介護保険制度の欠陥を炙り出せ | ケアマネ時々卓球、時々その他

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仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)介護保険は全てをカバーできない

介護保険制度が始まる頃、「介護保険サービスはサービス全体の一部」という認識はあったと思う。特に訪問介護では出来ることと出来ない事の議論は繰り返し行われた。例えば電球交換や窓ふきは出来ないとされている。しかし当たり前だが、電球が切れたら暗いままで生活しろという事か?という疑問符が付く。

 

我が社でも実地指導が入った時にヘルパーの報告で「仏壇掃除をした」というのがあった時に、「これは重大な不適切事例だ!」とギャーギャー騒がれたこともあった。

 

つまり利用者は必要だからヘルパーを頼んでいるという認識だし、制度としては日常生活の範囲の事をさせるという事で、大掃除は出来ないという認識だ。

だから大掃除というのがこれとこれと全て挙げてくれれば良いのだが、そういうのは自治体判断という逃げるのである。

 

とにかく介護保険制度というのは欠陥が多い。自費サービスというのは理解できるが、それは介護保険制度の欠陥を穴埋めするものとして考えると、それはそれで間違った方向に行く可能性もある。

 

(2)欠陥だらけの制度で犠牲になった介護職

パッと考えて、訪問介護における自費サービスが必要なのは院内介助と生活援助だろう。

 

これも院内介助が必要と認められれば介護保険で算定できるものなのに、その過程が面倒で自費にしているケアマネも多いと思う。

 

そして私がヘルパーの時に最も厄介だったのは生活援助である。それは利用者の希望通りには絶対にならないからだ。というのも簡単にできる掃除であれば要介護の人でも出来る。出来ない所をヘルパーに頼みたいのに、「それは大掃除なるのでヘルパーは出来ません」と言われてしまうと、それがクレームになるのだ。

 

そして、介護保険では出来ないから自費なら出来ますよ、という事になるが、自費を支払うというのは利用者も相当抵抗がある。そんなにお金がかかるならやらなくて良い、と言われてそれで済めば良いが、それはクレームとなって跳ね返る。そうするとケアマネが無料でやってしまうというのが良く言われる事だろう。人によってだが、利用者はタダで何でもやってくれる人を求めている。

 

だからケアマネはシャドーワークを絶対にやらない。ヘルパーが出来る範囲も絶対に限定する、それ以外の事は絶対にやらないという覚悟が必要だ。そもそもの考え方として「性悪説」に基づくというのは大事だと思う。人が善意を見せれば、それを利用しようとする奴は絶対に出て来る。そしてその「善意」に負けてケアマネやヘルパーはタダ働きを強いられてきたのが介護保険の歴史なのだ。

 

(3)介護サービスに差が出て良い

しかし自費が当たり前になると、それを支払える人と支払えない人が出て来る。そして支払えない人の扱いをどうするのか、という議論は必ず出て来る。

 

結論から言うとそれで良いと思う。

 

介護保険が民間の営利法人が行うサービスになった時から、その質や量に差があって当然だ。もっと手厚いサービスをして欲しいというのであれば、お金を払うのが当然なのだ。

 

高齢者福祉はもはや保護の措置では無い。高齢者自身が選択できるサービス事業なのだ。

 

介護者も何でも引き受けるのではなく、出来ることと出来ない事を区別する必要がある。本来であれば介護保険が始まってすぐにこうした議論が出るべきであったが、今からでも遅くはない。そしてそこから新しい何かが生まれることを期待する。