こんばんは、Hareです。

 

今回のArkセミナーは『舌骨ラピュタとエフィカシー』というテーマでした。

 

エフィカシー関数の話からスタートしました。

講義より

Efficacy(w1)→w2

 

w1:現状の可能世界

w2:ゴールの可能世界

 

目の前のワールドを変える必要はなく、材料を追加する必要もなく、エフィカシーを高めればゴールのワールドが見えてくる。

逆に、エフィカシーが低いと、材料はあるのに未来側での抽象度が高い統合されたカタチが見えず、バラバラに見えてしまう。

持っているもの(材料)でいいのに、組み合わせが上手くいっていない
組み合わせが現実を作る。

 

エフィカシーが上がれば組み合わせを変更するチャンスとなる。

とのことでした。

 

この部分について以下のように認識しています。

 

自我は以下のようにpで表され、宇宙の要素を重要性で並び替える関数で、

{w ∀y∃x p(x,y)} x,y ∈ Universe (ドクターの『オーセンティックコーチング2026』より)

w1(現状の可能世界)とw2(ゴールの可能世界)では、自我、つまり重要性の配列が異なります。

 

自分の情報空間の中に同じ材料(知識)があっても、

w2で大事なものを、w1にいる今では重要性がないものとみなしています。

お金は30万円しか毎月手に入らないと思うのも、材料の組み合わせであり、

お金という知識・概念はあるのに、それに無意識で制限や制約をかけてしまっている。

違う組み合わせがゴールでは必要かもしれないのにもかかわらず。

 

概念の繋がり(縁起)が今の目の前の世界を作ってしまうので、

組み合わせミスは大変なこと。

そこを変えるにはエフィカシーを上げる。

 

 

では、エフィカシーを上げるにはどうするか?

エフィカシーを上げるためには、

個人で上げる方法と、集団で上げる方法があり、

後者のほうが圧倒的に転生が早く、個人で頑張る部分が減り、才能領域にフルコミットできるようになっていく。

 

個人の場合は背伸びをする感覚、

集団の場合は場のエフィカシーの影響を受け(一番エフィカシー高い人の方向へ上がっていく)、

上にいる人や上がっていく人をコピーして一緒に上がっていく。

例)ボイトレで横で出している人がいるとその声を出せるようになる

 

 

場で一緒に上がっていくには?

個人主義ではなく集団主義で「自分は共同体の一員でありそのものである」と考え、「他人を自分事」と認識する。

 

良いものは増幅し、コピーし、広げる。「自分も」と上がっていくことができる。

悪い部分はマネジメントをする。責め合うのではなく、できないことはカバーし合う。

そのためにも最低のダメダメな自分も受容し、他者のできないことも少しずつ受容できるようになっていく(イエスの『まず自分の目の梁を取り除け』)。

 

全員がわかっていると上手くいく。

 

今回、場の力が発揮されるために、構成員全員が把握し、持っているべきマインドセットについても学びました。

 

個人主義的な「自分で頑張る」「人の真似をして後に続いたらパクリになるんじゃないか」という懸念も浄化されました。

 

 

そもそも集団主義しかないということが、情報は共有物という視点から入り直しました。

情報は全て共有物だと思ったほうが良い。

 

ビジョンも、罪悪感も、感情も。

罪悪感は他者から入ってきている。

ビジョンについても誰が先に観たかということはあっても共有物。

邪気も入ってきたなら所有せず、出せば良い。

外から入ってきたものを不要なのに所有してしまうからおかしくなる。

 

 

「情報は共有物」は、私にとっては躓きの岩石を取り払ってくれた言葉です。

すごく大事で、この考え方が入ってドミノ倒しのように変わっていく人も多くいるのではと思っています。

 

イメージは共有物、ビジョンは共有物について以前書いたところを引用します。

 

ホメオスタシス同調のワークでは、

熱いときのイメージや冷たいイメージを同調させて班の他のメンバーに渡し、

その中で「イメージは共有物」であるということが心に刺さりました。

 

気を流すや気の玉を介す時の感覚で、自分の脳の中のイメージを渡さないと相手に届かないと思い込んでました。

1対1でボールを投げる時の感覚です。

 

