御手洗潔シリーズ。…だけど、御手洗潔は不在。その代わりに、普段はその助手的ポジションの石岡和己が大活躍。小さな集落での凄惨な事件と、その因縁がもたらす奇怪な連続殺人。殺人鬼の幽霊。旧家の奇妙な屋敷。密室殺人。村人の口を重くさせる因習。[???]

[龍臥亭の主人一家(基本的に龍尾館二階に居住)]
犬坊一男:元旅館の主人
犬坊育子:一男の妻
犬坊行秀:その息子
犬坊里美:その娘, 高校生
犬坊菊子:育子の母, “四分板の間”に滞在
お松さん:お婆ちゃん

[龍臥亭の使用人]
守屋敬三:料理人, 龍尾館一階に居住
藤原彰:守屋の弟子, 同
中丸晴美:村から来た料理手伝い, “猫足の間”に滞在
倉田エリ子:同, “龍舌の間”に滞在
樽元純夫:龍臥亭の元琴職人
留金八十次:龍臥亭の元雑用係

[龍臥亭の滞在客及び元滞在客]
菱川幸子:琴の演奏家, 龍尾館三階に滞在
小野寺錐玉:菱川幸子の琴の師匠, 故人
ミチ:業を背負う女, “むかで足の間”に滞在
ユキ子:その娘, 同
二子山増夫:釈内教の神主, “雲角の間”に滞在
二子山一茂:増夫の息子, 同
坂出小次郎:雑貨商, “べっ甲の間”に滞在
石岡和己:小説家, “蒔絵の間”に滞在
二宮佳世:石岡への依頼者, “裏板の間”に滞在

[その他]
都井睦雄:庄屋の息子, “三十人殺し”の犯人
犬坊秀市:育子の父, 琴の研究家, 故人
吉蔵:秀市の父
世羅きみえ:ミチの祖母
足立:法仙寺の住職
よし子:その娘
上山評人:郷土史家
井吹:高校教師
横川:郵便局長の父
御手洗潔:探偵, 石岡の友人, 現在は海外に滞在

[警察官]
福井:県警の刑事, “柏葉の間”に滞在
鈴木:同, 同
田中:同, 同
森安太郎:駐在巡査



友人でもある名探偵・御手洗潔の不在により、すっかり心に穴が空いたような状態だった石岡和己のもとに、奇妙な依頼が持ち込まれた。


依頼者――二宮佳世――の話によると、彼女自身とその身の回りには不幸ばかり続いていた。霊能力者に診てもらったところ、彼女には生まれる前からの因縁によって悪霊が取り憑いており、それを祓うためにはどこかに埋もれた手首を彼女の霊感に従って見つける必要があるのだという。依頼というのは、それに石岡も付き合って欲しいということなのだ。

そんな恐ろしい話には最も向いていない人物こそ自分だと、怖気づいて断る石岡だったが、彼女に押し切られてしまい、結局それに付き合わされる羽目になった。


そして辿り着いたのが山間の小さな村にある龍臥亭という元旅館。石岡たちは到着した途端に奇妙な事件に巻き込まれた。窓も出入口も施錠された密室内で火災が発生。扉を破ってすぐに火は消し止めたが、部屋の中には女の死体。それは焼死ではなかった。その額に銃弾が突き刺さっていたのだ。ほんの少し前まで琴を弾いていた女・菱川幸子の身に何が起こったのか?


なし崩し的に龍臥亭での滞在を認められた石岡と佳世は、さっそく当初の目的である手首探しを開始。首尾よく桜の樹の下に埋もれた切断された手首を発見した。近所に寺があるので、そこで供養してもらうことにした。


持ち込まれた手首を見た途端、住職は倒れた。顔は蒼白になり、体は冷たくなっていた。石岡もその反応に仰天し、慌てて住職を室内に運び込み、彼の娘に事情を説明し、布団に寝かしつけた。すぐに住職は意識を取り戻した様子だったが、石岡たちを見て再び興奮状態を引き起こしかねないので、娘の指示で石岡たちは寺を後にした。


龍臥亭に戻った石岡と佳世を待っていたのは新たな死体だった。ミチとユキ子の親子の部屋をエリ子が訪問していたときに、エリ子が突然倒れたのだ。頭頂部に銃弾が撃ち込まれていた。しかし不思議なことに龍臥亭内の誰も――同室にいた親子さえも――銃声を聞いていなかった。

彼女たちの体からも室内からも硝煙反応は出なかったので、狙撃はある程度離れた場所から行われたと推測される。しかし部屋の出入口には外からの視線を遮るようにコートが掛かっており、そのどこにも弾痕はなかった。


※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。



一応は御手洗潔シリーズだが、彼は事件のヒントを一つ電報で送ってくるだけのチョイ役で、事件解決はいつもなら彼のワトソン的立場にある石岡和己に任される。

上下巻合わせて1,100ページ超。どうせまた「水晶のピラミッド」と同様、メインの事件解決には結びつかない雰囲気モノの物語が長々と続き、日本人の気質に対する批判や外国への劣等感といった反日思想を登場人物にクドクドと語らせる展開なんだろうな…と、読み始める前から既に気が重かったが、その予想は良い意味で外れた。

反日思想はやはり鼻に付くものの、それは割と控えめに留まっており、作品の大きな疵というほどではない。

第九章から第十二章まで、200ページ以上も費やして過去の事件が語られるが、これは本筋から素直に繋がっていることもあり、まったく気にならなかった。これは実際にあった連続殺人“津山事件”を題材にしたもの。本作ではその因縁絡みの、見立て殺人が続く。

また、本作と同様に“津山事件”をモデルにした作品として、横溝正史作「八つ墓村」があるが、本作の“因習にまみれた小さな村の旧家”やそこに伝わる“因縁話”、“亡霊”、“琴”などのキーワードは容易に横溝正史の世界観を連想させる。実際、本作のストーリー運びはそれを強く彷彿させる。

ついでに触れると、お婆ちゃんが二人登場するというのもやはりそれを意識してのことだろう。お婆ちゃんの片方がストーリーにはまったくと言っていいほど絡まず、その存在さえ忘れ去られたような扱いなのはそれを裏付けてるのでは。本来なら本作にお婆ちゃんは一人で充分事足りるが、横溝正史の世界観の記号的な意味で登場させたに過ぎないと。

その“松婆ちゃん”は序盤から龍臥亭にずっといるのに、台詞もなく、その名が作中に書かれた回数は一桁に留まるんじゃなかろうか。フルネームを見た記憶すら僕にはない…。(そのせいで、この上のほうに書いた登場人物表の収まりが悪くなってます><)

松婆ちゃんについては血縁関係もよくわからない。菊子が死んだ際に育子は、「どっちの?」と問われて「菊子の方です」と答え、「実のお母さん?」と問われて「はい」と答えている。そこから推測するに、おそらくは育子の夫である一男が入り婿で、その母が松なのであろうと考えられるが、あるいは育ての母だとか、何かもっと複雑な事情があるのかもしれないw

登場時からずっと怪しいままの人物がやっぱり犯人だし、またあの複雑化させようとすればいくらでもそれが可能なパターンだし、フーダニットの観点からは物足りなさは否めないが、作品全体の出来はなかなか良いほう。最後まで面白く読めた。ちょっと強引で、どことなく古さを感じるハウダニットもここでは好ましい。

密室殺人のトリックの可否について言えば、まあ納得しきれないところはあるw このトリックにはかなりの精度が要求されるが、決して専門家でもない者がその意図を知らぬ者に指示して、かつ実験もせずにそこまで精密な仕掛けの作成が可能だったことについての説明が欲しいし、その機構上、実行するたびに仕掛けに微妙な狂いが生じてくるのではという疑問もある。あと、せっかく御手洗からヒントを貰ったのにそれについてロクに調べもせず、何一つ痕跡を見つけられないままだった石岡の迂闊さにもツッコんでおきたいw

最初の密室トリックについては、誰しもが思うであろうが、やはりここまで偶然に頼るのもどうなのか。そういうトリックが成立したことだけならまだしも、それがたまたま誰かの殺人計画に重なるというのが、そして短期間で師弟揃ってたまたま死ぬ羽目になるというのも、なんとも言えない味であるw 合理性の中にどこかオカルティックに解釈し得る事象を入れるという手法ももちろんありだが、この師弟には果たして睦雄との因縁が絡んでいるのかどうかすらはっきりせず、どうにも釈然としない。

名探偵が捜査に参加せず、その助手的存在が解決に当たる事件となると、地味で渋い作品になりがちだが、本作はまったくそんなことはない。「たまにはこんなのもいいよね」「番外編としてなら楽しめる」ってな感じのエクスキューズは要らない。御手洗潔の不在は、少なくとも僕はそこに物足りなさを感じなかった。

