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ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)介護人材の減少、テックの向上

介護人材の不足は深刻と言われている。実人数は右肩上がりに上がって令和4年の215万人が令和5年の調査では212万人に減少した。

 

つまり日本人が介護をやらなくなったという事だ。

以前から介護は「長男の嫁」が担うような、もともと介護という面倒事を誰かに押し付けるような事は昔からあったと思う。それが数十年前から言われていた核家族化や都市化、少子化などの影響で、子供が親を介護できる状況に無くなった事が拍車をかけ、介護がサービスになった事、現在はどの業界でも人不足で、介護の仕事を選ぶ人自体が少なくなったことなどが背景としてあると思う。

 

そして介護福祉士の養成施設の入学者は、今年外国人の方が上回った。入学者がおらず、閉鎖した介護の専門学校が増加したという事は以前このブログで書いたが、学校を生き残らせるために留学生を入れているという、最近よく見られる学校存続のスタイルになっているのかもしれない。

 

つまり日本人にとって、介護の仕事は将来性も無ければ夢も希望も無い、選ばれない仕事になったという事だ。これを打開するには、早く介護ロボットを始めとしてテックが必要だが、まだまだ道は険しいというのがこの記事だ。

 

(2)機械に支配される老後

最近よく見られるのがAIによるケアプラン作成。

国の方でも機器を用いた業務効率化が良く言われている。ある程度の導入があれば、担当件数を増やすことも出来る。

 

まあ、これはケアマネ不足や、ケアマネの給料が安い為に担当件数を増やして介護報酬を増やすという側面もあるから、必ずしもケアマネに有利とはいえないものだが。

 

話をAIによるケアプラン作成に戻せば、コメントにもあるようにケアマネが思うようなプランにならないようだ。

これはアセスメントの入力の仕方が悪いのかとなってしまうが、これはそのように振り返るケアマネがいるからこそ、そういう思いが出ると思う。今後、ケアプランは全てAIでとなったら、おかしいと思っていてもAIが出したプランがこれだからと利用者の所に持って行くという事にもなるのだろう。

 

利用者も納得いくのかいかないのか分からない状況でサービスを受けるという事になる。

 

そして介護従事者もロボットであれば、AIプランの命令に従うしかないだろう。

 

もしかしたら機械に支配される老後、という事になるのだ。

 

(3)人間にとって都合の良い機械であって欲しい

子供の頃、「銀河鉄道999」という映画があった。機械に支配された地球を少年が取り戻すというものだ。限りある命の尊さを訴えた名画であったと思う。

 

そう思うと、機械に支配された地球の姿というのは、このように機械の言いなりになる老後という事と重なるかもしれない。窮屈で貧乏で、隅に追いやられるような生活を強いられる。

 

これから介護は機械に頼らざるを得ないとなるかもしれないが、それは人間にとって都合の良い機械の事で、機械にとって都合の良い人間になっては本末転倒だ。

 

しかし、もし機械が感情を持てば、そういう懸念も現実化するかもしれない。

 

 

 

(1)介護保険は全てをカバーできない

介護保険制度が始まる頃、「介護保険サービスはサービス全体の一部」という認識はあったと思う。特に訪問介護では出来ることと出来ない事の議論は繰り返し行われた。例えば電球交換や窓ふきは出来ないとされている。しかし当たり前だが、電球が切れたら暗いままで生活しろという事か?という疑問符が付く。

 

我が社でも実地指導が入った時にヘルパーの報告で「仏壇掃除をした」というのがあった時に、「これは重大な不適切事例だ!」とギャーギャー騒がれたこともあった。

 

つまり利用者は必要だからヘルパーを頼んでいるという認識だし、制度としては日常生活の範囲の事をさせるという事で、大掃除は出来ないという認識だ。

だから大掃除というのがこれとこれと全て挙げてくれれば良いのだが、そういうのは自治体判断という逃げるのである。

 

とにかく介護保険制度というのは欠陥が多い。自費サービスというのは理解できるが、それは介護保険制度の欠陥を穴埋めするものとして考えると、それはそれで間違った方向に行く可能性もある。

 

(2)欠陥だらけの制度で犠牲になった介護職

パッと考えて、訪問介護における自費サービスが必要なのは院内介助と生活援助だろう。

 

これも院内介助が必要と認められれば介護保険で算定できるものなのに、その過程が面倒で自費にしているケアマネも多いと思う。

 

そして私がヘルパーの時に最も厄介だったのは生活援助である。それは利用者の希望通りには絶対にならないからだ。というのも簡単にできる掃除であれば要介護の人でも出来る。出来ない所をヘルパーに頼みたいのに、「それは大掃除なるのでヘルパーは出来ません」と言われてしまうと、それがクレームになるのだ。

 

そして、介護保険では出来ないから自費なら出来ますよ、という事になるが、自費を支払うというのは利用者も相当抵抗がある。そんなにお金がかかるならやらなくて良い、と言われてそれで済めば良いが、それはクレームとなって跳ね返る。そうするとケアマネが無料でやってしまうというのが良く言われる事だろう。人によってだが、利用者はタダで何でもやってくれる人を求めている。

