ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

(1)先日、Xで炎上した「ケアマネの救急車同乗拒否」

事の発端は、とあるケアマネが「訪問診療より、救急車で運ぶので、ケアマネさん病院に行ってください!と言われ、行きません。」と書いたことに始まる。

 

ケアマネのシャドーワーク問題はこのブログでも何度も取り上げたが、今は敏感な時期だ。ケアマネの法定業務としては「利用者からの相談対応」「関係機関との連絡調整」「ケアプラン作成」が仕事であり、これ以外は「業務範囲外」という事だ。

 

ケアマネはなにか?という問いにAIでは「介護保険制度に基づき、介護を必要とする方が適切な介護サービスを受けられるよう支援する専門職」と回答する。つまりは「身近な介護の専門家」というである。

 

しかし「利用者からの相談対応」「関係機関との連絡調整」は範囲が定められていないが為に何でも屋・便利屋に成り下がる。これがシャドーワークを生み、それに苦しめられるケアマネが後を絶たず、仕事を辞める一因にもなっている。

 

そういう時期の投稿にこのままであれば「あ~バカな医者もいるもんだ。現場の事を分かっていないな」で片付く事だが、これをとある医師が「介護関係者「行きません,業務外」とイキッてるが、別に暇なら行けばいいんじゃない?」とかみついた事で大荒れになった。

 

(2)問題の本質は。

この元となった文章、2つの事が考えられる。

確定しているのは訪問診療の医師が利用者宅を訪れた際の事で、利用者の状態が悪く、救急要請をしたという事までである。そこで

①     救急搬送したので病院に連絡してくださいという意味で「病院に行ってください」と言った。

②     救急車呼んだので、ケアマネがこれから家に来て救急車に同乗してください。

どちらかで話は変わってくる。①の場合、必ずしもケアマネが病院に行く必要はないし、②の場合は論外であろう。いずれにしても「この訪問診療の医師は何言ってんだ?」となるのだ。

 

それをこの投稿した医師は「患者が1人放置されて、搬送先の病院も患者情報が全くわからず、生きるか死ぬかで、かわいそうだからついて行ってあげたいなと思うかどうかだけの話」としてケアマネを「昔のケアマネは大体行っていた」「ケアマネは思ったよりドライ」「人に寄り添えないケアマネは不要」と言う。

 

そして「ケアマネは総じて動きたがらない人が多い」とか、挙句の果てには「どうぞ利用者のことを見殺して下さい」「そんな人が介護なんて出来るか。辞めろ、迷惑だから。」とまで言い切る始末。

 

更には「自分の能力の高さを棚に上げて他の人もやれるんじゃないかと思ったのが間違いだった」とも言い、最後には「医者が搬送先とやりとりするなり調整するなりすれば良い」となった。

 

この問題は最初の投稿の解釈である。それを「暇なら行けば良い」という絡み方をされて、この医者のお気持ちからくる暴言にケアマネを始めとする介護職が冷静に反撃をしたという形だ。だからこの医者も最初の解釈の理解が不十分でしたと謝れば良いのに、謝らないで幕引きを図るから今もくすぶり続けている。

 

(3)介護側が人でなしに見えるか。

今でも行政や医療は様々な事を平気で押し付けて来る。しかも「高齢者はできないから」「誰にも頼めないから」と様々な美辞麗句で「面倒な事でもタダで何でもやってくれる人」という便利屋としての期待をたくさん見て来た。

 

例えば病院から入院中の利用者のあれを持ってこい、これを持ってこい、洗濯をしろなどと散々タダ働きでこき使われた経験のあるケアマネは少なからずいる。それから通院介助。介護保険では院内介助は算定できないから、本来院内介助は病院職員の仕事だ。最近ではボランティアを活用して院内介助している病院も出てきたが、最初は病院が院内介助を人手不足を理由に介護側に押し付けてきたため訪問介護が院内介助をするのが当たり前になった。それでも行政は本来業務を行わない病院に注意、指導、処分をしたという話を聞いた事が無い。

 

つまり介護側には医療に対して人を都合よく使いやがってという元々の怒りがある。ケアマネの研修に行くと行政や医療への愚痴や文句のオンパレード。本来なら協力し合わなければならないのに、ハッキリ言って目の敵にしていると言っても良い。それを「高齢者がかわいそう」などという個人のお気持ちでの罵倒は、介護職に人でなしと言っているのに等しい。

 

まあ、私個人的にはこの医者がいる訪問診療に依頼しなければ良いだけの話。関わらなければ良いだけの話である。実際にこういう介護を下に見る医者がたまにいる。そういうのを排除したって、今は訪問診療なんていくらでもあるから私は困らない。もしこの訪問診療所が営業に来たらネチネチ言ってやるかもしれないけどね。

 

 

(1)高齢者の生活を支える制度では無くなっている。

以前にも書いたが、介護保険外サービスというのがちょいちょい取り上げられている。しかも「ビジネスチャンス」とか「ブルーオーシャン」という耳障りの良い言葉を使って。

 

個人的にはものすごく違和感を感じる。というのも保険外サービスの内容が介護保険サービスの内容と丸被りしていることも多々見られるからだ。

 

そうするとすでに介護保険サービスというのは高齢者の生活を支える制度では無くなっているという事になってしまう。

 