本作では本筋とは無関係な、ちょっとしたトリックが読者に対して仕掛けられていたことがエピローグにて明かされる。これは発表順どおりに、リアルタイムで作品を追っているコアな読者じゃなければ気づきにくいものじゃないだろうか。僕はその点について序盤こそ引っ掛かりを感じていたものの、読み進めるうちにいつの間にやらすっかり忘れ、結局は最後までその解答にまったく気づかなかったw

二つのシリーズの交差点上の作品。



[第一章 1] 二宮佳世、石岡和己を訪問。
[2] 佳世、悪霊を祓うために旅行に出て、霊感に従って手首を掘り出す必要を訴える。石岡、それに付き合わされる。
[3] 佳世の霊感により龍臥亭に到着。
[4] 石岡、三階建ての建物の三階の部屋の窓の中に和服の小柄な美しい娘を見る。上方から琴の音が流れ始めたのを聴く。宿泊させて欲しいと主人に求めるが、龍臥亭は現在では旅館業を行なっておらず、拒否される。「ごうごう」という低く長い異音が聞こえる。「ドン!」と大きな音が鳴り、わずかに振動が伝わる。石岡が先ほど眺めた三階の部屋で火災。施錠された扉を破り、消火。部屋の中には女の死体。額に銃弾。部屋は窓も施錠されており、密室だった。
[5] 被害者は菱川幸子。琴の演奏家。部屋の外から鍵穴を通しての銃撃は不可能。坂出小次郎、30メートルほどの距離から部屋の中を見ていた。部屋はほとんどガラス張りで、1メートルほどの高さから上は丸見え。幸子は5分ほど琴を弾くと突然倒れ、姿が見えなくなったそして炎がチラチラと上がり始めた。幸子が倒れた拍子に飛ばされたのか、琴はガス暖炉の中に突っ込んでいた。
[6] 石岡たちはなし崩し的に宿泊を認められる。
[第二章 1] 龍臥亭の建物、龍胎館は上から見ると中庭を囲んで輪を描く。正面玄関となる三階建ての龍尾館の一階部分から、開放された廊下を右回りに緩やかに登っていく構造で、その左手に各部屋が並んでいる。(むかで足の間、尾布の間、柏葉の間、下音穴の間、雲角の間、甲の間、磯の間、裏板の間、蒔絵の間、べっ甲の間、螺鈿の間、柱の間、弦の間、四分板の間、枕角の間、龍角の間、六分板の間、龍眼の間、龍額の間、上音穴の間、口前の間、龍舌の間、猫足の間) 各部屋の出入口の扉の上には龍の透かし彫り。廊下の突き当たりの龍頭館は当然最も高い位置にある。その龍頭館から伸びる渡り廊下が龍尾館の三階へと繋がっている。暖房装置は龍尾館とその一階に近い側の5部屋(むかで足の間~雲角の間)には備え付けられているが、他の部屋にはない。
中庭にはこの旅館のシンボルの龍の青銅像がある。
[2] 幸子の命を奪った銃弾は古い製造の物。弾頭に傷を付け殺傷力を増したダムダム弾。石岡、この村の女に美しい者がやけに多いのを不自然に感じる。この家にはお化けが出るらしく、神主親子も滞在している。
[3] 石岡と佳世、当初の目的である手首探しに行く。桜の木の下から目当ての物が見つかる。
[4] 石岡ら、供養してもらおうと、近所の法仙寺に行く。住職・足立は切断された手首を見た途端に意識を失う。
[5] 石岡ら、龍臥亭に戻る。18時の鐘が鳴っている。ミチの叫び声。彼女の自室である“むかで足の間”で中丸晴美が頭頂部を撃たれて死んでいる。彼女はミチとユキ子とともに室内にいるときに撃たれた。むかで足の間の入り口にはコートが掛けられており、外から狙撃するには視界を覆われる上、そのコートに弾痕はない。想定される逃走ルート上で不審人物も目撃されていない。誰も銃声を聞いていない。
[6] ミチは前世からの業を背負っているということで、その因縁を晴らすために半年ほどひたすら仏を拝むように言われ、ここに滞在している。仏壇はこの部屋にしかないため、他の部屋に移ることは拒否。佳世、切断された手首発見の件を怪しまれ、警察に連行される。
[7] 石岡、龍臥亭に滞在していた小野寺錐玉が3週間前に失踪し、そのバラバラ死体が村じゅうに散らばって遺棄されていたことを知る。この村でかつて“三十人殺し”という連続殺人事件があり、それが因縁として語られていることを知る。小野寺の死体の額には「7」と書かれ、前歯は黒く塗られていた。切断された死体はそれぞれ古新聞紙で包まれており、その紙には同じ形の稚拙な鳥の絵が大量に描き散らされていた。彼女も場合も、幸子や晴美と同様に古い製造のダムダム弾による射殺だった。幸子や晴美の死体には硝煙反応がない、つまり至近距離からの銃撃ではないことが確認されている。佳世が見つけた切断された手首は、それまで未発見となっていた小野寺のもの。
[第三章 1] 石岡、檜風呂を堪能。さらに岩風呂へ。石造りの竜の頭の口から、熱い温泉が浴槽へと流れ込んでいる。岩風呂の石はどれも古いものばかりだが、修理でもしたのか、竜の頭のすぐ左下の石一つだけ妙に新しい。
[2] 菊子は現在療養中。目もほとんど見えていない。肺結核については既に完治しているらしいが、本人は伝染性の病気をまだ気にしているらしく、ユキ子を近づけさせないようにしている。彼女の部屋である“四分板の間”には備え付けで固定された変わり琴がある。かつて龍臥亭には腕の良い琴職人がおり、家の中には様々な琴がある。石岡、小野寺の失踪の状況を知る。彼女は18時前後に中庭に出て姿を消した。幸子の部屋の琴には発砲する仕掛けはなかった。
[3] 駐在の森安太郎巡査宅で保管していた幸子と晴美の死体が盗まれる。法仙寺の鶏小屋で首なし死体が見つかる。死体は幸子であろうと窺えるが、その服は一旦すべて脱がされた後に、表の一枚だけ再び着せられた様子。
[4] 幸子は基本的には明るい性格だが、神経質なところがあった。師匠の小野寺を始め、女に対してはさほど問題はないが、男と話すと時折激しい議論となって不機嫌になるなど、気分屋な面があった。小野寺は特に誰かに嫌われるような人物ではなかったが、幸子は多くの者から少々苦手とされていた。小野寺の失踪当時、大雪が降っていた。毎日の午前と午後6時の法仙寺の鐘撞きは、既に5年以上も犬坊行秀の仕事。龍臥亭のあちこちに出没する幽霊は住人のほとんどが見たことがある。地下で苦しそうな呻き声が聞こえたりもする。“睦雄”の幽霊だという。睦雄について犬坊里美は詳しくは知らないが、彼は60年近く前の連続殺人犯で、ダムダム弾を使用したという。30人もの村人が殺害されたが、彼が最も怨んでいた吉蔵は生き残った。その吉蔵は里美の曽祖父。
[5] 里美と話していた石岡、川を流れる小さな筏を見る。その上には新聞紙で包まれた物が載っている。その中身は生首。
[6] 筏は雑な作りで、素人仕事らしい。生首からは頭髪が頭皮ごと剥ぎ取られていた。両目の部分には眼球も瞼もなかった。両耳も切り取られていた。額には銃創らしき穴があり、幸子の頭部であろうと推定される。その穴のすぐそばには、小野寺の場合と同様に「7」と書かれている。しかし歯は黒く塗られておらず、新聞紙に鳥の絵も描かれていない。警察に連行されたままだった佳世、解放される。彼女は一緒に東京に戻ろうと電話で石岡に懇願するが、彼は最後まで事件を見届けたいと断る。彼女は怒った様子で電話を切り、立ち去る。
[第四章 1] ミチ、亡霊を見る。
[2] 筏の頭部と、鶏小屋の体は幸子のものと断定される。神主親子、最もよく幽霊が現れるという地下の風呂場で祈祷。この風呂は現在は使用されておらず、物置となっている。地下にはかつて琴の製作部屋もあった。
[3] 石岡、琴について里美から講釈を受ける。雑用を任されていた留金八十次という使用人が数ヶ月前に突然にいなくなったという一件を知る。里美曰く、柔和で器用な50歳過ぎのいい人。彼の母が倒れた際、犬坊家はその治療費を立て替えたり、後にその借金を一部棒引きにもした。彼が犬坊家を怨んでいるはずはないという。
[4] 幸子の死体からは性器と乳房が持ち去られていた。警察は留金が犯人ではないかと怪しんでいるが、龍臥亭の料理人・守屋敬三はそれに対して懐疑的。幸子の生首が筏に載っていたが、彼は手先が器用だったので、あんなひどい出来の筏を作るはずがなく、性格も温厚なので信じられないと。
[5] 料理人・藤原彰が失踪。琴職人・樽元純夫が龍臥亭を辞めたのは8年前。本人と妻の体調不良のため。
[第五章 1] 石岡、深夜に足音を聞く。睦雄の霊を見る。その影を追って中庭へ出る。湿った有機物を焼くような臭気を感じる。先へと進むと法仙寺の敷地に出た。墓地に入った。尾行していた影を見失った。引き返すと、焼き場の竈に火が入っていた。その前にはあの幽霊が立っていた。額に鉢巻き、その両脇には懐中電灯が差し込まれ、全身黒尽くめ、腰には白い帯、手には銃らしきものを持ち、両脛にはゲートルが巻かれている。そしてその顔の部分にはぽっかりと暗がりがあった。黒い布が下がっていた様子ではない。石岡は這々の体で逃げ出し、自室の布団の中に潜り込んだ。
[2] 翌朝、竈には燃えたような物は何もなかった。
[3] 犬坊育子と里美とによる、琴の野外演奏会。それを観ようと、現在の龍臥亭に滞在しているほとんどすべての者が廊下に座っている。2曲めの演奏中、菊子も部屋から廊下に出てきた。隣に座っていた坂出と何か話している。予定されていた曲目が終わったが、二子山一茂がアンコールと叫び始めると、坂出や石岡もそれに同調した。育子と里美は相談し、それに応えた。演奏が進むと観客に動きが現れ始めた。菊子は疲れが出たのか自室に退き、行秀は廊下を下って行く。そしてミチ親子も立ち上がり、それに話しかけながら立った倉田エリ子と連れ立って廊下を下って行く。予定外の演奏は続いていたが、律儀な行秀はそれに構わずに日課の鐘撞きを開始した。その直後に演奏は終了した。二撞き目が鳴った。女の悲鳴。むかで足の間にまたもや死体。エリ子が頭を撃たれていた。菊子や、彼女に尋ねられた育子も状況が掴めず、むかで足の間の前に集まっている連中に向かって大声で叫んで尋ねていた。
[4] 使われたのはまた古いダムダム弾。部屋の板戸は閉まっており、突っかえ棒も入っていた。エリ子が死んだとき、室内にはミチとユキ子がいた。三人とも硝煙反応なし。エリ子の死から3時間後の午後9時、菊子が自室で死体となっているのが発見された。開放された窓のほうに足を向け、仰向けに倒れている。胸には銃創。室内に凶器の銃は見当たらない。窓の下は高さのある石垣。少々困難ではあるが、外から狙撃することは不可能ではない。隣室の坂出を含め、誰も銃声を聞いていない。