 

だからケアマネはシャドーワークを絶対にやらない。ヘルパーが出来る範囲も絶対に限定する、それ以外の事は絶対にやらないという覚悟が必要だ。そもそもの考え方として「性悪説」に基づくというのは大事だと思う。人が善意を見せれば、それを利用しようとする奴は絶対に出て来る。そしてその「善意」に負けてケアマネやヘルパーはタダ働きを強いられてきたのが介護保険の歴史なのだ。

 

(3)介護サービスに差が出て良い

しかし自費が当たり前になると、それを支払える人と支払えない人が出て来る。そして支払えない人の扱いをどうするのか、という議論は必ず出て来る。

 

結論から言うとそれで良いと思う。

 

介護保険が民間の営利法人が行うサービスになった時から、その質や量に差があって当然だ。もっと手厚いサービスをして欲しいというのであれば、お金を払うのが当然なのだ。

 

高齢者福祉はもはや保護の措置では無い。高齢者自身が選択できるサービス事業なのだ。

 

介護者も何でも引き受けるのではなく、出来ることと出来ない事を区別する必要がある。本来であれば介護保険が始まってすぐにこうした議論が出るべきであったが、今からでも遅くはない。そしてそこから新しい何かが生まれることを期待する。

 

 

 

(1)二つの震災を振り返る

私が社会人になってから今までを振り返ってみると、阪神淡路大震災から新潟中越地震、東日本大震災、能登半島地震など、様々な地域で災害が起こった。その大部分を介護・福祉業界で働いていたのだが、阪神淡路大震災と小地谷地震の時を語ってみたい。

 

阪神淡路大震災は平成7年(1995年)1月に発生した。私はちょうどその8月に養護老人ホームの生活指導員に転職した時だが、その施設でも一人職員を派遣していた。

本人の希望か施設の意向か詳細は分からないが、大学の時にボランティアをしていた私にすれば、そういう活動はさもありなんと思っていた。

 

対して新潟中越地震は平成16年(2004年)10月に発生した。この年は私が起業した年で、訪問介護事業者連絡会に入った年でもあった。そこで自治体からヘルパー派遣の要請があったが、協力する事業所は皆無だった。

事業所によってはオムツを送るところもあったが、本当に必要なのは人材だったと思う。この頃から千羽鶴はゴミにしかならないと言われ始めた頃だった。

 

この違いは介護保険になり、ヘルパー不足が言われ始めた時でもあるし、ボランティアを派遣した老人ホームは社会福祉法人であるのに対し、営利企業が自腹を切ってまでボランティアに参加はしないという事が当たり前になったきっかけでもあっただろうと思う。

 

(2)災害時には

「人助け」というのは聞こえは良いが、全くの素人が気持ちだけで行っても足手まといになるだけだ。

 

ましてや被災者の人は気が立っている。明日をも知れぬ我が身を案じるだけで精一杯なのだ。更に言えば日本人の背勝レベルは高い。ウオシュレットが無いと要持たせないという人がいたら、こういう被災地では用を足すだけでもストレスになる。つまり生活レベルが上がった分、それが落ちた時のダメージは相当大きい。また避難所や仮設住宅などは、今まで住んでいた所に比べれば劣悪だ。そこで被災者が思う事は、早く今までに近い生活をさせろという事になるだろうと思う。

 

それにそこに要介護者がいたら、早くどこかに連れていけというのが本音だろう。

 

こういう非常時は自分が生き残る事が最優先だ。弱い奴は踏み台になるしかない。ましてや助けようなんて思うほど余裕は無い。

 

そういう所にのこのこ行って「何かお困りごとはありませんか?」なんて言おうものなら「ふざけんな!」と怒られるのが関の山だ。

 

要介護者も健常者も非常時には早く助けて欲しいのだ。

 

(3)BCPとは言うけれど

よく介護の仕事をしているのだから、災害時には率先して要介護者の支援をするのかと言われるが、残念ながらケアマネであろうがヘルパーであろうが被災した時は一般人と同じ被災者になる。そうすると、マスは自分の身を守ることが第一で、その次に家族。仕事はその次という事になる。

 

それに介護を計画するのであれば、ヘルパーや看護師がどのくらいいて、必要な支援を提供できるかが必要になる。どんなに「ヘルパーが必要です」といっても動けるヘルパーがいなくては話にならない。

 

そこで「共助」とか言ってボランティアで、なんて生ぬるいことを言う人もいるが、それこそ人を馬鹿にした話で、誰が好き好んでそんな非常地域でタダ働きするのか、という事である。

 

従って、計画や制度を作るのは結構だが、そんなに人は甘くないという事は念頭に置くべきだと思う。介護事業所にBCP計画策定の義務を課せられているし、研修でシュミレーションなども行うようだが、おそらく全く機能しないだろう。

 

とにかく「生き抜く」事が第一で、それ以外は成り行きに任せるしかない。

 

災害支援ケアマネなんて言うが、今までの災害でどれだけの協力が得られたのかという実績はどれだけか発表して欲しい。職責だのという悠長な事は言っていられないはずだ。