こんにちは。
1 アウシュビッツ強制収容所ってなんだ?
あまり詳しくない方、知っているけど忘れてしまった方のために説明します。(参考:ウィキペディア)
アウシュビッツと一言で言っても、実はアウシュビッツはアウシュビッツ1とアウシュビッツ2(ビルケナウ)に分かれています。
「働けば自由になる」と書かれたゲート。
メガネや貴金属、または義足までも押収されました。全て館内に展示されています。
長く続く、施設内の一番奥の、線路の終わる場所。
3 アウシュビッツに行って思ったこと
オランダ帰りの女子大生あつこです。
いつもふざけている私ですが今日は真面目な記事を書きたいと思います。
(ちなみにいつもの記事はここから)
オランダに一年留学している間、授業の合間を縫ってあらゆる国へ旅しました。
その中で、最後の最後、帰国の直前にどうしても行きたかった国。それがポーランドです。
なぜか。
そう、タイトルにもあるように、ヨーロッパの代表的な負の遺産、アウシュビッツ強制収容所を見てから帰ろうと思ったのです。
ずっと行きたかったのですが勇気が出ず、暖かくなる季節を待って、今年の7月に行きました。
今日はその時に見たこと、感じたことを書きます。
辛い話なので苦手な方もいるかもしれませんが、いろんな方に読んで欲しいです。
1 アウシュビッツ強制収容所ってなんだ?
あまり詳しくない方、知っているけど忘れてしまった方のために説明します。(参考:ウィキペディア)
第二次世界大戦中、ドイツのアドルフヒトラーはユダヤ人絶滅を掲げ、ポーランドにユダヤ人の収容施設を作りました。
施設自体を作らされたのは収容されているユダヤ人だったそうです。
アウシュビッツという名はドイツ語で、ポーランド語でオシフィエンチムという都市にあります。
当時ポーランドはドイツの占領下にあり、ヒトラーはひとまずドイツ国内からユダヤ人を追放するためにポーランドに施設を構え、施設内まで続く鉄道を引いて、ユダヤ人を輸送しました。
その鉄道が、タイトルにも付けたあの線路です。施設内の一番奥(ガス室)まで続いています。
着いた瞬間に、働ける男たちは強制労働、女子供や老人は直接ガス室へと振り分けられて多くの命が奪われました。
「シャワーを浴びる」という名目でガス室に誘導していたため、収容者たちは、服も何もかも脱いで、フェイクのシャワーヘッドのついたガス室に詰め込まれました。
2 アウシュビッツ強制収容所の中の様子を紹介します
アウシュビッツと一言で言っても、実はアウシュビッツはアウシュビッツ1とアウシュビッツ2(ビルケナウ)に分かれています。
冒頭の線路の写真はアウシュビッツ2(ビルケナウ)です。
ここからはアウシュビッツの中の写真をダイジェストでどうぞ。
アウシュビッツ1の施設内から。
着いたらまず髪の毛を切られ、囚人服を着せられて、体に番号の入れ墨をされました。
初期の頃は収容者の写真や番号、出生のデータなどを管理していたようですが、後に戦乱の中でもうデータを管理せずどんどん送り込んでいたようです。
その時の収容者の写真は施設内に掲示されています。
施設の周りには電流の通った柵が張り巡らされています。
強制労働の辛さのあまり、自ら体を柵に押し付けて感電死を選ぶ方もいたのだとか。
施設内の様子。
あとで返してもらえるように名前の書かれたスーツケース。
強制的な移民政策だと聞かされて、家財を全て持ってポーランドの地まで移動して来たユダヤ人たち。
ナチスによって持って来たものは全て押収されてしまいます。
こんなに小さい子もいたんですよね。。
施設内の様子。写っている煉瓦造りの家が、収容施設です。復元されているものもあると聞きました。
かつて収容されていた人たちが寝泊まりしていたこの施設1つ1つが、今は展示のある博物館となっています。
この、11番目の棟の前。ここが、銃殺の場だったそうです。
このアウシュビッツ1には、復元されたガス室と焼却炉があり、中を見学できます。ガス室で亡くなった遺体を焼くのも、同じ収容者でした。
ここからは、ビルケナウと呼ばれるアウシュビッツ2の写真。
ビルケナウと呼ばれるこの2番目の施設は、収容者の増加とともに建てられました。
第二次世界大戦でドイツが敗戦し、犯罪の証拠隠滅のためにほとんどの施設を破壊したため、今では広大な廃墟です。一部見学出来るようになっています。
収容者を運んだトロッコ。
窓もなく、ぎゅうぎゅう詰めで運ばれたそう。
長く続く、施設内の一番奥の、線路の終わる場所。
ここが、ガス室。
地下に作られたこの施設には、細長い脱衣所があって、その先の部屋がガス室でした。
3 アウシュビッツに行って思ったこと
本当に悲しい気持ちで見学していました。
そして、みなさん当たり前だと思うかもしれませんが、私は見学を通して「これ、本当に現実にあったことなんだ」と改めて認識しました。
そして、今回いろんなものを見ましたが、到底そこにいた人たちが何を思っていたかなんて、見ただけじゃ想像しきれない。
勇気がない私は、寒いポーランドの冬を避けて、7月のいい天気の日に見学しましたが、十分なご飯も設備も与えられず、冬を過ごした収容者たちのことを考えたら…。
遺体の一部なので写真撮影禁止で、上には載ってませんが、亡くなった方々の「大量の髪の毛」も展示されていました。
人間の髪の毛で織物を作っていたんだとか。
また、ここは多くの人体実験が行われた場所でもあります。「死の天使」と呼ばれたヨーゼフ・メンゲレを含む多くの医師が、人を人だと思っていないような恐ろしい実験を繰り返しました。(怖すぎるのでここには書けませんが、わたしは生還者の体験談やインタビューを読み漁りました。)
一言で言えば、想像も出来ないような恐ろしさを感じました。
調べたり、実際に行って展示を読んだり見たりして、知らなかった事実を学んだ、そんな旅でした。
帰国の直前(この3日後に日本に帰った)になんとか行けて良かった。また今度、ガイド付きで訪れたいと思います。
詳しい行き方など興味ある方は、この方のブログを参考にどうぞ。
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