しかし、ぶつけるような意気込みもなく、ただ自分のサウナのイメージを召喚(環境)し、それに対して他の人がホメオスタシス同調で「熱くなる」フィードバックをもらうことで、

サイバー・ホメオスタシスでの環境によって自我が変わること、他者も変わることが入ってきました。

 

ヒーラーの脳(厳密には人間全員)で起こることは本当にそのまま起こるのだと、線引きがまた一つ消えました。

 

上のワークは3人でやったんですがすごく良かったです。

召喚した情報(イメージ)は、その時点で誰のものか関係なく

全員がそこに同調して変化が現れたことで、「共有物であるのだ」ということを身体で理解することが出来ました。

 

 

特にビジョンというものは共有物であることについて、音楽やヒーリングの文脈、その場の何気ないことの文脈で理解していくことが出来ました。

(略)

 

共有物ということが強烈で、自分を表現することについての誤った古い考えが溶け、肩の力が抜けました。

コミュニケーションでも音楽や芸術を感じるときでも、その表現者自体の世界にFocusしていましたが、彼・彼女らが見ているビジョン、それこそが主体であるということに、視点が切り替わりました。

 

音楽でも絵画でも、ほぼ同じ情報場(ビジョン)にアクセスしている、というものがあります。

そのビジョンは誰が発見したにせよ、発見された時点で共有物であり、

発見される前(観測してから生まれるなら正しい表現ではないかもしれませんが)のビジョンも、アプリオリではなく、他のビジョンと相互に影響を与え合っているものなのだと思っています。

 

 

情報宇宙を情報が流れ続けている中、

人類の共有物のVision達から豊潤な恵みがもたらされ続けている。

(略)

個人の知を越えた宝物を

身体に実装して受け取って、

自分という筒を通して歪めずに次の人に伝えて実装してもらう、

そんな連綿と繋がる営みに参加するということ。

 

私自身が削り出そうとしているビジョンも、イエスや釈迦が見ていたビジョンや、多くの先人や隣人が見ていたそれぞれのビジョンの組み合わせで出来ていることが自覚化できました。

 

 

 

話を戻します。

 

「集団主義しかない」ということでしたが、この考え方を前から理屈としては聞いていても、しばらく馴染みませんでした。

 

相田みつおさんの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」に対しても、

どこかで、「そんなわけある?本当?」という意識がありました。

 

しかし情報が共有物であるということが腑に落ち、

ビジョンに関しても同じものから掘り出しても減らず、それぞれの人間による違いがでて豊潤になるような感覚が芽生えてきた時、

「物理空間のルールに引っ張られて情報空間も見ている」ことにより、集団主義にピンと来てなかったのか、と気付きました。

 

現代社会に生きる私たちは(少なくとも私は)、

・資源に限りがあるので足りず、

・名声や地位にも席が限られ、

・市場もパイの奪い合いである、

ということが学生の頃の受験戦争の頃にはしっかりと刻印されていました。

 

物理空間や物理空間寄りの抽象度です。

それを引きずったまま、情報空間を理解しようとしていました。

(ゴールはどう考えても情報空間の抽象度が高い方にあるので、物理ルールが適用できるわけもなく。)

 

しかし、

情報が共有物であるということ、

そして情報空間と物理空間は鏡の国であることより、情報空間ではコピーにコストがかからない、増殖できるということ。

 

ならば、集団で良いものを増殖して相互に上向きの影響を与えあって移動できることは必然となってきました。

 

 

ここまで書いたところで、その議論がまといのばにあったことに気付きました😂

(前は理解してなかったのでスルーしていたのでしょう)

以下引用します。

 

世界がゼロサムゲームだと思っている人は資源には限界があり、席取りゲームの席は限られていると思っているので、辛くなってきます。

しかし、Moneyもそうですが、増殖するものです。

知識もエントロピーの増大に伴い、増殖するものです。

 

書家の相田みつをさんの言葉に「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という意味のものがありました。まさにそのとおりです。

 

もう少し抽象度を上げれば、Individualという幻想を信じている人は困窮し、ポリスとか共同体とか、Communityが最小単位だと知っている人は豊かになるのです。


BodyDesignなどで仲間が素晴らしい成果を上げたり、友人が成功したときに、それは自分の一部分が祝福されたのだと(同じ共同体に属しているのですから)正確に理解できれば、良いのです。

