広島の帰省は、連休だけのわずかな時間でしたが、姑とはコロナ以来の顔合わせ。
他愛ない会話と墓参りをするだけでしたが、家族、親戚と良い時間を過ごせました
広島といえば、今月は終戦記念日があります。
娘が小学校の高学年だったと思いますが、社会の授業で平和について学ぶ機会があり、その時姑から先祖について教えてもらうことがありました。
その時に姑の祖父、娘の高祖父が広島の戦後の復興を担った教育者であり、Wikipediaにも載っている人物であることを知りました。
Wikipediaにない、家族ならではのエピソード(誰もが教科書で知っている人物の通訳もしていました)、教え子達が残してくれた寄稿文からは、先祖が私財を投じただけでなく、方々を駆け回り学校の復興のために尽力したこと、それに対する教え子達の感謝の気持ちが溢れていました。
先祖がどんなに立派だったとしても、今自分がどのように生きているかの方が大切なのですが、お盆や帰省の時にそうした先祖を振り返ることも良い学びです。そういう意味で先祖の記録が残っているのはありがたいな、と思った次第です。
数ヵ国語を話すことが出来たため有名な人物の通訳を務めた先祖もすごいのですが、私がひそかに尊敬している人が身近にいます。
それは孫にあたる姑です
子育てや介護を立派にこなした姑のことは日頃から尊敬していますが、舅が40代の若さで亡くなった後、3人の子育てをしつつ、20年以上続けている習慣があります。
平日毎日、ラジオとテレビの英語を自学自習で学んでいるのです。
「最近は海外旅行も行かないし話す機会もないから、学んでもすぐわすれるのよ」
と言うのですが、買い物には自分で作った単語帳を持ち歩き、家ではノートに聞き取った英語を書き取っています。
80歳を控えた姑の毎日継続している英語学習のノートです
大学の専攻は家政科で今でも現役のプロの洋裁師ですが、専攻としていなかった英語をこれだけ日々継続して取り組む姑を見ると、継続は力なのだとしみじみ思います。
…思っても、私はとても真似しますとは言えません
私は嫁の立場ですのでその血筋は受け継いでいませんが、娘には努力できる遺伝子が受け継がれていますように