恋愛やビジネスでさ、相手が思い通りに動かないって嘆く方には今日の話は効くぞ。
音信不通の彼と向き合う処方箋などを何度か書いてきたけど、本当は人間関係においてこれが大切ね。
ま、結局自信をつけましょうっていういつもの話ですわ。
先日、新しいクライアントさんを迎えるにあたり、私は師匠根本裕幸とのカウンセリングノートを読み返してみたのよ。
そのノートには、根本が毎回私に出した宿題が書かれていたの。
私は、彼のカウンセリングは月イチペースで6回受けたんよ。
それでさ、私びっくりしたのよ。
根本からの宿題には毎回必ず、父と母と向き合うことが出ていたんよ。
私が取り組みやすいように、宿題の内容は微妙に違ってたけどね。
宿題は私なりに手を抜かず取り組んでいたつもりだった。
だって私は自己否定真っ只中で、つらい状況を抜け出したかったし。
にもかかわらず、毎回同じような宿題を出された。
今振り返って思うと、当時の私には、まだ両親との関係を見直す大切さを分かってなかったわ。
過去のノートを読み返したら私は泣けてきたわ。
私頑張ってたなぁ。必死だったなぁ。
一年半前とは比べ物にならんくらい、今の私は楽しい生活を送れてるなぁ。
今以上に不器用でとがってた私に、当時、根本はよくしてくれたなぁ。
根本師匠へ
あの節は本当にお世話になりました。
ありがとうございます。
御礼に私は、あなたに私の成長を見せ続けます。
つまり、ごたぼー(予定)の合間を縫って、大阪市内でのセミナーに参加して、質問して、あなたにお金を払い続けるってことです。
そして、引き続きあなたの宣伝をします。
自分を振り返って思ったのよ。
相手に何かを伝えたところで、相手がすぐに反応できるとは限らないって。
相手がいっぱいいっぱいだったり、受け取るのを拒んでいたり、必死で考えてる可能性があるもん。
私が出来るのは、せいぜい手を変え品を変え、相手が受け取りやすい球を投げ続けること。
相手が受け取ると信じて、ただ私は相手のタイミングを待つだけ。
根本が私にしてくれたことを書いてみたんやけど、分かりにくいな。
相手には相手の受け取るタイミングがあるから、相手を信頼して待とうって言いたいねん。
例えば、私が誰かに美味しいお菓子を食べてもらいたいと思ったとしましょう。
相手がおなかいっぱいなら、私がクッキーを渡しても受け取れないよね。
だから、私のおすすめを受け取れ!と強要は出来ないよね。
その時は相手の受け取れるタイミングじゃないもん。
ほんでもって、相手はお菓子を拒んだだけで、私を拒絶したわけじゃないよね。
これ結構大事よ。お菓子を拒む≠私を拒む。
とは言え、相手がいつ空腹かは私には分からない。
受け取って欲しい私は、折に触れて与え続けるしかないよね。
相手はクッキーが好きじゃない可能性があるから、時にはマドレーヌに変えてみる。
手を変え品を変え、相手が受け取りやすいお菓子を与え続ける。
そんなことを繰り返していたら、相手もいつか受け取るでしょう。
キャロさんがそこまでおススメするお菓子だったら、ってさ。
自分が与える(分かって欲しいと思う)タイミングと相手の受け取る(理解する)タイミングは違う。
だから、私はできることをやって、ただ相手を信頼して待つ。
ちなみに、期待は裏切られるけど信頼は裏切られない。
執着があるかないかが違いやと私は思ってる。
相手を信頼することは自分を信頼することと同じ。
上の例で言うと、キャロさんがおススメするお菓子だったら、って私は思われる存在やと信じるのが自己信頼。
自信があれば、相手を信頼して待てるのさ。
だから逆に言うと、自信がない人ほど、自分のペースを相手に押し付けて相手をコントロールしちゃうのさ。
相手のペースを尊重できる人は、自信があるんですな。
根本が身を以て教えてくれたわ。
あざーっす。
師匠から学ぶことは今もたくさん。
そして師匠の姿から学べる私もすごい。
ま、こんな殊勝なことを書きつつも、私もまだまだ他人をコントロールしようとしちゃうけどね。
本日は弟子講座の課題提出日です。
ほとんどやっていません。
しかし、最初は未提出でいこう!と思ってたのに、やろうとする自分を褒める。
自分を褒めるってこういうことよー!
やっていない自分を責めない。