[5] 石岡、事件のあらましを記した手紙を御手洗潔に送る。龍臥亭に戻り、菊子の死を知らされる。
[6] 菊子に撃ち込まれた銃弾は、他の場合と同様に古い製造の物だが、ダムダム弾加工されていない通常の物。そして他の死体と違い、硝煙反応があり、至近距離から撃たれたものと推定。行方不明の藤原は村内で目撃されており、生存している模様。
[7] 留金のお気に入りだったという炭焼き小屋へ向かう。その道中で石岡、坂出の話を聞く。琴演奏の際、菊子は彼に、育子と里美の二人は正座してるのかと尋ねたという。二回目の鐘の音が鳴ったときにエリ子は撃たれ、四回目の辺りで菊子は育子に状況を尋ね、五回目のときに育子から報告を受けた菊子は自室に入ったと見られる。であるならば、エリ子を殺害した直後に、犯人は菊子の部屋へと素早く移動し待ち構え、首尾よく部屋に戻った菊子を六回目のときに撃ち、窓から飛び降り逃亡したと考えられる。しかし後に窓の外を調べたが、それらしき足跡はなかったという。
[8] 小屋の近くで留金の首吊り死体が発見される。幸子の死体から持ち去られた部分を身に着けていた。額に「7」。死亡推定時は2ヶ月前。小野寺の死よりも前。留金が犯人であり自殺したという説は否定される。
[第六章 1] 石岡、四分板の間の中に亡霊を見る。留金、菊子、エリ子の合同葬儀が行われることとなった。しかし三人の死体は盗まれた。御手洗から石岡に電報が届く。「リュウコワセ」
[2] 石岡、藤原と育子との丸ノコ小屋での情事を目撃。育子の背中から尻の辺りには火傷の痕らしきものがあった。
[3] 守屋、失踪。犬坊一家、この家を引き払った後について喧嘩。里美は都会へ行きたくて、行秀は島根の親戚の家に身を寄せることを希望し、一男もそれに同調するが、育子はそれに反対し、離婚を望んでいるらしい。しかし一男は離婚については断固拒否。ミチ、体調不良のユキ子を石岡に預け、日課の法仙寺への願掛けに行く。先日の願掛けの際に銃撃されたことをユキ子から聞いた石岡は、ユキ子を一茂に任せ、ミチの後を追った。
[4] ミチの祖母・世羅きみえは睦雄の殺人計画の標的の一人だったが、事件の前に村を出て難を逃れた。きみえの身代わりとなって多くの者たちが殺されたことがミチの背負った業であると、彼女は信じている。銃撃。幸いにも石岡にもミチにも当たらず。石岡とミチ、ともに幽霊との二度目の邂逅。
[第七章 1] バス停で守屋の死体が見つかる。銃殺。弾丸はダムダム弾加工されていない。着ていたはずのセーターなどは身に着けておらず、前をはだけたワイシャツとズボンという姿。樽元は仙人山の木を切って琴の材料としたりしていた。
[2] 山中で菊子の死体見つかる。彼女自身の和服の下に、守屋の下着を着ていた。懐には、鳥の絵が描かれた新聞紙で包んだ守屋の性器。当然、守屋の死体からはそれが切り取られている。守屋も菊子も額には「7」。守屋の死体からは硝煙反応あり。
[3] ミチ、願掛けへ。ユキ子を里美に任せ、石岡、坂出、一茂がミチの後ろに付いて行く。白い何かを見つけ、三人で囲むように近づくと、それはエリ子の死体。その脇に一男の死体。
[第八章 1] エリ子の死体は脛が布紐で括られていた。一男は通常弾による射殺。硝煙反応あり。どちらの死体にも額には「7」。死体が置かれた現場には2冊の本。「讃美歌第二編」と「北原白秋詩集」。これまでに死体は八つ。早くに殺された者(幸子、晴美、エリ子)からは硝煙反応は出ず、ダムダム弾が使われている。菊子とそれ以降に射殺された死体からは硝煙反応が出て、通常弾が使われている。最も早い段階の死体である小野寺の場合の硝煙反応は不明だが、彼女にもダムダム弾が使われており、この法則は当て嵌まると思われる。石岡、里美との会話の中で、本事件と阿部定事件との類似性に気付かされる。
[2] 石岡、図書館で阿部定事件について調べる。資料の中に「ハトロン紙」という耳慣れぬ古い言葉を見つける。犯人も「ハトロン」という意味がわからず、適当に見当を付け、「ハト」の絵を新聞紙に書いたのではと思い当たる。当時のラブホテルは「待合」と呼ばれており、そこから「バス停」を連想した? 死体の額の「7」から昭和7年に当たりを付け、その年の猟奇事件を調べると、「玉の井バラバラ殺人事件」というのがあった。その記事の中に「おはぐろどぶ」という地名があった。「おはぐろ」――それこそまさに小野寺の死体の歯が黒く塗られていた理由なのか?
[3] 石岡、過去の猟奇事件に詳しい郷土史家・上山評人から話を聞き、見立て殺人を確信する。
[4] 石岡、本事件は昭和7年頃に起こった様々な猟奇事件の見立てであることを刑事に伝え、それを逆に利用した罠を提案。死体を仮埋葬して、それを掘り起こしに来た犯人を捕えるというもの。話しているうちに、これは昭和13年頃に睦雄が書いて放棄した殺人計画書を、最近になって別人が利用したものではないかと思い当たる。
[5] ミチは自分の母は睦雄ときみえの間にできた子ではないかと疑っている。
[6] 石岡、上山からこの村の“婬風”を教わる。現在では廃れているが、昔は夜這いの風習があった。育子は一種の先祖返りであり、彼女と寝ていない男のほうが珍しいという噂さえあった。
[第九章 1] ここからは都井睦雄の実像について。肺結核で両親を失ってからは、睦雄は祖母・いねに育てられた。もう一人の家族は姉・みさ子。
[2] 病気がちだった睦雄をいねは溺愛した。
[3] 睦雄は体格も良くなってきて、学業優秀で級長になった。小説を書くことに手を染めるようになった。
[4] 睦雄は進学を希望したが、それは彼が家を出ることを意味する。いねは反対する。金銭的な事情もあり、睦雄は断念。
[5] 睦雄に結核性の肋膜炎の病状が現れる。両親のこともあり、彼は死の恐怖に取り憑かれる。猟奇事件に興味を持ち、新聞の切り抜きを始める。村の補習学校に通い始めると、青年会の者たちと交流するようになり、酒を覚え、女遊びに興味を持つようになる。
[6] みさ子、結婚。睦雄、小悪党の内山寿と知り合い、親しくなる。
[7] 睦雄、内山の協力で女を知る。
[8] 睦雄の肋膜炎の再発。
[9] 睦雄、闇で出回っている阿部定事件の自供調書を写させてもらう。
[第十章 1] 睦雄、金銭できみえとの関係を持ち、それを重ねるようになる。他の女にも同様に迫るが、なかなか上手く行かない。
[2] 睦雄、徴兵検査で自身の結核を断定され、大いに落ち込む。村には夜這いの風習があるが、それは決しておおっぴらなものではない。睦雄は夫ある身の女の不貞の事実を掴み、脅迫を用いて関係を迫るようになる。
[3] 睦雄、借金をしてできる限りの結核治療に励む。贅沢品を買い漁るうちに、自分から彼に近づいてくる女も現れ始める。彼は銃器を入手する。
[4] 睦雄の夜這いが村じゅうに知れ渡る。彼は肺病持ちということもあり、女たちは肉体関係を持ったことを保身のためにも強く否定し、率先して彼の悪口を触れ回った。
[5] いね、睦雄に毒を飲まされたと、親戚の家へやって来るが、これは後にいねが証言を翻したために不問となる。しかし睦雄には物騒な事件をほのめかすような言動があったため、家宅捜索が行われた。すると大量の武器弾薬が発見され、彼はその提出を余儀なくされた。
[6] 睦雄、「昭和七年の天誅」という短編小説を書く。それはまったく自分だけのためのもので、過去の猟奇事件に見立てた犯罪の計画書とも言うべきもの。
[7] 睦雄、大金を借り、武器の購入と仙人山での訓練を開始。銃弾は殺傷力を高めるためにダムダム弾に加工。以前の計画は完全に放棄し、もっとシンプルで大量に殺せる計画を練り始める。
[8] きみえ、睦雄を警戒し、一家揃って村を出る。
[第十一章 1] 睦雄、殺人計画を実行。就寝中のいねの首を斧で切断。それを皮切りに、次々と村人を殺傷していく。
[2] 睦雄、菊子の家を襲撃。彼女以外の者は殺せたが、肝心の菊子だけは取り逃がした。菊子は隣家に匿われるが、その家の住人の中から巻き添えの犠牲者が出た。睦雄は菊子殺害は断念し、次の標的の家へと向かい、これは成功した。
[3] その財力に物を言わせて不貞の情事を重ね、さらには村人を黙らせてもいる犬坊吉蔵の殺害については、睦雄の中では世直し行為という意識もあった。睦雄はその殺害に成功したと思い込んでいたが、吉蔵は生き残った。それから睦雄は及川家を襲撃し、計画の殺害部分は終わった。睦雄は樽元家を訪れ、紙と鉛筆を入手すると、仙人山に入った。遺書は既に自宅に残してあるが、もう一つ書き置きし、自身の胸を撃った。生き残りのうち、菊子は後に犬坊秀市と結婚。犬坊由利子は戦後を一人娘と二人で暮らした。彼女は睦雄の手記の類を求めて彼の姉・みさ子を訪ね、遺品を見せてくれるようにと繰り返し懇願している。睦雄に紙と鉛筆を渡した子供・樽元純夫は琴職人になった。ここまでが都井睦雄について。
[第十二章 1] 以上の話を上山から聞いた石岡、犯人は睦雄の子孫の抹殺を目論んでいるのではないかと考えている。すなわちミチ親子を狙っていると。石岡、再びむかで足の間に入り、銃撃トリックについて考える。石岡、左腕を骨折したが、トリックを解明した。
[2] 石岡、病院から龍臥亭に戻り、自室で就寝。大きな地震で目覚める。龍臥亭の中には人の気配がまったくない。途方に暮れて、家の中を徘徊。睦雄の亡霊を見る。付いて行く。銃撃。亡霊を見失う。
[3] 男が墓を暴いている。銃声。男は倒れた。石岡、別の人影を追う。
[4] 樽元の告白。
[5] 石岡、残った謎の説明を刑事たちから求められる。
[6] 石岡、トリックとそうでないものを説明する。
[エピローグ] 石岡、聞き忘れていたことを尋ねる。
モース警部シリーズの長編第7作。ホテルでの仮装パーティー。その優勝者が自室である別館三号室で死体となって発見される。その妻も含め、滞在客の数名が警察が来る前に部屋を引き払っていた。被害者を含め、滞在客の数名の身元が掴めない。[???]

