんと海と山についてでした。怜子は海も山も縁のない子供達を箱根に連れていくことを決意。別荘を貸してくれる人が現れ、残るは交通費です。怜子自ら廃品回収をしますが足りません。そんな時、大量のミルクの空き缶の提供があり、夜通しリヤカーで運びます。実は怜子の父親が内緒で知人にお願いしたものでした。

 無事、箱根旅行は実現。子供達は嬉々として山の芦ノ湖、海の小田原の絵と作文を発表しました。このことが伝わり、怜子は新聞で「蟻の街のマリア」と称賛されたのです。

 しかし、結核が再発し療養中に症状が悪化。医師は、怜子の生き甲斐である蟻の街に戻ることを勧め、両親も同意します。そして、蟻の街で暮らし始めた怜子に笑顔が戻ったのです。「私は蟻の街が好きだから、ここで働かせてもらっているのだ。ただ、それだけで私はうれしい」

 その頃、東京都はホームレス一掃で、蟻の街の焼き払いを計画。しかし、怜子が病床でまとめた子供達の作文集『蟻の街の子供達』が役人の心を動かしたのです。そして、好条件で代替地を提供。それを聞いた怜子は「もうこれでいいのね」とつぶやき、1958年1月23日、28歳で天国に召されました。怜子が子供達に遺したのは、笑顔と生きる希望、思いやりという大切な宝物でした。

【時を創った美しきヒロイン】 社会奉仕家北原怜子 「私は蟻の街が好きだから、ここで働かせてもらっているのだ」

>東京都はホームレス一掃で、蟻の街の焼き払いを計画。しかし、怜子が病床でまとめた子供達の作文集『蟻の街の子供達』が役人の心を動かしたのです。そして、好条件で代替地を提供。

 

子どもたちのために最後まで、祈り、意図によって道を開いた方でした。

 

台東区・墨田区・江東区ではホームレス支援の団体、活動家が今も多く、独自のエコシステムが形成されていることに、

北原怜子さんや導いたゼノ神父、その後に影響を受けた教え子たちの繋がりが今日まで残っていることを実感します。

 

 

これも、ギルドによって歴史が作られているということを示していると思います。

文字数制限で、記事分割します。

 

 

今日も読んで頂き、ありがとうございます。

Hare

 

 

【北原怜子さん参考リンク】

wikipedia(https://w.wiki/Hba7)