ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)ケアマネのシャドーワーク問題

2024年の「ケアマネジメントに係る諸問題に関する検討会」でケアマネのシャドーワーク問題が取り上げられ注目されるようになった。この問題は介護保険が始まってから常態化したが、四半世紀経ってようやく俎上に上がったという事である。

 

では何故四半世紀も放置されていたのかというと声を上げなかったからではない。

一つはケアマネは便利屋であるという事。

利用者や家族、役所や病院、地域包括支援センターやその他機関にとって、ケアマネは「タダで何でもやってくれる人」だ。それで「あなたが担当で良かった」とか「あなたは福祉の心がある」とか「頼める人がいなかったから助かった」みたいにおだてられて「嫌だ」と言えない状況を作り上げられてしまった事。

 

二つ目はケアマネの姿勢。

多くのケアマネが「自分たちは介護保険のキーマン」であることを自覚していたと思う。そこまでは良いのだが、それがゆえに他の職種を軽く見る傾向があったと思う。勿論、本人たちはそんな事を思っていない。そしてむしろ「自分たちの苦労を分からない政治や行政が間違っている」「自分たちがいなくなれば介護保険は持たない」として、苦労を聞きに来ない方が悪いと言わんばかりの態度だった。

 

そんな人に味方をしようなんて思わない。だから経営者から「ケアマネって大変だ」と聞いた事が無い。あれだけ威張っているんだから、この位の事はして当たり前という思いもあったのではないかと思う。これだけ放置されたのはケアマネ自身の姿勢にも問題はあったと思う。

 

(2)実は必要なシャドーワーク

ケアマネの仕事は「利用者にどのような介護サービスを活用して、自立した生活を営む支援が出来るか」という事である。しかしその「高齢者の支援」というのは介護保険サービスだけでは実行が難しい。それはインフォーマルサービスを使えという事になるが、利用者にすれば様々な人が入れ代わり立ち代わり来るという事はストレスにもなる。まして家族にすれば不特定多数の人を家に上げるという事はそれだけでストレスだ。

 

またこのシャドーワーク問題を受けて、文中にもある介護保険外の自費サービスも出て来ている。しかしこれも当たり前だがお金がかかる。「今までケアマネがタダでやってくれた」ものをお金を払わないとやってくれないというのは利用者や家族も納得しないだろうと思う。

 

表を見れば分かるだろうが、ケアマネが行うシャドーワークと言うのは実は必要なものである。

ケアマネのシャドーワーク解消へ、業務範囲の「線引き」案を提示 - ニュース - ケアマネジメントオンライン - 介護支援専門員の業務支援サイト ...

対応例をみれば地域資源、自費サービスやサポート事業に結び付けるとあるが、利用者や家族が「お金を払わない」とゴネた時はその必要に迫られていることが全て止まる事になる。「清潔な環境で過ごす」なんて目標を立てても、お金を払いたくないからやってくれる人がいない。目標を立てた以上、誰かがやらなくてはならないから、結果としてケアマネがやる事になる。それで感謝でもしてくれれば可愛いものを、「最初からお前がやればこんなに文句を言わなかった」とか言われると、それはケアマネだってムカつくだろう。

 

(3)シャドーワークと「ケアマネの質」問題

データによると、実に97.3%のケアマネがシャドーワークを経験しているという。先に挙げた通り、利用者や家族、役所や病院、地域包括支援センターやその他機関は、ケアマネに「相談」という形でタダ働きを押し付けて来る。

 

私はそういう依頼をされた時、「それってケアマネの仕事じゃないですよね?」とか「今問題になっているシャドーワークですよね?」というようにしている。結果としてやらざるを得ない事になっても、一言言っておく小さな積み重ねは必要だ。

 

それでこういう問題が起こっても、クリティカルな解決方法は無い。それは制度を決める行政がケアマネを便利屋にしておきたいからだ。だからケアマネのシャドーワークは無くならない。そしてそれは「質」の問題にすり替えられてこれからも強要されるだろう。

 

 

(1)介護というのはサービスを実施すれば良いというものでは無い。

まず介護サービスを使う為には根拠が必要だ。つまり解決すべき課題があって、その目標は長期と短期に分かれる。そしてその目標を達成するためにどのようなサービスが必要で、何処の事業所がどのくらいの頻度でどの期間行うか、これをまとめたものがケアプランである。

 

そしてこのケアプランを作成するために必要な事を抽出する。これがアセスメントであり、絶対に抑えておかなければならない項目は23項目ある。これで利用者の現状や課題を抽出し、介護サービス導入の根拠とするものになる。

 

このアセスメントを経てケアプランが出来上がる。それを担当者会議で承認されたのちに介護サービスが実行される。そして確実に実行されているか確認するのがモニタリングであり、改善が必要であればプランを見直すことになる。

 

この位であればケアマネの負担は少ないが、「質の向上」の名目で内容はどんどん細かくなっていく。そのひとつが「リ・アセスメントシート」である。

 

(2)「リ・アセスメントシート」

東京都から出されている「リ・アセスメントシート」の書き方についての動画は4つに分かれ、合計95分に及ぶ。実際に実務で使わなければならないものでは無いが、とにかく内容が細かい。様々な項目を整理するのだが、整理する前と整理する後、「~に統合」などとややこしい事ばかり。