マーガレット・ボーマン:地方試験常任委員会の臨時職員
トム・ボーマン:マーガレットの夫
ジョン・ビニョン:ホーアス・ホテルの経営者
セーラ・ジョンストン:ホテルの受付
パーマー夫妻:ホーアス・ホテルの別館一号室の客, 夫・Fと妻・フィリッパ
スミス夫妻:同二号室の客, 夫・ジョンと妻・ヘレン
バラード夫妻:同三号室の客, 妻・アン
グラディス・テイラー:マーガレットの同僚
ミス・ギブスン:委員会の書記
エドワード・ウイルキンズ:工事の作業員
マックス:警察医
ベル:警視
フィリップス:部長刑事
ルイス:同
モース警部:主任警部



12月31日、ホーアス・ホテルでは仮装パーティーが催された。その優勝者はラスタファリー教徒に扮したミスター・バラードだった。

ミスター・バラードは深夜に別館三号室へと引き上げた。残った客たちもそれぞれ自室に引き上げ、ホテルの主人は別館の戸締りをした。

翌朝、別館三号室にはラスタファリー教徒に扮した男の死体が一つ。ミセス・バラードはいなくなっていた。そして警察が来るまでに、別館の残りの客も皆いなくなっていた。彼らの住所は出鱈目なものばかりだった。

殺されたミスター・バラードと、その妻の正体はまったく不明だった。


捜査を進め、推理を組み立てるモース主任警部だったが、上手く説明がつかない点があった。

――いったい何のために、仮装した男はパーティーに出て、深夜まで居残っていたのだろう?――


※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。



モースは殺害された男と同じ扮装をした者がパーティーに出ていたと推理するが、犯人がそんなことをした理由について、説明が付けられずに苦労する。

んで、終盤についに真相が明らかになるわけだが、これが拍子抜け。最大のガッカリポイントとしては、いきなり登場する共犯者。

仮装したミスター・バラードがほとんど何も食べなかったこと、深夜になってもまだそこら中に染みを付けていたこと、その仮装の出来は優勝するほど素晴らしかったこと。それらの手掛かりの解答こそが、その共犯者の存在なのだが、モースでさえもそれは偶然の出会いの結果として捕らえた人物であり、唐突さは半端ではないw 登場人物表にその名がない人物が、終盤に重要人物として立て続けに登場されると、だったら真相なんてどうにでもなるじゃん…という気がしてくる。

あと、犯人たちが用意したアリバイは、ほとんどどれも無意味に近いってのもなぁ。この事件は第一の計画と、それを別人が逆に利用した第二の計画から成ってるんだけど、第一の犯人のアリバイ工作は、作中に書かれている部分から判断する限りはまったく無価値。(きっと計画にはほかに細かい部分があるのだろうが、作中ではその詳細には触れられてない) 旅行に出掛けたと、本人が手紙に書いてるだけなんだもん。

第二の計画の犯人の一人のアリバイ工作は一応機能しているが、肝心のもう一人のアリバイはない。これじゃ意味ないだろう。

事件の謎のほかに、読者には解答が伏せられた謎が一つ提示されている。それはモースに届いたラブレターの送り主の正体について。

手紙の「トマス・ハーディの伝記」と、それに付随する「家はごく近く」、ほかにはちょっと弱いいくつかの点、モースが服の色を訂正した描写などから僕は単純に考えたけど、果たして正解は?w



