母の緊急手術と緊急入院のあれこれです。
の続き。
美しい女医さんに案内されて部屋に入るやいなや、
「開頭手術になります。」
という内容を聞く。
おお、開くのか。
母の脳動脈瘤はすごく小さいこと。
この病気はいつ破裂するかわからないこと。
2個あるうちの1個は破裂している。
ただ、超微量の出血で止まっている。
だから見た目はお元気。
ただ、状況はかなり悪い。
命にかかわる状態。
2個が近い場所にあるので、
どっちが破裂したのか写真ではわからない。
あけてみないとわからない。
くも膜下出血は1/3は死に至る。
1/3は後遺症がある。
残念ながら手足を動かす大事なところに動脈瘤がある。
開いたとて状況が悪ければ撤退する可能性がある。
とにかく危険な状態である。
と言う内容を丁寧に冷静に説明してくださる先生。
私は、
わからないところは質問し、
先生の言葉にちょっとツッコミを入れたり、
撤退する場合があると繰り返す先生に、
そうでしょうそうでしょう、
わかりますと相槌をうつ。
今思えば、
説明している部屋の空気がどんどん変化した。
リスクを説明しなければならない先生は、
超緊張状態で私と対面。
最悪のことを話さなければならないストレス。
そんなの何回やったって慣れるわけない。
そこで淡々と受け止める私。
どんどん先生の緊張が緩むのを感じていた。
どんどん表情がおだやかになり、
お互い微笑みながら会話して、
最後はよろしくお願いします、と。
術後5日経過して母に聞いたのですが、
この女医さんが執刀医だったようです。
超かっこいい!
「私が手術したんですよー。」
って話してくれたとのこと。
でね、
最悪のことをずーっと聞いていた私ですが、
最悪が起こらないことがわかっていた。
多分、手足が動いた状態で目が覚める。
目が覚めたら普通に会話できる。
なんか確信があったのです。
だから、ふんふん。
先生はそう言うよね。
あぁ、先生の立場ならこれ説明するよね。
と聞いてた。
で、夕方17:40ごろ手術開始。
朝の9時に家を出てから、
何も食べていない(水分はとってます)私は、
手術開始でやっとご飯。
ここがICUの家族待合い室。
オリンピックを見ながら、
この先数日は仕事にならないのがわかったので、
ここで超集中して3日分ぐらいの仕事を片付ける。
この部屋、
私が独占していたので、
超仕事がはかどった。
その後、夜20時頃になって、
父にご飯を食べさせた姉と交替。
私はやーっと帰宅して、
ゆっくりお風呂に入り、
厚生医療センターの先生と
大学病院の先生が、
超かっこいいという話を娘にしていたら、
姉から22時頃に手術終了の連絡。
あれ?予想より早いな。
これ、絶対うまくいったやつだ。
姉に聞くと、
手術後麻酔がさめた母は、
ちゃんと話していることがわかっていたようで、
うんうん頷いていたとのこと。
ほら、やっぱりね。
そうだと思ってた。
あー良かった、とならない病気なので、
喜んだりはしなかったけど、
でも、日常を淡々と過ごせばいいな、
という感じがしました。
姉をお迎えに行って、
くたくたの一日が終了。
で、しばらくICUなのかと思っていたら、
半日で脳外科病棟へうつった母でした!
ここからは、
毎日の面会生活。
CTやMRIで動脈硬化もちょっと見つかった母は、
これから2週間は予断を許さない。
脳梗塞の危険もあるし、
楽観視できるわけじゃないけど。
でも考えてもしょうがないんだよねー。
起こってしまったことは変えられないし、
これから起こることも私がどうこうできない。
ってことは、
自分が出来ることをやるのみ。
はい!
庭師と運転手。
毎日変わらぬ日を送るのだ。
つづく。
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