 

一時期は「リ・アセスメントシート」の研修が多くあり、練習でいくつかのケースで取り組んだ。しかし結局は使わなくても変わらないの、私は使っていない。

 

介護の書類というのは細かくしようと思えばいくらでも細かくなるものだと思う。それで現場で思うのは「書類作成の為の書類」に過ぎないという事だ。

 

(3)適ケアというけれど

それで今度は「適ケア」。正式には「適切なケアマネ締め縁と手法」というものが研修でゴリ押しされる。これは「基本ケア」と「疾患別」に項目があり、どんなケアマネでも一定以上の水準が求められる。つまり新人でもベテランでも、着目する所は同じという事のようだ。

 

要するにケアプラン検討時の「抜け漏れ」を防止し、多職種協働の推進、ケアプランの見直しの円滑化を目的としている。つまりは今までケアマネがダメだったから、お上がやり方を教えてやるよと言っているようなものだ。

 

介護というのはケアプランが全てでは無い。

介護チーム全体で利用者や家族を支えているのだ。だからこのチームが利用者や家族にどれだけ寄与してきたのかを評価しないで、何となく目について業務委託してもらえそうなところを狙ってくる汚いやり方に見える。

 

それでケアマネは「質が悪い」だの言われて人不足に陥っている。そういう構造に目を向けない限り、上辺だけで評価する体質は変わらない。勉強すればするほど、現場の常識からかけ離れていくと言われる所以である。

 

(1)ケアマネと利用者の距離感

今、私は56歳という年齢だ。いつまで今の生活を続けられるか、仕事を続けられるかという事を考える機会もある。身体が動くうちは自分の思うことは出来る。しかし身体が不自由になって人の手を借りなくてはいけないという場面になったらどのように考えるか?それを今から考えるというのも介護の仕事をしているが故かもしれない。

 

それで介護を受ける状態になった時、利用者は特に希望を言うことは無い。まず「思っていても出来ない」とか「出来るわけがない」という出来ない理由、やらない理由から入る。だからこちらから「何か希望はありますか?」と言っても「特に無い」という答えしか返って来ない。ケアマネも何かないかと聞くのだが、利用者にすれば根掘り葉掘り聞かれる事を好まない人も多い。

 

従ってケアプランも無難なものになる。

私も「現状を維持する」「在宅生活を継続する」という長期目標を設定する事が多い。それにもし何か希望があったとしても利用者が自分の範囲で出来る事が多い。こちらが言わなくても、出来る方法を考えている。だからケアプランとは別次元の話でもある。

 

(2)「~をやらせて上げられれば良かった」と思う事はある。

一例を挙げれば、数年前に亡くなった男性の件。その方はとにかく酒好きで、昼間モニタリングで訪問しても酔っ払ってない時の方が珍しい位の人だった。ある日ヘルパーから「呑み込みが悪くなっているようだ」との報告を受け、訪問歯科を手配。カメラで嚥下の状況を確認すると、何かに引っかかっている。そこで精密検査を行い、下咽頭腫瘍の診断が下る。

 

しばらくは飲み込みにくいながらも何とか行ってきたが、いよいよ食道がふさがった。この状況を打開するには声帯を取る手術を行うという事になるが、声帯を取るという事はしゃべれなくなる事でもある。しかし背に腹は代えられないという事で声帯除去手術を行うべく入院したのだが、癌が肺に転移しているのが分かり、手術が出来なくなった。そこで胃瘻造設して、帰ってきた。

 

ある日、ポツッと「酒が飲みたいな」と言った。ちょっと飲めるか試そうとコーラーを飲んだのだが、やはり飲み込めず、口の中が泡だらけになってしまったと話す。だから「胃瘻で胃に直接焼酎を流し込めないかな」と話されたことがあった。その時は「う~ん・・・」となり、一応病院の相談員には話しておいたが、診察で医師に相談すれば良かったと今になれば思う。おそらくダメだろうけど、何か方法があったかもしれないからだ。

 

(3)何でも形にすれば良いというものでもない。

個人的に希望的に思えば、コーラを口に含んだのと同じように焼酎も口に含むくらいはしただろうなと思いたい。本人は酔っ払いたいと言っていたが、口に含んで酒の味がするだけでも良かったと思う。この人はいたずら好きだったから、その位の事はしただろうと思いたい。

 

このケースのように周りから見れば「こんなバカな事を・・・」と思われるような事を言う事もあるだろうと思う。それに別に目標にしなくても良い。生活を送っていく中で「こんなこともしてみたいな」「昔やっていて今は出来ないけど、もう一度やりたいな」が生まれればそれで良い。

 

現状、ケアプランというのは介護サービスを受けるためのアリバイのようなものになっている。つまりサービスが重要で、プランはどうでも良い。そこに味をつけて、やりがいを感じるケアプランを作れるかがポイントだという話は研修でも聞くが、私は別に形にしなくても良いように思う。

 

それは目標という形にこだわりすぎないという事だ。何となくで良い。口に出さなくても、気持ちがあればそこに道はある。それは介護職が知らなくても良い。何でもかんでも知らなくてはと思う必要はないのだ。