[1 11月] マーガレット・ボーマン、葬儀に出掛ける。その夫・トムは留守番。
[2 11月] トム、妻とその浮気相手との手紙を見つける。妻への愛情と、その浮気相手への憎悪を意識し、殺人計画が練られ始める。
[3 12月] “ホーアス・ホテル”の案内。
[4 12月30日~31日] 12月31日の朝、“ホーアス・ホテル”は急な事態により人手が足りなくなり、休暇中のセーラ・ジョンストンが駆り出される。
[5 12月31日(火)] ドリス・アークライトから電話があリ、別館四号室の予約は取り消され、ホテルの客は38人に減った。
[6 12月31~1月1日] 参加者はできるだけ自分の正体をわからないようにする、仮装晩餐会。優勝者はラスタファリー教徒に扮した、ミスター・バラード。その左手がセーラに触れ、ドーランが彼女の服を汚した。
[7 1月1日(水)午後] モース主任警部、休暇を中断し、殺人事件捜査へ。
[8 1月1日(水)午後] ホーアス・ホテル別館での殺人事件はすぐに客たちに知れ渡り、警察の到着時には別館の客すべてを含む数名は立ち去ってしまっていた。三号室のベッドの上に横たわった死体は、ラスタファリー教徒の衣装を身にまとっている。
[9 1月1日(水)午後] 別館一号室の客はパーマー夫妻。二号室の客はスミス夫妻。三号室の客はバラード夫妻。四号室の客はドリス・アークライトだが、彼女は予約を取り消し、来館していない。バラード夫妻の住所は存在しない。ところがホテルからその住所宛への返信が送り返されることもなかったのは謎。
[10 1月1日(水)午後] 被害者は白人男性。年齢は30~40前後。現場の部屋の窓は開放され、冷え切っており、死亡時刻の推定は困難。発見の16時間から24時間前。前頭部への強い打撃が致命傷。
[11 1月1日(水)午後] 凶器は不明。
[12 1月1日(水)午後] ベッドには死体の重みでへこんでる以外、使用された形跡なし。
[13 1月2日(木)午前] ラスタファリー教徒に扮したミスター・バラード、そのそばにはベールで顔を隠した妻がほとんど常に付き添っていた。晩餐会の席ではほとんど何も食べなかった。真夜中近くにミセス・パーマーやセーラと踊っていた。午前1時頃、ミセス・パーマーとミセス・スミスの肩に手を回して、別館のほうへと引き上げて行った。そしてミスター・パーマーとミスター・スミス、ミセス・バラードが別館に引き上げると、ホテルの主人のビニョンが別館の戸締りをした。もちろん別館の滞在客ならその後の出入りも自由だった。
[14 1月2日(木)午後] スミス夫妻の住所は存在しない。彼らはシャンペンを4本注文し、3本の空き瓶を残してホテルを立ち去っていた。酒代も宿泊費も支払っていない。ドリス・アークライトの住所は赤の他人のもの。本人の住所は不明。
[15 1月2日(木)午後] “ミセス・パーマー”と名乗ったフィリッパは高級娼婦。
[16 1月2日(木)午後] 二号室に誰かが侵入。スミス夫妻はその部屋を立ち去る際に、その鍵も持ち去っていた。
[17 1月2日(木)午後] モース、フィリッパと面会。フィリッパともにホテルに滞在した“ミスター・パーマー”は彼女の客の一人。彼女はミスター・パーマーのアリバイを証言。彼女のレインコートにはミスター・バラードが残したらしきドーランの染み。
[18 1月2日(木)午後] ルイス、二号室から発見した、眼鏡の入ったケースをモースに見せる。スミス夫妻の住所を突き止める。
[19 1月2日~3日] マーガレット・ボーマン、夫・トムが彼女の浮気を知り、その相手の男に対する復讐計画を語ったことを思い出す。
[20 1月3日(金)午前] 詐欺師のジョン・スミス、妻・ヘレンへの置き手紙を残し、逃亡。
[21 1月3日(金)主に午前] モース、バラード夫妻がどのようにして存在しない住所宛の手紙を受け取った、あるいは受け取ったように見せかけたのか考える。
[22 1月3日(金)午後] スミス夫妻はホテルの無賃利用の常習犯。4本目のシャンペンの瓶は彼らの家の中にある。ミスター・バラードが汚したレインコートもある。ミセス・バラードの顔の大部分はヤマシックで隠されており、ヘレン・スミスは彼女を見分ける自信はないが、彼女の鼻と上唇の間に小さな赤い斑点があったのを覚えていた。ルイス、美容処置に思い当たっている。
[23 1月4日(土)] ルイス、美容クリニックを当たるが、プライバシーを盾に回答拒否するところもあり、有力情報は得られない。
[24 1月5日(日)] 存在しない住所宛の手紙を簡単に受け取れる者がいる。それは郵便集配人。モース、トム・ボーマンに目を付ける。
[25 1月6日(月)午前] マーガレット・ボーマン、モースの尋問に呼び出される。
[26 1月6日(月)午前] マーガレット、美容クリニックに行ったことは否定。夫の行方を問われると、彼からの置き手紙を見せる。日付は12月31日。不倫の告白と、その精算のために数日間の旅行に出る旨が書かれている。筆跡に怪しい節はない。
[27 1月6日(月)午前] モースの推理。「マーガレットの不倫を知ったトムが、彼女と和解し、相手の男の殺害を計画する。マーガレット、相手の男をホテルの仮装パーティーに連れ出す。三号室に忍び込んだトムが、仮装した相手の男を殺害。トムもその男とまったく同じ仮装をして、マーガレットとともにパーティーへ。ドーランを他の客たちに残し、自分の存在を印象付けてから自室へと引き上げる。トムとマーガレットはこっそりホテルから抜け出す」 ルイスの疑問。「死体を部屋に放置したままパーティーへ行くのは、その間に従業員に発見される危険性が高いのでは? トムの仮装はいつ、どこで行ったのか?」
[28 1月6日(月)午前] マーガレット、彼女の車で逃走。
[29 1月6日(月)午前] マーガレット、駐車違反で取り締まられる。
[30 1月6日(月)正午] マーガレット、教会の塔の頂上へと上る。彼女のハンドバッグが落下して行く。
[31 1月6日(月)午後] トムの同僚に、ホテルの死体を確認させる。トム・ボーマンと断定。塔の上から落ちたバッグを浮浪者が警察に届ける。
[32 1月6日(月)午後] ボーマン宅の捜索。“エドウィナ”からマーガレット宛の絵葉書。台所に積まれた新聞紙の中に本日のものがある。マーガレットはモースたちが来る前にタクシーで帰宅して、立ち去っていた。
[33 1月7日(火)午前] マーガレットのバッグが遺失物として警察に保管されているが、担当者のミスにより、それを届け出た人物の情報は記録されておらず、落ちていた場所などの情報は不明。その中には料理店の宣伝用のカード。その裏に「M 愛してるよダーリン。T」とボールペンで書かれている。
[34 1月7日(火)午後] モース、ボーマン宅へ引き返す。エドウィナからの絵葉書がなくなっている。そこに書かれた筆跡は、料理店のカードの裏の文字と同じだった。マーガレットが危険を犯してまで自宅に戻り、絵葉書を持ち去ったのは、それが重要なものであるため。絵葉書の“エドウィナ”と、料理店のカードにあった“T”は、マーガレットの浮気相手の名を示すと推理。すなわちエドワード、愛称・テッド。
[35 1月7日(火)午後] モース、匿名のラブレターを受け取る。
[36 1月7日(火)午後] マーガレットの浮気相手からの手紙のコピーが見つかる。ルイスの推理。「マーガレットの不貞行為は長期間に渡っている。相手の男は彼女よりも少し歳下(36歳以下)。相手の男はここに書かれた待ち合わせ場所から、車で数分、西側の場所に住んでいる」
[37 1月7日(火)午後] モースの推理。「マーガレットとその相手の男はしばしば公然とすぐ近くにいた。相手の男はマーガレットとの初めての出会いの際、彼女を見下ろす高所にいた」
[38 1月7日(火)午後] エドワード・ウイルキンズを尋問。不貞行為を認める。最後に彼女に会ったのは1時間とちょっと前。彼が連行される際にはまだ彼の家にいたという。彼女は助けを求めていた。彼は外国にでも行くように助言したが、彼女にはパスポートがなく、その申請も難しいためできなかったという。ウイルキンズは殺人容疑で逮捕された。
[39 1月7日(火)午後] トムの計画を逆に利用して、マーガレットとウイルキンズが彼を二号室で待ち構えて殺害したとしても、彼らが犯行後にすぐに逃亡せずに、わざわざ仮装パーティーに出て、その姿を他の客たちに印象付けたのは、いったい何のために行ったことなのかが謎。
[40 1月7日(火)午後] 12月31日の夜から午前2時頃まで、ウイルキンズはバーでジャズ・グループの一員として演奏していた。ウイルキンズ、釈放される。モースに素晴らしい出会いがある。
[41 1月8日(水)午前] セーラ・ジョンストン、ドリス・アークライトを確認。
[42 1月8日(水)正午] 旅客機の中で男が逮捕される。
[43 1月8日(水)午後] 事件の第一の重要な手掛かりとして、ミスター・バラードはほとんど何も食べなかった。第二として、深夜になってもまだそこら中に染みを付けていた。第三として、ミスター・バラードの仮装の出来は素晴らしく、優勝した。
[44 1月8日(水)午後] モース、ちょっとしたトリックに引っ掛かったことに気づく。
ブラウン神父シリーズの第2短編集。ストーリーテリングの妙。今やスタンダードとなったトリックの数々。[???]