そして、実際にそうなのです。

 

ただ、個人という幻想を信じ、自分が頑張らねばならないと思っている人は(自分の役割は果たしましょう)、闇落ちするのです。

がんばってもがんばっても、うまくいかないと思っている人は、何かがズレているのです。

 

(まといのばブログより)

 

資源は有限に感じますが、他者と自分を切り分けて、恐怖を前提にして、奪い合うならば足りず、5つのパンでも5000人を食べさせる奇跡も起こり得るのです。

 

イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。(マタイ14:16−21)

そして、人間はなぜか「Share」することを喜ぶ本能がビルトインされています。

 

天国と地獄の話も想起されました。引用します。

 

これは以前のスクールで紹介した仏教哲学における天国と地獄を思い起こさせます。

すなわち、天国と地獄の見た目はまったく同じという話です。

$気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
*エッシャー「天国と地獄」

こんなお話です。

天国も地獄も似た場所です。
両方共中華レストランで、両方共大きなテーブルを挟んで円形に人が座っている。
真ん中のほうに食事があり、めいめいが長い箸を持っています。

さて、地獄はと言えば、その箸で自分の口へ食べ物を運ぼうとする。箸は長いのでとても大変。持ってこようとしても取りこぼしてしまい、自分がともかく食べたいので、潤沢にあるはずの食事をめぐって争いが起こる。

天国はと言えば、自分のことはさておき、箸で食材をつかんだら、対面に座っている人の口へ運んであげる。自分のことを「カンジョウニ入レズニ」(宮沢賢治「雨ニモマケズ」)、そして必ず誰かが自分の口へ運んでくれる。

同じ環境で、心の在り方が異なるだけで天国にも地獄にもなるということです。

イエスは言われました「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。(ルカ23章43節

Luke 23:43
Amplified Bible (AMP)
And He answered him, Truly I tell you, today you shall be with Me in Paradise.


磔刑にされたのはイエスだけではなく、他の2人の罪人も同じでした。
1人はイエスをあざけり、1人はイエスを擁護します。
そのときイエスは喜んでしまって、口走ったのがこの上記のセリフ。
today you shall be with Me in Paradise.

磔にあっても、そこはパラダイスなのです。

ここはエリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、神よ、なぜ私を捨てたもうたか)の詩篇22章の引用と並んで僕は好きなシーンです(マタイ27:46 マルコ15:34 詩篇22:1

 

 

(まといのばブログのミメーシスについての記事から孫引き引用)

 

 

 

 

ここまでで相当濃いセミナーでしたが、

舌骨ラピュタとエフィカシーの関係も面白かったです。

 

・舌骨(以外の骨もだが)の位置がズレているのは席がズレているようなもので機能を果たせない。

例えば、機長が乗員の席に座っていると力が発揮できない。力が発揮できないならエフィカシー上がりようがない

 

・身体においてだけでなく、集団においても発揮できる席がある。それぞれのリーダー要素(才能)がある。しかし、才能は他者にしか見いだせないので、他者(できればメンター)に頼るしか選択肢がない。

 

・舌骨ラピュタが下がっているとエフィカシーが下がる。 高い周波数を出すには舌骨をラピュタ化することになり、声を出しているだけでエフィカシーが上がっていく。

 

・頚椎一番のラピュタ化

 

情報空間、宇宙には明確に席があって、誰かが次のステージに行くと埋めるように次の人が選ばれるという話が、以前のセミナーでありましたが、身体においても同じなのですね。

骨にしろ内臓にしろ筋肉にしろ、位置がズレていたら想定されている機能を果たせず、別のところに負担が行くことも当然と思いました。

フラクタルな構造が面白いです!

 

 

舌骨ラピュタと同時の頚椎一番のラピュタ化、セミナー中に受け、すごかったです。

 

フィードバックとして、

  • 舌骨位が後ろ上に引っ込んだこと、
  • 地声で倍音響かせられたこと(裏声以外は苦戦してました!)、
  • 地声のピッチが高音に少し上がったこと、
  • 舌骨と頚椎で頭部の下半分が後ろ上方向にリフト(クレーンゲームのアームで挟まれ、自然と軽く浮くような感覚でした)

のようなものがありました。

 

相乗効果を感じました。

この調子で全身ラピュタ化って絶対すごい、と、改めて思った次第です☺️

 

 

KAZUMAさん、Arkスタッフの皆様、Arkセミナーありがとうございました。

Arkクルーの皆様も集団主義を実施できそうな人が集まっているので、コレクティブエフィカシーの大きさにワクワクしかないです。


Arkでも、この場でも、

良いことを増幅し合いましょう!

