ケアマネ時々卓球、時々その他

ケアマネ時々卓球、時々その他

仕事は介護、プライベートでは卓球を中心に、その他もろもろ思いつくままに書いてみます。テキトーな独り言です。

 

 

(1)ポルターガイスト現象

大学生の時、一度ポルターガイスト現象に出くわしたことがある。

当時、児童養護施設でボランティアをしており、指導員と夜通し話し込んだことがあった。その時に指導員の後ろのドアが「ギー・・・」と開く。子供もいない。指導員は苦笑しながら「こういう施設ではよくある話でね・・・」と何事もなかったようにドアを閉める。

 

後にスピリチュアルがブームになった時に、とある霊能力者が「ポルターガイスト現象は子供が遊んでいるだけ」と言っており、確かに児童養護施設という性格上、さもありなんと納得した覚えがある。

 

(2)その後を考える

大学を卒業後、老人病院、老人ホーム、そして今はケアマネージャーとして高齢者福祉の仕事を長く行ってきた。

それでこの環境で、何か霊体験をしたかと言えば実は全く無い。

自分に霊感が無いだけかもしれないが、そのスピリチュアルブームの時に様々な人が言うには、この世に未練がある人とか、何か伝えたい事がある人とか、執着しているとか、という人が何かを伝えるために現れると言う。

 

確かに目に見えるものでは無い。

それは生きている人間だって、感情は目に見えない。言葉も見えない。

そういう意味では目に見えるもののみが現存しているものとは言い切れないわけで、そういう感情は死んでも残っているというのは分からないでもない。

 

例えば古戦場などでは、そういう未練が残るところでもあるだろうと思う。

東京で言えば東京大空襲があったし、私の卒業した小学校も建て替えの時人骨が沢山出てきたと言うから、無念の気持ちが残っていると言えばそうなのだろう。

 

(3)介護者として考える事

高齢者の仕事をしていて思う事は、こうした気持ちが伝わってこない事をどう解釈するかである。

一つの見方としては、私と接したことによって特に未練もなく成仏できたと思ってくれているのかなという事。それであればこの仕事をしてきて本望である。

しかし逆の見方として、コイツに話してもしょうがないと諦められている事。

これだとちょっと寂しい気もしないでもないが、何か言われてもこちらとしてもどうしようもないから困ってしまう。

 

考えてみれば死んだ親も、接していて亡くなった利用者も夢に出て来ることは無い。

そういう意味では、一生懸命生きている証拠なのかもしれない。

 

これまでにした霊体験

 

 

 

 

 

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(1)電車にぶつかるやつ

トラウマになりそうなので記録方々書いておく。

 

先日、某駅近くの踏切。

渡ろうと思った時に丁度、警報音が鳴ったので無理すれば渡れたのだろうけど渡らなかった。別に急ぐわけでもないし。

ボーッとしていると、電車が踏切の半分を過ぎたころ、女性が遮断機をくぐり、なにやら落とし物を探すかのように這いつくばり、挙句の果てに走っている電車の側面にぶつかり、弾き飛ばされてしまった。

 

その場にいた数名が救急車を呼び、電車も急停止。

運転手も車掌もおりてきて、その人は抱えられながら線路の外へ。

しばらくして救急車が到着して運ばれていった。

 

その後、警察官による聴取を受け、30分後くらいに帰った。

 

(2)その時の心境

まず、その人が遮断機をくぐった時感じた事。

私は先ほど無理をすれば渡れるところだった事を思い出し、「あ、行っちゃうのね」くらいな感じだった。その場にいた人すべてが何が起こったんだか分からなかったと思う。

それが線路に入って、這いつくばっていても、なんかドラマのワンシーンを見ているようだった。

そしておもむろに起き上がってフラフラしながら電車にぶつかって弾き飛ばされた時は、「あっ!」とは思ったが何もできなかったというのが本心だ。

 

後で思えばだが、当然その人の挙動は不振だった。

なぜ遮断機を上げて線路に侵入したのかも分からない。自殺しようとしたならば、電車の下にもぐるはずだ。

それを側面にぶつかっただけというのは、やはり死にたいわけでは無かったんだろうと思う。

 

だから遮断機を上げて線路に侵入した時も、危ないとは思ったと思うが、声をかけようと思わなかった。下手に声をかけてからまれても面倒と思ってしまったのだ。

 

だからその人が電車に弾き飛ばされてケガもなさそうと思った時、安堵と共に怒りもこみあげてきた。

 

(3)「ふざけんなよ」という気持ち

その場にいた人で「人身事故」という言葉が聞かれたが、これは事故ではない。うっかり線路に落ちてという事でもなく、誰かに線路に投げ込まれたという事でもない。その人に非が無いなら事故というべきだろうが、間違いなくその人は自分の意思で遮断機を持ち上げ線路に侵入した。

酔っぱらっていたか、精神疾患があるのか、はたまた自殺未遂かと別れるところだろうが、電車に乗っている人にしてみればただの迷惑である。

 

こちらも嫌なもの見ちゃったなという気持ちである。

 

 

 

ゾッとする〇〇

 

 

 

 

 

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(1)今の仕事を引退する

今、私はケアマネージャーという仕事を自営でしている。

いわゆる一人ケアマネという奴で、管理者も兼務しているという形である。

しかし、管理者要件に「主任ケアマネ」が必要となる令和9年3月をもって、我が社でのケアマネ事業は終了する。

つまり私は今のケアマネ事業所の管理者を引退するという事である。

 

ではケアマネ自体を引退するかと言えばそうではない。

 

別に仕事が嫌いなわけではないし、出来れば続けたいとも思う。

 

要は業務以外の、面倒くさい事にうんざりしているのだ。

 

(2)主任ケアマネなどいらない

数年前からケアマネ事業所の管理者に主任ケアマネが必要になるという話は出ていた。

それで主任ケアマネになるには自治体の推薦がいるのだが、それには研修に出ろだの、困難ケースを受けろだの、区の事業に参加しろだの、数年間は個々の区で働けだの、面倒な事の目白押し。

 

確かにケアマネ事業所というのは区の意向が反映されなくてはならないわけで、それ自体は理解する。

しかしそれだけの事を求めるのであれば、それなりの待遇を用意するものと思うが、基準として一律に義務化とされるのであればそうはならない。

 

では主任ケアマネとは何か

 

これだけ見てもよく分からないだろう。

 

特に一人ケアマネの私には知識が増えることくらいしかメリットはない。

 

という事で主任ケアマネは取らない事に決めた。

 

(3)協働化の波は

そんなこんなな状態だが、最近「協働化」「大規模化」というワードが躍る。

介護人材の不足は明らかで、どうやって人材確保できるかという事なのだが、こんな私でも一緒にやろうと声がかかれば話は聞こうと思っている。

 

それにはまだ数年あるから、その時に考えようかと思っている。

引退を考えた瞬間

 

 

 

 

 

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