J・ブラウン神父:神に仕える蝙蝠傘がトレードマークの小男
ヘルキュール・フランボウ:巨大な身の丈と不敵な腕力の持ち主, 驚くべき軽業師, 天才の閃きも持ち合わせる, 犯罪界の大立者として知られた人物

「グラス氏の失踪」:姿を見せぬ、謎のグラス氏。
「泥棒天国」:山賊団のあまりにも脆弱な拠点。
「ヒルシュ博士の決闘」:対戦者のうちの強そうなほうが決闘から逃げ出す。
「通路の人影」:目撃者たちの証言がすべて違う人影。
「器械のあやまち」:正しい機械から導き出される誤った答え。
「シーザーの頭」:目撃は不可能な出来事を知る恐喝者。
「紫の鬘」 :秘密を隠すためには奇妙な鬘。
「ペンドラゴン一族の滅亡」 :言い伝えを利用した犯罪。
「銅鑼の神」 :犯行の隠し方。
「クレイ大佐のサラダ」 :実現していく猿神の呪い。
「ジョン・ブルノワの珍犯罪」 :殺人犯と名指しされた人物の小さな犯罪。
「ブラウン神父のお伽噺」 :住民の武装解除を徹底した独裁者が射殺される。

※以下の反転表示部はネタバレ注意。




思っていた以上に長くなり、記事の容量を超えてしまったため、止むなく前半・後半と分けることになってしまいますた(´・ω・`)ショボーン




「紫の鬘」
エクスムア公爵
マル博士:公爵の蔵書保管係
アイザック・グリーン:弁護士
フランシス・フィン:記者
エドワード・ナット:編集者
バーロウ:タイピスト



エクスムア公爵家の祖先は魔術の力によって、その耳が醜く巨大化させられてしまったという恐ろしい伝説があり、怪物の耳はその血筋に繰り返し現れているのだという。

現エクスムア公爵は人前では常に鬘を被っていた。彼は目の前のマッチ箱を取らせるために人を使いに遣るような人物だったが、着替えについては一切他人に任せることはなかった。部屋の中にたった己一人になってからでないと行わず、公爵本人以外の誰一人とてその鬘を外した姿を目にすることはなかったのである。

公爵について、以下ようなエピソードがある。


公爵はかつてアイザック・グリーンという弁護士を抱えていた。その30そこそこにして完全な禿頭の人物は、巧みに公爵家の財政を窮地に追いやり、ついには公爵はその領地の半分をこの弁護士に譲り渡さずにはいられない羽目に陥ったのだ。

それを知った公爵は激怒し、グリーンの禿頭に酒瓶を叩き付けた。するとよろよろと立ち上がったグリーンは、こう言ってのけた。

「これはありがたい。こうなれば領地はすべて頂けますからな。法律がそう取り計らってくれるのです」

それに対して公爵は言った。

「法律はそうしてくれるだろうが、貴様の手には入らん。なぜならば、そのとき俺はこの鬘を脱いでやる。俺の頭を見たやつは生き延びることはできないんだ」

それを聞いたグリーンはすごすごと退却し、二度とその近辺に姿を見せなかったという。

それ以来、公爵は魔法使いとしても恐れられるようになった。



ブラウン神父は公爵の鬘に一つ気に喰わないところがあった。それはその色である。それはいかにも鬘でございと主張しているような色で、自らの血筋の呪いを恥じているような公爵が、なぜそれをもっと自然に隠すような鬘を被らないのか。その理由は、公爵はその呪いを恥じているのではなく、誇っているからなのだ。皆にその呪いを知ってもらいたいのだ。

その話を聞いたフィン記者は、もし自分の家に本物の幽霊話でもあれば、確かに少々得意になるだろうと認めた。

神父は話を続けた。公爵はその家系の呪いについてはまったく隠していない。ところがその頭はひた隠しにしているのだと。


ブラウン神父とフィン記者は公爵と再会した。神父は公爵にその呪いを打ち破るべきと説いた。それは鬘を脱ぐだけでいいのだと。

しかし公爵はそれを拒んだ。大変な災厄をもたらすものだからと。

神父は公爵にさらに迫った。フィン記者はどうにも抑えがたい衝動に身を任せた。彼は暴行罪で起訴される覚悟で公爵の鬘をもぎ取ったのだ。

公爵の頭には特に変わった点はなかった。その耳もごく普通の耳だった。


「当たり前の耳だから隠す必要があったのです」

公爵に歩み寄った神父は、彼の禿頭に古傷を見て取った。

「察するところ、グリーンさんですな」


結局は単純な話だったのである。法律によって領地をすべて失った公爵は自殺し、それを手に入れたグリーンは後に爵位をも受け継ぎ、新たな公爵として振舞っていたのだ。これはまったく合法的なものである。

しょせんは一代成金にすぎない彼にとって、このいかにも貴族的な伝説と家系を我が物とすることへの羨望は抗しがたいものであった。しかし遺伝的に受け継がれた畸形の耳は彼にはない。だからこそなおさらその耳を人目に触れさせるわけにはいかなかったのだ。



マスコミ業界への皮肉も入っている。今も昔も、どこの国でも…だろうかw


「もし悪魔がこれは恐ろしいものだ、見てはならぬと言ったなら、断じてそれを見るべきです」




「ペンドラゴン一族の滅亡」
ペンドラゴンじいさん:“提督”
執事
ウォールター:じいさんの甥
セシル・ファンショウ卿:コーンウォールの地主



「両の目が輝いていれば船は無事、片目の瞬き一つでみんなお陀仏」

それはこの地方に伝わる格言で、岸の灯台が二つとも見えれば正しい航路を進んでいるが、もし片方の灯台がもう一方の後ろに隠れて一つしか見えないならば、そこは暗礁の上であり、危険という意味である。


ペンドラゴン家には伝説があった。祖先がスペイン人捕虜から復讐の呪いを受けたというものである。その一族の生き残りの一人、通称“提督”は決してそれを信じていなかったが、彼の父や兄が海中に没したのは事実だった。提督は海難事故など珍しくもなく、それを単なる偶然と片付けていたが、その様子を見ればブラウン神父ならずとも、彼がそう信じているというよりは、そうであって欲しいと自らに言い聞かせているのではないかと疑ったであろう。

しかし提督はあくまでも強気だった。航海中の甥は無事にもうすぐ帰ってくる。そうなれば呪いなどないと証明されるはずだ――


ブラウン神父は提督に、今晩は塔に泊まらせて欲しいと申し出た。その塔には何度か焼けたなどの話があり、そこにも呪いの伝説が絡んでいた。呪いを信じていないはずの提督はその申し出に対し、拒絶したい様子が見て取れた。しかし結局は渋々ながらそれを受け入れた。

「自分の身が危なくなってもいいというのなら、どうぞ」



その夜、塔に火が放たれた。しかしそれはブラウン神父にとっては予期したものだったのだろう。神父の一行は塔で眠ってなどおらず、のんびりと庭の手入れなどをしていた。


塔に火を放つと、遠くの船からはそれはまるで灯台のように見えたのだろう。本来は一つしか見えないはずの灯台が二つに見えたかもしれない。

「両の目が輝いていれば船は無事、片目の瞬き一つでみんなお陀仏」

提督はこの手段を用いて父と兄を海の中に葬ったのだった。しかし三回目は失敗した。塔の火は既に消されつつあった。今回に限っては、水の中に姿を消したのは提督自身だった。



多くの伏線が張り巡らされている。無関係そうな個々のエピソードが収束していくのは見事。

火の点いた塔があったら、灯台が二つどころか三つに見えてしまうことはないのだろうかw


「鳥の羽を一枚、化石の横に置かれているのを見たら、誰だってそれを標本だと思う。もし同じ羽根がリボンとともに並べられていたら、それは婦人帽に使う羽根だと思うでしょう」




「銅鑼の神」
ホテルの主人
マルヴォリ:ボクシングのチャンピオン
ネッド:同
プーレイ卿



たまたま立ち寄ったひと気のない音楽堂でブラウン神父は死体を見つけた。次に訪れたホテルでは、その主人から近所でボクシングの試合が行われることを聞いた。その代わりにブラウン神父は、彼が先ほど音楽堂で出会った人物について語った。ただしその人物が死んでいたことについては伏せておいた。

