もうすぐゴールデンウイークですが、
なんだか肌寒くて雨がつづくお天気ですね。
今年に入ってから、毎朝15分ぐらい、
ミニ礼拝をする習慣をもつようになりました。
しかしもともと朝が弱い体質ということもあって、
正直あまり礼拝に集中できてない日のほうが多いです(^^;
口ではお祈りの式文を丁寧に朗読しながら、頭は他のことを考えてて。
ぜんぜん神様に心を向けるお祈りになってない。
とくに主の祈りは、無意識に暗唱するだけで終わりがち。
賛美を歌っていても、心が上の空というか、
歌詞の内容がぜんぜん味わえてなくて、
ほんとにただ歌ってるだけという感じ。
これではいけないと、最初からもう1回礼拝をやり直すこともしばしば。
そんな形だけの礼拝は無意味では?
神様だってそんな礼拝は喜ばないだろう?
無理に礼拝しなくてもいいんじゃないの?
そう思わないでもない。
しかし実際には、私の心と頭がぜんぜん礼拝に集中できなくてずっと上の空であっても、
心と魂はちゃんと礼拝の内容を聴いているようです。
終始ぼんやりしながら歌った賛美の歌詞とメロディーが、
礼拝が終わった後でも、脳内でぐるぐる勝手に再生されます。
仕事中に定型祈祷文の一部をふと思い出したり。
脳が無意識に聞いて覚えてるんですね。
神様への賛美なんか歌う気になれない時。
歌詞の内容をばかばかしい綺麗ごとだと思いながら歌う時でも。
無理やりでも歌ってるうちに、少し気持ちがやわらぎます。
祈る気力もわかない時。
自分の言葉でお祈りをするエネルギーがない時。
祈祷文の棒読みでいいから、とにかく声に出して祈る。
あくまで個人の家庭礼拝の場合ですが。
神様を礼拝する気分ではない時でも、
なんとか形だけでも神様を礼拝するひとときをもちたいと思う。
その想いに神様がよりそってくれるのだと感じます。
本当に心が神様から離れているなら、
「神様を礼拝したい」
という気持ちすらわいてこないでしょう。
お祈りが棒読みだろうが、讃美歌が上の空だろうが。
どんなひどい形だけの礼拝内容でも。
神様を礼拝したい気持ちがあるからわざわざ礼拝の時間をとっている。
礼拝内容には集中できてなくても、
神様といっしょに過ごしたことには変わりない。
もちろんキリスト教会の礼拝がこんな調子では困りますが。
個人で家庭礼拝をする場合は、事情がいろいろ異なりますから。
神様は私たちのコンディションを誰よりもよくご存じです。
コンディションが悪いなら、悪いなりの礼拝内容でも、
神様はともにいて支えてくれていると感じました。
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詩編 117編
主を賛美せよ、すべての国よ。
主をほめたたえよ、すべての民よ。
その慈しみは私たちに力強く
主のまことはとこしえに絶えることがない。
ハレルヤ。
Laudate omnes gentes,
Laudate Dominum.
こういうシンプルでエンドレスな賛美歌は、
無意識でも上の空でも歌えて重宝します。
元気な長調の讃美歌はしんどい。
パワフルなゴスペルは聴くだけで疲れる。
そういう日もあります。
いろんな讃美スタイルがあるから、
自分に合ったやり方で、神様を賛美できたらよいですね。
今後も朝礼拝の習慣はつづけるつもりです。
礼拝に集中できてもできなくても。
私の気が乗らない日でも。
主イエス・キリストは昨日も今日も
永遠に変わらず共にいてくださいます。
神様と一緒に過ごしているという喜びがあれば
家庭礼拝としては十分OKかなと思いました。
神様が喜ばれる礼拝とは何なのか。
実地で考え体験する機会を与えられていることに感謝☆
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』
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↓聖書を読んで、神様ともっと仲良くなりましょう☆
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