『失敗』を悪いことだと思っていませんか??
子どもたちが良く言う
「ママー上着脱いでいい?」
「ママーこれ食べていい?」
この言葉を発した時点で
もう上着は脱ぎたいし
おやつも食べたいと思っている
でもついついママにお伺いを立てる
ママの返事は人それぞれ
「外は寒いから着てなさい」
「今じゃなくて後にして」
ママによって答え方は違うけど
子ども達はその答えを聞いて
次の行動をする
そうすると
自分の行動が他人軸になる
何か失敗した時に
『ママがいいって言ったからやった』
という言い訳になる
これを繰り返すと
『自分がどう思っているか』
よりも先に
『まわりがどう思っているか』
を考えるクセがつく
まわりの目を気にするクセがつく
うーん
やだやだ
なぜ私がイヤだと感じるか・・・
それは私がそうだったから
自分で友達との約束が決められず
友達に誘われても必ず
「今日遊びに行ってもいい?」
と母に聞いていた私
確か小学5年生ぐらいのある日
お友達から遊びに行こうと誘いの電話をもらい
いつものように母に許可をもらおうと
「ちょっと待って、今おかーさんに聞いてみる」
と行った時・・・
その時事件が!
「ねぇなんでいつもお母さんに聞くの?
自分で決められないの?」
とその友達に電話口で言われた!
衝撃!
お母さんに聞くのってあたりまえだと思ってた
お母さんがいいって言わないと遊びに行けないと思っていた
そうじゃないんだ!
自分で決めていいんだ!
そこに気づいた
まぁその当時はもうちょっと手前の
『お母さんに聞かなくても約束ってしてもいいんだ!』
という感情が一番だった
今でも鮮明に覚えているので
かなり衝撃的な事件だったと思われ・・・
だから今
まわりの親子の会話が気になる
「ママー上着脱いでいい?」
だいたいその言われたママは
「寒いから着てなさい」
と言っている・・・
寒くないから脱ぎたいのか
窮屈だから脱ぎたいのか
理由はわからないけど
寒いか寒くないかは自分で決められる
脱いで寒かったら着るだろう
脱いで寒くて風邪をひいたら
『上着を脱いだら風邪をひく』という経験になる
その子の経験を未然に停めてしまうと
その子はいつまでも自分で決められない
失敗をたくさんしている子は
経験を元に自分で考えることができる
自分で失敗した経験があるから
同じ失敗をした人に優しくなれる
そう
『失敗』は経験を重ねる為の宝物!
どんどん失敗しようじゃないの!
どんどん撃沈しようじゃないの!
失敗は単なる結果
失敗=悪
ではない!
上着脱いだから風邪ひいじゃってダメじゃないの!
ではなく
上着を脱いだら風邪をひくってことがわかったね
がいい
ママが後悔や罪悪感を感じる必要なんてなーい!
ある程度の失敗はリカバリーできる
ケガとか命の危険だけは気を付けて
失敗して得るものはとても大きいから
どんどん失敗を経験してもらおう
そして失敗していない人は
失敗することを極度に怖がるようになる
もっともっと
「〇〇していい?」
を許可をもらわないと行動できなくなっちゃう
失敗して落ち込む我が子を見たくない
そんな気持ちわかります
よくわかります
だからママは先回りしちゃう
愛にあふれているからつい口出ししちゃう
すごくわかります
だって我が子が心配なんですよね
だって我が子が大切なんですよね
だって我が子が大好きなんですよね
両方の気持ちがわかる~
私もまだまだ失敗を恐れて行動している
わかっているのについつい気にしちゃう
きっと私の課題なんだな
私も失敗を恐れずに
今日も一日がんばろう!
そしてうちの思春期中2の姫
『中1の2学期の提出物をことごとくスルーして
成績表が壊滅的になった』という失敗
を経験し
今年の春休みの課題は
まだ春休み数日で半分終わらせ
最後は余裕をもって始業式を迎えられた!
奇跡!
やっぱ『失敗』って尊いわぁ・・・