(2)「国民の権利」を盾にした指導。

最近の記事には介護保険外サービスの話がさも市場開拓の良いことのように書かれているが、私はそうは思わない。というのも個々にはトラップが仕掛けられているように思うのだ。

 

随分前になるが、とあるヘルパーステーションで自費のみの利用者がいた。その方は経済的に豊かで、介護保険を使うと担当者会議やら何やらで面倒という事で、全額自費の訪問介護サービスで通院介助や家事援助を受けていた。

 

自分の意思で自費サービスを使っていたのだから文句は無いはずだ。しかし実地指導が入った時に「介護サービスで行うよう」指導が入った。理由は国民の権利という事で、介護保険で受けられるサービスを自費にするという事は、得られる権利を放棄させているという事だった。当然、本人の意思という事を反論したが、結局は介護保険サービスとして処理していた。

 

このような事例も過去にはあった。ということは、介護保険外サービスを広げるだけ広げておいて、指導するためのトラップに見えてしまうのだ。

 

(3)どんどん使いにくくなる介護保険制度。

更に言えば、記事にある「買い物」は、ヘルパー同行であれだ意向であれ、要介護でも要支援でも介護保険で対応可能なサービスだ。これを自費サービスとして実績をアピールするのは如何なものかと思う。

 

記事にはデイサービスで使い切ってしまうとあるが、要介護1であれば25回は通所可能である。つまり日曜以外毎日デイサービスを利用している事になり、そうすると利用者の為に買い物をする時間は取れなくなる。これであれば、家族の分を含めた買い物という事で書けば分からなくも無いが、そうすると単純に家政婦ということになる。

 

また診察の同席という事であるが、これは事業所次第だ。利用者が一人で病状を聞くのが不安というのであれば、同席も考えられるだろう。逆に言えばそれこそ介護保険内で実施すべき事であって、保険外をアピールする場では無いと思う。

 

いずれにしても、保険外サービスのアピールは介護保険の崩壊の序章だ。どんどん複雑で、使いにくいサービスになっている。行政にすれば複雑にすることで使いにくくなれば、給付費も下げられるという狙いもあるのだろう。しかし生活を支えられない制度は、介護保険制度と呼べるのだろうか?

 

 

(1)「介護サービスの価値」「介護の質」

ケアプラン有料化の議論は10年以上前からあった。介護サービスというくらいだから、サービスに対しては競争が働いて良い。良いサービスであれば選ばれ、お金を払ってでもお願いしたいと思われるはずである。逆に無料でないと行えないサービスというのは、お金を払う価値が無いと認識されてもしょうがないという理屈も一部成り立つ。

 

しかしそもそもだが「介護サービスの価値」であったり「介護の質」という事には議論が進まないし、そもそもそれは個人の価値観である。しかもそれは利用者と家族の思惑は必ずしも一致するものでは無い。

 

というより介護の価値観そのものが不安定だ。

おそらく「こうあるべき」というものを押し付ければ現実とかけ離れる事もある。そして一度決めても時間の経過とともに価値観は変化する。そういう駆け引きの中では、全ての意向を汲み切れない事もある。利用者にも家族にも、耳の痛い事や嫌な事を言わなければならない事もある。

 

つまりはサービス業でありながらも、制度のコントローラーであり、家族を支えるキーマンであるとも言える。これを有料で行うか、無料で行うか、民間で行うか、公的サービスで行うかによって、その国が国民に対する向き合い方を示しているとも言える。

 

(2)ケアマネは人生の伴走者。

そもそも介護サービスを利用するのにケアマネは必ずしも必要ではない。面倒な事はあるが自己作成でサービスを動かすことは出来る。だからケアプランが有料化するのであれば、無料で介護サービスを動かすことの出来る仕組みを行政の責任で周知徹底すべきというのは当然だ。

 

ではなぜ今までケアマネが保険10割自己負担が無かったかといえば、それは制度の周知の目的があったからだ。

 

要介護になったからといって利用者も家族も何をすればよいかは普通は見当もつかない。どのような生活をしたいかとなれば今の生活を続けたいという事だろうし、それを実現するために人の助けがいるのか、用具があれば良いのか、具体的な方法は知らない人が多いだろう。だからこそケアマネが介入する事により、具体的な方法を見出すことが出来る。家族としても別れ行く親との時間を自分なりに構築する事も可能である。

 

ここまで来ると、もはや人生の伴走者である。これはコストが云々いう次元の話では無いようにも思う。

 

(3)介護の在り方というのは国が高齢者に向けた感謝の気持ち。

次回の改定で一部の施設によるケアプランが有料化されるようだ。勿論、これは蟻の一穴で、今後全てのケアプランに対して有料化される方向は道筋がつけられたという事になる。

 

先にも述べたが、有料化するのであれば無料で出来る方法も周知すべきであろう。介護サービスというのは使わないで良ければ使わないでも良い。家族が負担できるのであればそれでも良い。その方がお金はかからない。

 

こう考えると、福祉の在り方とお金の価値観というのは相容れないものなのかもしれない。冒頭にも述べたが、有料か無料か、民間か公的かという介護の在り方というのは国が高齢者に向けた感謝の気持ちの表れなのかもしれない。