ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)人の役に立たなくても。

社会福祉が社会学の一つであるから、この方のお名前を聞く機会は少なくない。私はフェミニスト・ジェンダー研究の第一人者という印象がある。フェミニズムというのは学んだ事が無く、耳にするのはメディアなどからだ。それを聞くと、個人的には過剰、かつ無理があるような主張に聞こえる時がある。例えば「女性管理職の割合の低さ」だが、医療・福祉業界にいる私からすれば、むしろ女性の方が役職についている割合が多い。

 

つまり男女は「平等」ではなく「対等」だと私は思っている。お互いの立場を尊重してお互いの役割を果たせばよい。「ジェンダー・フリー」と言っても、男女が同じ働きをすれば良いというものでは無い。

 

まあ、フェミニストの話はここでは良いとして、この記事で「人間、役に立たなきゃ生きてちゃいかんか?」という問いは個人的に賛同する。それは介護予防のチェックリストで高齢者に聞く質問でもあるからだ。

 

(2)あなたは人の役に立っていない=うつ病!?

正確には「(ここ2週間)人の役に立つ人間だとは思えない」というモノだが、現役世代の私たちでもいきなりこんなことを聞かれたら困ってしまう。しかも項目は「うつ予防」である。

 

家族がいるとか、会社で活躍しているという「守るべき」人や物があるなら「役に立っている」と言えるだろうが、謙遜して言えない場合もあるだろう。中には本当に「役に立っていない」と思っているかもしれない。更に独り身だったり、年金だけで生活している人にこの質問で「役に立っている」と言える人は少ないだろうと思う。

 

この「うつ予防」は5つの質問があり、2つチェックが入ると「介護予防・支援計画表」のうつ予防の所にチェックが入る。下手をすると本当に「うつ病か!」として何か手を打たなければならないと考えるケアマネもいるだろう。この質問を投げかかる時、いつもそんな事を考える。

 

(3)何となく生きていれば良い。

この世の中、何だかんだ言っても平和なのだと思う。

今の若い人が政治に無関心という人もいるが、無関心なのに生活できているというのは平和な証拠なのだろう。逆に政治腐敗を理由に政権を打倒しなければ生きていけない、自分たちが殺されるからクーデターを起こすなんて言う地域もあるだろう。

 

この話も同じ。「人の役に立っていない」と思っていても、何となく生きていれば良いと思う。世の中の事に関心があり、将来の国を憂い、というのも頭の体操には良いかもしれない。しかし本当に心配しすぎると、それがうつ病の原因にならないかと思う。

 

だから何となく生きてりゃいいじゃないかと思う。そうやって生きていられるのなら、平和という事では無いだろうか。

 

 

(1)理屈で語れない価値を。

私は50代半ばの独り身である。自営で収入もあるから、生活には不自由していない。物欲はあまりないから生活費がさほどかかるわけでも無い。趣味もそれなりに出来ているから、今の暮らしは満足している。生きていく上で希望は無いが絶望も無い。雨の降る心配の無い曇り空が一番安心できるような感覚である。

 

その上で社会で生きていくという事を考える。

個人的には今の生き方が嫌いではない。男一匹という言葉を使うのであれば、そんな生き方をしていると思う。しかし本来は家庭をもって子孫を残す事は人として必要な事だと思う。家を継ぐというのは好き嫌いでは無く義務のようなものだ。

 

しかし家庭を持つと今のような自由な生き方は出来ない。子供の事は心配だし、お金も自分の為だけのものでは無い。それでも家庭を持つというのは理屈では無い「当たり前」がある。

 

この理屈では無い「当たり前」を本能というのだろう。

つまり私を含めて理屈で考えてしまう「頭でっかち」であったり、物質的な満足にしか見えない人にとっては、精神的な満足というのは理解しにくいものかもしれない。そしてそういう人が増えているというのが現実なのだろう。

 

(2)一時の「楽」ではあるが。

当たり前だが、今の私の生き方は「楽」である。嫌な事、面倒な事を排除すればそうなるのは当然。しかしその「楽」というのは永遠に続くものでは無いと思う。

 

例えば入院時や施設に入る時の保証人。親族との付き合いがあれば保証人になってくれる人もいるだろうが、日頃そういう付き合いを鬱陶しがる人はそういう事も出来ない。そうであれば保証会社を探すしかなく、その善し悪しは様々だろう。

 

そう思うと、今まで「嫌だけどやってきた」事を無くすことは一時的には楽なのだが、いざという時に困る事になる。そして日本人はそういう人のつながりで歴史を紡いできたとも言える。

 

ハッキリ言って楽では無いし、気も使う。自分で稼いできたものも余れば何に使っても良いが、自分の欲しいものを我慢してでも家族の為に使う。そういう一つずつ気を遣う事によって和を保っていた。ところが今は「個」を大事にする時代である。そして物質的な満足度で豊かさを測る時代だ。そういう時代は逆にわかりやすい。なんでもお金で解決するからだ。

