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「人間は感情の動物である」とはシェイクスピアの言葉であるが、本当に感情というのは理屈を上回るものである。例え我がままと言われようと好き・嫌い、やりたい・やりたくない、という感情は行動の1丁目1番地である。好きな事はお金を払ってでもやりたいが、嫌な事はお金をもらってでもやりたくないというのは当たり前だろう。
「若いうちの苦労は買ってでもやれ」という言葉があるが、やりたくない事、嫌いな事をやらされるのは辛い。
先日とあるサッカー選手が「練習の質と量」について語ったインタビューを聞いた。その選手は「ものすごい練習量をこなしたことの無い選手が練習の質を語るな」という事を言っていた。つまりとにかく練習量をこなし、それを乗り越えた上での質を求めるもので、最初から効率良い(と言われている)ものをやっても意味は無いというものだ。
つまり「辛い事」は乗り越えなければならないという事だが、それは好きな事、やらなければならない事だからこそ乗り越え慣れるとも言える。ここで挙げる福祉の感情とは違うものかもしれないが、本質はそれであるという事は挙げておく。
(2)意図的な感情表出の原則
さて介護サービスにおいて、何が厄介かと言えば単純に「利用者の感情」に左右される事である。要するに「気に入るか、入られないか」により出来る事も出来なくなったりする。
だからまずケアマネが乗り越えるべき壁は利用者との信頼関係をどのように築くかという事になる。それは気に入られるかと置き換えても構わないかもしれない。
そうすればそもそも計画を作る段階でやりたくない事を入れる事は無い。仮に機能訓練が必要という人がいるとすれば、その人の考えによってデイサービスが良いのか、訪問リハビリが良いのかという選択肢になる。更に言えばうまくいかなかった時に、トライアンドエラーは付き物で、それを恐れないという事だろう。
そこで「何が嫌なのか」という利用者の感情は大事である。先に挙げたスポーツ選手の云々であれば、嫌な事も将来の糧ということも出来るが、高齢者の残り少ない人生で、苦労させる必要がどこまであるのか、という事は周りの感情としても考える必要があると思う。
つまり本人が「運動したくない」と言っているのに、無理やりやらせるというのは得策ではないという事。そこでどのようなメリット、デメリットがあるのか、例えば動けなくなれば寝たきりになるよという事をいう事もある。そうなりたくないから渋々運動するという人もいるだろう。
だから「大変だから運動したくない」という感情VS「寝たきりになりたくない」という感情の戦いである。こういうことは多いのではないだろうか。
(3)何でも話せるケアマネは
ケアマネとして、利用者から信頼され、何でも話してもらえるというのは資質として重要だと思う。しかし何でも話せるからと言って、「何でもしてあげる」という事では無い。
「1・2・7の法則」というものがある。
10人あなたの周りに人がいれば、7人はあなたに対して無関心、1、2人はあなたの味方、しかし残りの1、2人は何をやってもあなたの敵になるというものだ。
だから担当している8割の人とうまく関係が築けていれば、あなたはこの仕事に関して合格と評価して良いという事だと思う。
相手の感情をコントロールする事は難しい。これを100%うまくいかせるという事は、介護が全て機械化される時代まで待たなければならないだろう。