 

 

だいぶ記事が長くなってしまいました。

今宵はここで筆を置かせていただきます。

読んで頂き、ありがとうございました。

Hare✨❄️

 

 

 

 

 show me how you burlesque

アギレラの初映画作品『バーレスク』の最終盤に歌った劇中歌です。

 

映像もかっこいい!

 

映画を観てないとどういう心境かわかりにくい曲かもしれませんが、

イントロの

 

Underneath the city lights 

There is a world few know about 

Where rules don't apply, no 

And you can't keep a good girl down

街の灯りのその下に
ほとんど誰も知らない世界がある

 

ってところからかっこよくて好きです。

 

Okay girls, let's show them how it's done 

It ain't over 'til we say 

And we’ve only just begun

いい? 女の子たち
やり方を見せてあげましょう
終わるかどうかは、私たちが決める
まだ始まったばかりなんだから

 

Hit it up, get it up (Won't let you rest)

 Hit it up, get it up (This is not a test) 

Hit it up, get it up (Gotta give me your best) 

So get your ass up, 

show me how you burlesque

挑発し、最高のバーレスクを見せて!と歌うところも。

田舎から出てきたアリが、バーレスクの中で堂々とパフォーマンスしている様に感動しました。

 

私は元々アギレラの名前だけ知っている程度でしてが、

舌骨ラピュタ勉強会で好きな声質の人を挙げる時間に、

アギレラを挙げた参加者の方がいらっしゃいました、

そこからアギレラの曲を聞き、声と歌い方に心を打たれ、映画も観ました!

 

おかげさまで自分の「好き」を知ることが出来ました。

アギレラの歌い方も、バーレスクで表現されているような方向性のステージも、です。

ありがとうございます🥰

 

 

KAZUMAさんのブログでアギレラが紹介されている記事を発見しました。

引用します。

 

アギレラは幼き頃の家庭環境は過酷なものであり、、母が父のDVで家出を繰り返したあげく離婚し、アギレラは母方の祖母の家で育っています。さらに、母方は三人の連れ子がいる男性と結婚し、、環境の変化が凄まじいです。


そこで彼女が学んだのは、自分と自分のものを守ること、と言っています。


そしてプロ歌手としてデビュー後も旦那と離婚したりと波乱万丈な人生を辿るアギレラですが、
その中で、映画”バーレスク”に出たことでのインタビューで答えた内容が心に残りました。

「この映画に出たことでの収穫は他にもあるわ。私はイヤというほど自分自身と向き合うことになって、結果ずいぶん成長させてもらったわ。子供じみた私から卒業出来たと思う。だから、たとえこの作品がヒットしなくても私は後悔なんてしないわ。」

彼女は恐らく、自分自身と向き合うまでは過去を引きずっていて、、でもこの作品を通してそれを卒業できたのだ、と明確に言っています。実際、彼女も最初はアイドル的な感じでデビューしたものの、どんどん歌唱力を向上させ歌を全面に出すスタイルに切り変えています。どんどん進化していったのです。そして、幾度となく自分を卒業していったのです。

 

最近のTENETとの絡みで言えば、ゴールに向かう時もエントロピーの減少を回収するために、時間はかかるということです。
即ち、これはワープではなく”黄昏を生きる”ことでしか存在しえないのです。


ですので、明確に回収して、そして卒業していくのです。

殻を破っていくのです。

 

(かずまるーむより)

>私はイヤというほど自分自身と向き合うことになって、結果ずいぶん成長させてもらったわ。子供じみた私から卒業出来たと思う。

 

>実際、彼女も最初はアイドル的な感じでデビューしたものの、どんどん歌唱力を向上させ歌を全面に出すスタイルに切り変えています。どんどん進化していったのです。そして、幾度となく自分を卒業していったのです。

 

私たちも、ぶつかって、卒業していくことになります!

以上です。