ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

(1)ケアマネ研修は血も涙もない

ケアマネには法定研修、法定外研修が様々ある。特に資格更新の研修はそれなりの期間拘束されて、決して役に立つと思えないものを受けさせられる。

 

しかもその研修期間内に受講しなければ資格をはく奪される事もある。資格をはく奪されるという事はイコールケアマネの仕事を失うという事だから、何があっても研修に参加する。

 

人によっては親が危篤なのに研修を抜け出せず、医師から怒られたという人もいた。

 

ケアマネの研修は個人の事情は関係ない。そういう血も涙もない研修なのである。

 

(2)ケアマネの役に立つ研修とは?

ケアマネの研修で何と言ってもつまらないと思うのは何と言っても「事例検討」である。

何よりも答えの無いものをああだこうだと言って時間を潰しているだけである。ああだこうだと議論していく中で参考になる事もあるかもしれないから、人によっては参考になったという人もいるかもしれないが、少なくとも私は参考になった事は皆無であったと言って良い。

 

更に座学でもそんなに活用したということは無い。例えば医学で「Aという薬からBという薬になったという事は、それだけ悪くなっていると思ってください。」というのがある。個人的な意見だが、良くなっているという事であればもう少し頑張れば全快するというなら頑張りようもあるが、悪くなっていいるという事を止めるのは不可能に近いと思った方が良い。つまり良くなろうが、悪くなろうが病気になっているという事は変わらない。

 

大切なのはその病気との向き合い方である。それこそ人生の伴走ではないかと思うのだ。

 

だから知識のレベルで仕事をしているのであれば、そのうちAIにとってかわられる程度の仕事という事である。

 

(3)受けて良かったと思える研修を

そんな私でもYOU TUBEで勉強する事はある。

最近は政治系のチャンネルを見る事が多いが、もともと歴史が好きなのでそういうものも観るし、下らないチャンネルも見る。

 

そこで得るものは時代の流れであり、生きている実感であり、こうしなきゃいけないとか、少なくとも「生きる事」を実感するという事である。

 

人の生き方は様々だ。そしてそれは他人が理解できるものとは限らないオーダーメイドだ。

 

全ての人が突き詰めれば自分は正しく、他人は間違っているという自己の正義に基づいて生きている。そしてそれは何人たりとも侵すことの出来ない聖域なのだ。

 

そういう立場を理解するには、こちらもそれなりの知識を持っていなければならない。しかしそれは個別事例だけでなく、「なぜ生きるのか?」という哲学的なものであり、「生きてるって良いな」というものだと思っている。勿論、これは私の価値観であり、他人に押し付けるものでは無い。

 

しかしケアマネ自身が明るく生きているという事が大事である。学べば学ぶほど暗くなる研修って、意味があると思えないというのが私の意見である。

 

(1)仕事に立ち向かう心構え

私は20年ほど前に会社を立ち上げた。そしてケアマネになったのは約10年ほどたってからだ。そして今は一人で居宅介護支援事業所を営んでいる。

 

ケアマネの仕事を行うにあたり、いくつかの心構えの準備をした。

 

一つは事務処理。そこで役に立ったのはスキャナーである。今でこそ携帯の写真昨日はよくなったが、当時はまだ影が映ったり、斜めになったりで、書類として残しておくには今一つ物足りないから、スキャナーは役に立った。そこでパソコンに情報を入力して、場合によっては会議録や経過記録もそこで入力してしまう。空き時間があったら喫茶店で入力するということも出来た。

 

そしてもう一つは名刺に携帯の番号を載せた。これは24時間365日いつでも連絡してくださいという決意表明だ。

これはどこの事業所でも出来る事では無い。

雇われであれば労働時間以外は仕事をする必要はない。実際に夜遅くや休日の時に電話がかかってくることも度々ある。

しかし利用者にすれば、聞きたい時に連絡してくるというのは当たり前。その気持ちを受け止める事こそケアマネの本分と私は心掛けている。

 

(2)私の標準サービス

だから休日の時も仕事の事が気になる事はしょっちゅうある。それでどうしても片付けておきたい時は片づけてしまう。自宅で仕事を行うというのはこういう時にメリットがある。