すると突然、相手は短剣で襲いかかってきた。それを神父の相棒のフランボウが追い払うと、次の瞬間にはどこからか銃撃された。フランボウは神父を抱えると、素早くその場を後にした。



ブラウン神父はボクシングの試合会場へと向かった。そしてさっそくプーレイ卿と面会した。神父は開口一番、人が殺されるのを防ぐために来たとプーレイ卿に告げた。

誰が殺されるのか、それは神父にすらわかっていなかった。しかし彼が不思議な説得力を駆使した結果、プーレイ卿は試合の延期を決めた。


その話が伝わると、すぐに黒人チャンピオンのネッドが怒鳴りこんできた。彼に対して神父は静かに告げた。この部屋からだけではなく、この国からもすぐに出て行くように、と。

それを聞いた相手は意外なほどにあっさりと引き下がった。


人を殺したいときは、相手と二人きりになるのが必ずしも最善の策ではない。そこに人は自分一人だけなのだろうかと疑えば、本当に一人きりなのか確かめることは難しいことに気づく。もし遠くにたった一人でいる人物を見かけたなら、その一挙手一投足まで見て取るのは容易なのだ。自分がその見張られている人物ではない保証はどこにもない。

ならば他の方法もある。皆の視線が何かに集中する機会を捉えればいい。たとえば使用されておらずガラガラの競馬場よりも、大入り満員のレース中のほうが目撃される危険は少ない。

音楽堂の場合も同じだったのだ。演奏の見せ場の瞬間、突然に足元に穴が開いて墜落した男など誰も見ていなかった。そして今夜も、このボクシングの試合会場で選手の一方がノックアウトされる瞬間に、別の場所でもう一つのノックアウトが行われるという趣向だった。


あのホテルの主人は死体となって海面を漂うことになった。しかしネッドはすっかり姿を消してしまい、その行方は杳として知れなかった。



「一人きりでいるというのは、当然、誰もいない空き地であるということで~」とあるが、一人きりになるならむしろ開けた屋外よりも狭い室内を連想してしまう。そんなこんなで今回の逆説の切れ味は鈍いように思う。

犯人たちがなぜあんな怪しいホテル業務を行なっていたのかも不明だし、せっかく邪教を絡めてるのに、その設定を全然演出に活かしてないし、何もかもが物足りない。


「えらく頭のいいやつだから、身を隠すために顔を白く塗るなんてことはやるまい。私が思うに、顔を黒くしているんじゃないかな」




「クレイ大佐のサラダ」
クレイ大佐:英国砲兵隊員
パトナム少佐:クレイの友人
オードレイ・ワトソン:パトナムの被後見人, クレイの婚約者
オリバー・オーマン博士:オードレイの親類



クレイ大佐はインドの都市に滞在していたときに、葉巻を買いに行くはずが間違った戸口をくぐってしまい、背中を向けた石像を見てしまった。するとそこに怪しげな男が現れ、こう言った。

「もしお前が猿神の足だけを見たのなら、我々はごくおとなしい手段を採っただろう。お前はただ責め苦を受け死ぬだけだった。もし猿神の顔を見たとしても、やはり我々はごく穏健に、ごく寛容にしてやるだけだった。お前はただ責め苦を受け、生き長らえただろう。ところがお前が猿神の尾を見てしまった以上、我々は最大の刑罰を宣告せねばならない。つまりお前は自由に帰るのだ」

「今後は一筋の毛が刀のようにお前を斬り殺し、一吹きの呼気が毒蛇のようにお前に絡みつき、どこからともなく凶器が現れて、お前に襲いかかる。お前は幾度も死に遭うのだ」


ジャングルの外れの村で第一の事件が起こった。深夜の暗闇の中で目覚めた大佐がそのまま横になっていると、糸か何かが喉をかすかにくすぐりながら横切るのを感じ、思わず首を引っ込めた。そして起き上がって明かりを点け、鏡を見ると、首には細い血の筋があった。

第二の事件は帰国途中の宿で起こった。大佐はまたしても夜の暗闇の中で目を覚ました。それというのも、まさしく呼気が毒蛇のように絡み付くという表現がぴったりなほど苦しくなったのだ。彼は壁に頭を打ち付け、窓に突き当たり、倒れ落ちるように下の庭へと転落した。

第三の事件はマルタ島で起こった。大佐が寝室の大海原に面した窓の向こうを眺めていると、空中に浮かんで旋回している棒切れのようなものが目に入った。次の瞬間、それは室内に飛び込み、枕の横のランプを粉砕した。確かめてみると、それは奇妙な形の棍棒だった。


そんなこんなで、大佐の神経はすっかり敏感になってしまっていた。だから家に何者かが忍び込んでいるのを見て、相手を確かめもせずにすかさず狙撃したという点については同情の余地はある。


ところで大佐のそれらの体験については、友人のパトナム少佐を始めとして、皆いささか懐疑的であった。彼らが心配しているのは、大佐が命を狙われているという問題ではなく、その精神状態についてなのである。今回の件についても、大佐が発砲すると、相手はくしゃみしたなどと聞けば、彼らの心配が大佐の精神状態にばかり向けられるのもやむを得まい。

大佐にとっては幸いにもというべきか、ナイフやフォーク、薬味入れなど、銀器が消え失せていた。大佐の命を狙ったなどという話はともかく、何者か――恐らくコソ泥――が侵入していたのは大佐の妄想ではないらしい。



昼食にカレーを食べていたクレイ大佐が突然テーブルに突っ伏した途端、それまでの様子を一変させたブラウン神父は素早く彼に薬味を飲ませた。そのおかげで大佐は一命を取り留めた。オーマン博士は彼の様子を窺った。パトナム少佐は顔を紅潮させ、警察を呼びに行くと言って玄関から飛び出した。


ブラウン神父は大佐に静かに語り掛けた。羽のようにかすかに触れただけで首に細い傷を残したのは剃刀。ありきたりの部屋を毒で満たす方法はガス栓をひねればいい。窓から外に投げて、空中で反転して隣の窓に舞い込む武器はブーメラン。たまたまちょうど、クレイ少佐の部屋にも同じ物がいくつかあった。猿神の寺院での一件は偶然の一致か、あるいはある白人の計略の一部。


オーマン博士も怪しいと勘付いていた。少佐のテーブルに乗っていた本はある毒薬に関するもので、開かれたページにはその毒薬はごくありふれた吐剤を用いることで対処できると書かれていた。盗まれたという薬味入れにはその吐剤が入っていた。

ところでゴミ箱に捨てられていた胡椒入れには銃弾が命中していた。クレイ少佐の放った一発は犯人には当たらずに胡椒入れに命中し、そのせいで犯人はくしゃみをしたのである。

「少佐は警官を見つけるのに随分手間取ってるな」とオーマン博士が言えば、「警官が少佐を見つけるのに手間取ってると言ったほうがいいかもしれません」と神父は言った。



毒殺を目論んでる人物が、それについて記載されたページを開いたまま自分のテーブルの上に置いておくなんて無用心にもほどがある。それを誰かに見られてしまったら、いかに死因が突き止められにくい毒物を探し出しても意味ないじゃないかw


「あなたは狂人だったら欲しがらぬはずのものを欲している。自分が間違っていたということを証明したがっている」




「ジョン・ブルノワの珍犯罪」
ジョン・ブルノワ:貧乏学者
ブルノワ夫人
クロード・チャンピオン卿:金持ちであらゆる趣味を持つ偉大な名士
カフーン・キッド:米国の日刊紙“西方の陽”の英国特派員
ジェームズ・ダルロイ:桃色新聞“スマート・ソサイアティ”の記者



その新説が少々話題になったジョン・ブルノワ氏との取材の約束を取り、はるばるその家を訪れたキッド記者だったが、会えたのは応対に現れた下男だけだった。彼が言うには、主人は隣家へ行ったという。当のクロード・チャンピオン卿の家では「ロミオとジュリエット」の野外劇を催す手はずなのだが、ブルノワは夫人に遅れて一人で向かったらしい。

それを聞いて一瞬落胆したキッドだったが、夫人を巡ってクロード卿との対決に出向いたのかもしれないとすぐに思い当たると、その現場へと急行すべきと奮い立った。


小ぢんまりとしたブルノワ宅に対し、クロード卿宅は比較にならぬほど豪華な家だった。家に限らず何もかもが正反対といった具合のブルノワとクロード卿だったが、これでも二人は長年親しくしている幼馴染なのである。その二人の友情をあるいは壊してしまうかもしれないのが、美しいブルノワ夫人だった。それほどまでにクロード卿の彼女へのアプローチは露骨で激しいものだった。