 

(3)日本人は変わってしまった。

明治維新以降、そして第二次世界大戦以降、日本人の在り方自体が変容した。世界が理解できない、そして恐れた日本人のつながりの強さはもはやなくなったと言える。

 

従って、記事のようなものも必要になり、当然費用も発生する。費用が発生するという事はサービスにも差が出来、つまりは競争が起こる事にもなる。

 

安心も金で買う時代になったという事だから、抗ってもしょうがない。そのような気持ちで生きていくしかない。しかし私のような独り者にとっては、こういう取り組みはありがたいものになるかなとは思う。特にケアマネとしてもこういうものは知っておきたい事である。

 

 

 

 

 

 

 

(1)介護サービスの現在地

高齢者や家族というのは良い人ばかりではない。特に介護という難題は、介護者の生活自体を変えさせる。ではなぜ今までさほど社会問題にならなかったのかと言えば家制度という「家を継ぐ」という過程の中で行われてきた背景がある。「家を継ぐ」というのはその家の「商売を継ぐ」という事にもなる。だから家を継ぐというのは単純に家系を繋ぐという意味のほか、経済的なメリットもあった。そういう「理と利」の中で行われてきたものだと思う。

 

しかし近年になり少子化、核家族化、都市化といった変化は、今までの家族制度を崩壊させた。個人事業も大手にはかなわずに、家の商売を継ぐという事も少なくなっていった。更に結婚すれば親子別居が当たり前になる。それぞれが自分たちの収入で出来る生活でやりくりする事が当たり前になる。

 

つまりは家族という単位が小さくなった。会社で言えば個人零細企業ばかりになるという事だ。介護の業界でもこれからは大規模化が推奨されている。それは業務効率がメインだが、家族を社会の単位と見れば、複合家族の方が生活の効率が良い。勿論、そこでの自由は制限されるが、生活できなくなるよりは良い。

 

しかしこれからは核家族が当たり前だし、子供がいない家も多い。更には子供を産むという事は将来の介護要員か、という事まで言われるような時代である。そう考えると、介護というのは家族にとって厄介なものでしかない。しかもその厄介事をお金で賄ってくれるものがある。それが介護サービスだ。

 

(2)やり返してこない介護職は格好のターゲット

介護保険になり「介護はサービス」という事になったが、一方、福祉事業である事は忘れてはいけないのだろうと思う。当たり前だが人生の最終場面を安心して生活できるように支援しなければいけない。

 

そして介護は厄介であるという現実、そしてそれをお金で解決してくれる介護「サービス」というモノがある事は「厄介事を金で解決してくれる」という事だ。しかも「サービス」と名が付けば、「顧客満足度」という事も考えなくてはならない。

 

この二つの面を考え、ではなぜケアマネに危害を加えるのかを考える。

①そもそも制度の理解が無い。

介護保険というのは高齢者福祉全体をカバーしているものでは無い。シャドーワークがまさにそれだが、介護にお任せすれば何でもやってくれると思っている人は少なくない。ましてやケアマネは無料だ。タダで使えるなら何でもやらせたいという人は一定数いるものだ。

②やり方が分からないからやって欲しい

それに行政手続きというのは馴染みが無い人は多い。だからいくらケアマネが出来ないと言っても「ケアマネなら慣れているだろう」と「サービスでやってくれ」という事も言ってくる人もいる。

③介護サービス介入以前に家族間の問題がある。

介護というのはずっと述べてきた通り厄介なものだ。しかも今介護を行っている人は不本意ながら渋々行っている人も少なくない。だからその怒りを介護職にぶつける。なぜかと言えばやり返してこないからだ。その位介護職というのは軽く見られているし、実際その通りだと思う。

 

(3)対応する場所が間違っている。

だからそもそも介護職に危害を加えた、もしくは危害を加える可能性があるという人は介護サービスを受ける資格が無い位の処分が必要だと考える。勿論、このようなケース程支援を必要としていて、その表現方法が暴言や暴力につながっているという事はあるだろうが、それはその人の問題であって、介護職が悪いわけでは無い。

 

そして人に危害を加えたというのは立派な犯罪だ。軟禁された事があるというのもあるが、これも警察案件と言っても良い。個人の悲しみや苦しみがあるからと言って、人に危害を加えたら処罰されるのは当たり前だ。同情の余地も無い。

 

6月にケアマネ刺殺事件が起きたが、役所からは何の通達も無い。こういう事からも介護サービスというのは、守られていない危険な仕事であると言わざるを得ないのだ。

 

危害を受ける恐れがあるからモニタリングに行かなくて良いという事では無い。その危害を加える恐れのある利用者や家族をどうにかしろという事なのだ。