外出先で電話があれば、必要があれば関係機関に連絡を取る。

 

当然、電話を取れない時は出られないが、それはしょうがない。それで利用者から文句が出たことは無い。

 

おそらくケアマネの多くは「何かあったら相談して下さいね」とは言うだろう。しかしそれは「自分の労働時間の範囲で」という事だ。私のように「労働時間度外視で」というケアマネはごく少数だろう。携帯電話の番号だって、本当は教えるべきではないという人もいるだろう。運営基準には「24時間連絡が取れる体制を作る」という事になっているが、それは留守番電話で事足りる。

 

もし断り切れなかったりで携帯電話の番号を教えてしまったら、上司からは起こられるわ、本当に電話がかかってきてプライベートの時間を邪魔されるのではないか、と嫌な気分にもなるだろう。

 

私の場合はそれが標準サービスである。

お客様というのは、その位の気持ちで向かい合わないといけないと思っているのだ。

 

(3)日本の介護を支える真面目な人

確かにプライベートの時間に電話がかかってくるのは面白くはない。しかし内容的には大した話ではないことが多いし、そう頻繁にかかってくるものでは無い。

 

この記事では仕事とプライベートの切り替えがうまく行かないという悩みであるが、私がアドバイスするなら、そのうち慣れるでしょうという事である。

 

コメントにもあるように0か100ではない。

 

そして生活の糧を得るための職業としてのケアマネである。であるならば、まずは仕事に邁進すべきであり、プライベートと切り分けられないのは当たり前である。そして余裕が出てくれば「何もしない時間」が出来、そのうちその何もしない時間を有効活用できるようにもなる。

 

この方は非常にまじめなのだろう。こういう方々に支えられて、日本の介護は成り立っているのだ。

 

 

(1)

親の介護の為に仕事を辞めることを介護離職という。

実際に私の周りでも聞いたことがあるし、ケアマネの立場から言えば、介護サービスを使えば?となるのだが、そうも簡単にいかないらしい。

 

①親が子に面倒を見てもらいたがる。

例えば近くにいる、子供が定年後で年金をもらう立場、など条件が整っていればそれも可能だが、そういう人はまれ。

②介護サービスの少なさ

地方に行けば行くほど介護サービスの事業所は少ない。当然、介護従事者も少ないから、仕事を受けてもらえないという事も多いと聞く。

③親が地元を離れたくない

更に頑として地元を離れたくないとなるとお手上げだ。「じゃあ、どうするの?」と聞いても「お前が世話しろ」という事になる。

 

これらの理由で実際に介護離職というのは後を絶たない。その経済損失は大きいが、何よりも子供のキャリアを犠牲にするとか、様々な歪みが出るのは間違いない。

 

(2)介護保険が機能しない

最近は企業でも「介護休暇制度」を取り入れるところが増えてきたと聞くが、会社にとって社員は重要な役割を持つ。例えば何らかの決定権を持つ人が介護休暇で休めば、決定する人がいなくなったり、出来たとしても決定が遅くなる。つまり企業にとって重要な役割がある人ほど休んでほしくない。それは当たり前の事である。

 

重要なポストを空かせるわけにはいかないから、そうすると辞めざるを得ない状況になる。そして介護が終わったからといって、そのポストにつけるかといえばその保証はない。

 

会社におけるキャリアと休める環境は相いれないことが多いのだ。

 

だからこそ介護保険制度があり、介護サービスを使う事で介護離職を防ぐという目的があるのだが、この問題の解決にならないという事は、この制度自体がダメだという事だ。

 

そう思えば、保険料を払ってもサービスを受けられないという事である。そう突き詰めれば突き詰めるほど、この制度って何だろう?といつも疑問に思う。

 

(3)人とのつながりが希薄になった現代

介護、というより親の面倒を見るとか、人の世話をするという人間関係上当たり前の事が事実上出来なくなっている。更に他人への不信感から、人との関りを避ける人も多くなっている。

 

最近では「挨拶をやめよう」運動。

 

知らない人に声をかけられたくないとか、面倒くさいとか、他人に気を使うとか、そういう理由である。

 

そういう人とのつながりが無くなり、福祉や介護というのが仕事として確立されたというのは皮肉な話なのかもしれない。