キッドが目撃したのは、まるで演劇の一場面のような光景だった。真紅に金を散りばめた服で全身を包んだ人の姿。一瞬煌めいた月光に照らされたバイロンを思わせる顔。キッドは会ったことはなかったが、それは紛れもなくクロード・チャンピオン卿だった。なるほど、これは野外劇の衣装なのだ。だが転落してきた男が流す赤い血。それは劇の筋書きにはないものだった。彼は剣で突かれていたのだ。

駆け寄ったキッドにクロード卿は言った。

「ブルノワだ。ブルノワが嫉妬してやった。俺の剣で…あいつはそれを投げ捨てた…」

クロード卿は地面に落ちた剣のほうを指し、死んだ。


そこに現れたのがブラウン神父。彼は剣の刃の中ほどを検めると、自分の出る幕はないようだと言って、並木道を歩き出した。



ブラウン神父はブルノワ夫人に会いに行った。夫人はブラウン神父に、なぜあなたはジョン・ブルノワの無実を信じているのかと尋ねた。

ブラウン神父は答えた。一つはごく曖昧なこと、もう一つはごく些細なことなのだと。

曖昧なことというのは、ブルノワ氏には似つかわしくない、クロード卿の死の場面は。もし彼ならば、もっと重く地味な殺人を行なうであろう。このあまりにもロマンティックな道具立ては、むしろクロード卿にこそ相応しいものだった。

些細なことというのは、剣の刃の中ほどに付いた指紋。そんな所を持つのは、剣を短く使うときくらいなもの。敵を突き刺すには長いほうが有利だが、短いことが有利な場合もある。それは自分を突き刺すときである。

クロード卿は自殺したのだ。


夫人にはクロード卿の自殺の理由がわかっていた。

クロード卿はあらゆる面で成功者のようであったが、どの面においても決して大人物ではなかった。それに対してブルノワ氏は世間的に成功を収めたこともなければ、名声を得たこともなかったが、優れた人物だった。

クロード卿はブルノワ氏に劣等感を抱き続けていた。そんな彼の目的は唯一つ。ブルノワ氏に彼を妬み、憎んでもらいたかったのだ。そのためにブルノワ氏の家の目と鼻の先に大きな家を建てることまでした。

ところがブルノワ氏ときたら無邪気なもので、クロード卿のそんな意図にはまったく気づかず、純粋に幼馴染の成功に感心し、それを喜ぶばかりなのだ。

その状況にさらに新たな要素が加わった。それは夫人がブルノワ氏を説き伏せ、彼に論文を書かせて雑誌に寄稿させたことだった。この記事が注目されるようになり、彼がわずかばかりの名声を得たのだ。それはクロード卿と比べればほんの些細なものだった。にもかかわらず、それはクロード卿にとっては耐え難いものだった。

もはやクロード卿はなりふり構わず、ブルノワ氏から夫人を奪い取ろうとした。ブルノワ氏に嫉妬させるためである。ところがブルノワ氏がは面白い本を入手したとかで、クロード卿の邸宅で行う「ロミオとジュリエット」――もちろんロミオはクロード卿でジュリエットはブルノワ夫人――の野外劇を観に来ないという。当の相手がまったく気にも留めていないことを知ったクロード卿はついに絶望し、自ら命を絶ち、その罪をブルノワ氏に負わせようとしたのであった。


ところで実はブルノワ氏はある罪を犯していた。本が面白かったので、つい取材をすっぽかしたくなり、下男の振りをして嘘をつき、新聞記者を追い払ってしまったのである。



金持ちが幼馴染の貧乏人を心から羨み、貧乏人が幼馴染の金持ちを無邪気に称賛する。金持ちは貧乏人を激しく意識していたのに、貧乏人のほうはそれにまったく無関心で気づきもしない。結果的にはこの二人の温度差が、その片方を死に追いやった。

金持ちが全身全霊を捧げた最後の仕事も、結局貧乏人のほうは与り知らぬまま。金持ちが一世一代の大芝居を見せたかった相手はそれを見ることもなく、のんきに「血まみれの拇指」なるスリラー小説を読み耽っている始末。

しかし貧乏人たるジョン・ブルノワ氏は、物語の要点とは無関係なところで、表題にあるとおりのちょっとした犯罪を引き起こす。自分が死刑になるかどうかという大犯罪に関わっていたともつゆ知らず、使用人のふりをして新聞記者を追い返すという、人によっては「週に6回は犯している」ような小犯罪に心を痛める。

結局、最後までお互いがお互いの価値観を理解できなかったことが悲劇を生み出したとも、あるいはだからこそもっと大きな悲劇は防げたとも言える。クロード卿はブルノワ氏を理解できなかたので、彼に対しての致命的な一撃を持ち得なかった。


「葉巻を吸うことで世間に名を知られようと思わないのと同じように、ものを考えることで有名になろうとは考えてもみないのです」




「ブラウン神父のお伽噺」
オットー公:ハインリッヒヴァルデンシュタインの独裁者
ルードヴィッヒ:アルンホルト三兄弟の一人, 英雄として死す
パウル:同, 裏切り者としてオットー公の侍従になる
ハインリッヒ:同, 臆病者として隠遁する
シュバルツ:一兵卒, 後に将軍にまでのし上がる
ヘドヴィッヒ:宮仕えの娘, 後にシュバルツと結婚
グリム:フランボウの旧知の刑事



独裁者の常としてオットー公もまた反乱に対する怯えは強く、彼は衛兵を増やし、誰何に応えないような怪しい人物は即座に撃ち殺させるようにした。終いにはその番兵小屋のほうが一般住居よりも多くなってしまったほどだった。そしてさらに公は自室を要塞化し、秘密の隠れ穴まで作った。墓穴に入るのを恐れるあまり、墓穴同然の隠れ場所を作ったのである。住民たちの武装解除も徹底し、もはやピストル一挺すら持ち込めないことを公は確信するに至った。

この地方には金鉱の噂が絶えなかったが、その秘密を知る者はもはやハインリッヒ唯一人であるらしく、オットー公はどうしてもそれを発見できずにいた。その状況を打開するために地質学の専門家たちを招いたのだが、その出迎えの夜、事件は起こった。オットー公が城外の森の中で死体となっていた。

オットー公は銃弾で頭を砕かれていた。そしてその死体のそばにはこれまた銃弾で撃ち抜かれたスカーフが落ちていたが、現場に残った銃弾は、公の頭の中の一発だけだった。



オットー公は金鉱を発見するための、専門家を頼りにするよりも確実でもっと安上がりな方法を思いついた。金鉱の秘密を知る隠者のハインリッヒに尋ねればいいのだ。どちらかと言えばハインリッヒはオットー公の敵対者であったが、今となっては多少の取引でどうにかなるだろうと高をくくった。

オットー公は決して臆病者ではなく、住民の武装解除に自信を持っていたので、彼は大胆にも一人でこっそり城を抜け出した。万が一の場合は、彼が一声掛けるだけでその周囲にいる多くの衛兵が駆け付けることも計算の上である。

オットー公の意に反したことが起きた。彼が黄金のことを口にした途端、話の聞き手であるハインリッヒは激しく反応し、禁忌たる言葉を口にした者に相応しい扱いを要求した。ハインリッヒは従僕に命じて、オットー公の顔にスカーフを固く巻き付け、その口を塞いだ。オットー公は一目散に家の外へと逃げ出し、城へと向かった。

オットー公の手足は自由だった。しかし顔に巻かれたスカーフはどうしても外せなかった。目は見える。耳も聞こえる。だが声を発することだけができなかった。彼は恐るべきことに気づいた。もしこの状態で彼の衛兵に姿を見られたら、当然誰何される。しかし彼はそれに答えることができないのだ。

誰何に応じない者を即座に射殺しろと命じたのは彼自身である。そしてその夜、衛兵はその命令を忠実に守ったのであった。


忠実な歩哨であるシュバルツは、射殺した相手の顔を確かめるためにスカーフを剥ぎ取った。そしてその相手が誰であるのかを知った。仰天した彼を救ったのはヘドヴィッヒという宮仕えの娘だった。

その後、職務に忠実なるシュバルツは異例の出世を果たし、彼とヘドヴィッヒは結婚した。



現実の独裁者なら、部下をここまで信用・信頼はできないだろう。部下冥利につきる、真にあっぱれな独裁者だw 危機のオットー公の採るべき行動は、いっそのこと部下に発見されるまでおとなしく倒れていることだったかもなぁ。


「オットー公は自ら下した命令によって撃ち殺された。自らの意志ではなく、自らの命令によって」