片づけられない主婦が片づけ本を出版するまで③ | 家と自分と家族が変わる選ぶ片づけ

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片づけられない主婦と

片づけ嫌いの子どもを180度変える!
整理収納アドバイザー藤原友子です。
 
 
今日は片づけが嫌いの私が
片づけの本を出版するまでの話、その3.
これまでの記事はコチラ↓
子どもの時から片づけが出来なかった私は、
高校生に入学する頃、
団地から新しい一戸建て住宅に引っ越しして
3畳の部屋から6畳の部屋になりました!
とてもうれしかったです!
 
 
第一志望の高校にも無事に入学することが出来、
合格発表を見に行った父が、
泣きながら公衆電話から電話を掛けてきたのを
覚えています。
 
 
そしてそんな父が、高校入学を前に、私以上に気合が入り、
社長室にあるようなおっきい机を
勝手に買ってきたのです。
 
 
ものすごく引いたのを覚えています。
 
 
そんな父の期待とは反対に高校入学後に
どんどん成績が落ちていった私。
授業がまったくわからないので
学校が面白くありませんでした。
 
 
物理などは、平気で0点を取るし、
とにかく授業が苦でしかありませんでした。
 
 
高校入学後は、
小学校のころから習っていた大好きな英語を
もっと勉強し、今でいうCAさんや、
ホテルで働く人になりたいな、なんて
思っていましたが、
 
 
楽しかったはずの英語の授業も
ついて行けないから、単なる地獄。
 
 
その後、本当に何になりたいのか考えた時、
中学校の合唱コンクールで、
当時の音楽の先生に伴奏を褒められて、
「私も音楽の先生になりたい!」という思いが
再燃し、音楽系の進学を目指すことを決意しました。
 
 
しかし、やっぱり努力はしたけど下手くそなんです。
 
 
推薦入試で、ピアノの練習曲の定番、
チェルニー50番の課題曲を初めの1小節目で間違えて、
その瞬間に動揺して、鍵盤から手を放してしまい、
何度も弾きなおすけど、その1小節目で引っ掛かる…。
 
 
その体験はその後何度も夢に出てきました。
 
 
その後一般入試を受け補欠合格。
 
 
ちょうどその補欠合格という微妙な連絡をもらった日は、
テレビのワイドショーで、
若乃花の婚約会見をしていました。
 
 
2人がニコニコと幸せそうに画面に映っていたのを、
高校生の私は、
「ふん! デレデレしやがって…、別れろー!」なんて
言いながらふてくされていたのを覚えています。
 
 
そして、3月中旬も過ぎ、
みんなが進路が決まっていく中、どんどん不安が大きくなり、
ようやく、決まった繰り上がり入学。
 
 
居間、考えたら、底辺からのスタートが、
私には良かったのかもしれません。
練習量だけは、人に負けませんでした。
 
 
はずかしい!という思いがあったので。
 
 
ただ、やはり思い出すのが、
推薦入試での大失敗。
 
 
だから、ピアノのレッスンでも緊張して、
まったく弾けないのです。
 
 
即興の演奏などを求められる作曲や和声の
授業には、全くついて行けませんでした。
 
 
そして、当時一番仲の良いお友達は、
愛媛出身の頑張り屋さんの女の子でした。
彼女の部屋に行くと、
グランドピアノの上にディズニーや、
宝塚のグッズがキレイに飾られています。
 
 
使った食器はすぐ洗うし、
化粧品などの必需品は、
引き出しにそれぞれ分けられ収納され、
ものすごく効率よく暮らしていました。
 
 
遅刻とか絶対にしない彼女とは対照的に、
私は、毎日のように汚い部屋で朝寝坊、
彼女が迎えに来てくれるノックの音で、
目が覚めることもよくありました。
 
 
そうなのです、実は
私は「片づけなさい!」と言う
母の存在がなくなったため
だらだらと散らかった部屋で
暮らしていました。
 
 
コレはそんな私を心配した母からの手紙です。
広告の裏にびっしりと書かれています。
 
 
梅宮アンナのくだりは笑えます
しかし!羽賀研二みたいな男とは付き合っていません。
 
 
ただ、うちの父は梅宮辰夫みたいで怖いとは
言われていました。
きっとこの頃、アンナと羽賀研二の色々なことが
あった時期で我が子を心配したのでしょう。
(なつかしー)
 
 
当時の私は
布団とか上げたことなかったかもしれません。
干した記憶もない(笑)
ただピアノだけはまじめに弾いていました。
 
 
少しずつおしゃれをするようになっても、
洋服は押し入れの中に山積みにされ、
化粧品はその辺に転がっていました。
口紅なんて、しょっちゅう紛失します。
 
 
毎朝、布団をめくって、化粧品や
時には楽譜や教科書を探していました。
 
 
この時は、本当に自分に自信がない時期でした。
 
 
しかし、
2年生になる頃、ようやくコツコツ練習を
重ねてきた成果が出てました。
 
 
同じピアノ専攻の友達が、
ショパンなどの華やかな曲を与えられるのに対し、
私は、本当にピアノ専攻の大学生かい!?と思われるような
中学生レベルの曲に後戻りすることとなりました。
(チェルニー30番や、バッハのインベンション)
 
 
周りにそんなを弾いているの!?と
思われるのが恥ずかしくて、
練習するのも嫌だー!と思いながらも、
当時の先生が丁寧に教えてくださったおかげで、
 
 
ピアノの楽しさに気づき、
それからは勉強が少しずつ楽しくなり、
学校へ行くのも友達と過ごすのも
楽しくなってたくさん勉強もしたし、
たくさん遊ぶようになりました。
 
 
ピアノ以外の楽器の友達と話したり、
アンサンブルをするのが何よりも
刺激的で楽しかった!
 
 
コンクールにもチャレンジしたし、
念願の卒業演奏会にも出演できたし、
夢だったオーケストラとの競演も
果たすことが出来ました。
 
 
でも、卒業間際になり、
就職活動をしたり、教員としての採用が
決まっていく友人が多い中、
実は私はな~んにも
就職活動をしていませんでした・・・。
 
 
理由はいろいろありますが、
実家に帰りたくなかったのです。
 
 
そんな私が実家に帰り、
片づけができない女を極めた話は、次回
 
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