雨のあとに虹・Part2 その1
「社長。」
秘書の川嶋陽子が言うと
「はい。」
高村俊之は言った。
「予定通りの時間に出発でよろしいですか?」
陽子が言うと
「予定通りに段取りをしてください。」
俊之は言った。総武グループは日本を代表する企業グループでありそのトップに立つ俊之であるが正式に社長に就任してからは日が浅いせいか言葉遣いはところどころに違和感があった。
「あと30分ほどで出発できるように社用車を手配します。」
陽子は言うとテキパキと業務をこなしている。広い社長室で社内資料に目を通している俊之は一見すると30代後半に見えるのだがすでに46歳であり今が人生の中で気力も体力も充実している時期でもあった。俊之が資料を読み終えると
「失礼します。」
と言って交渉部長の薬師寺恵子が社長室に入って来た。
「はい。」
俊之が言って恵子と目を合わせると
「お忙しいところすみません。」
恵子は言った。
「続けてください。」
俊之が言うと
「明日の三友商事との調印式は10時に決まりました。」
恵子は言った。
「10時からだね。」
俊之が言うと
「必要なものは私が用意いたします。」
俊之の横で陽子は言った。
「解りました。」
俊之は恵子に言うと優しく微笑んだ。
「明日は三友商事の榊原部長も来られるそうです。」
恵子が言うと
「榊原も来るのかい?」
俊之は言った。
「中村さんから連絡が来ています。」
恵子が言うと
「彼も元気に復帰できてよかったよ。」
俊之は自分の事のように言った。
「少し休憩を取りましょう。」
立花慎吾が言うと
「私はならまだ大丈夫ですよ。」
20歳大学生である堀川久美子は言った。久美子は体力がある方なのであるが
「そういわずに珈琲でも飲みましょう。」
立花は言った。
「それなら飲もうかしら?」
久美子が言うと
「社長が来られたら休憩はとれなくなりますよ。」
立花は久美子に気を使って言っのである。立花は俊之が社長に就任すると同時に専務に就任して総武企画の管理本部長でもあった。管理本部長というポストは総武グループ各社を総括する立場でありグループ企業各社の社長をコントロールする立場である。
「それでは立花さんも一緒に休憩してしてください。」
久美子が言うと
「そうしようかな?」
立花は言った。
「立花さんもお疲れでしょう?」
久美子が言うと
「平日なのにお客さんが多いのは良い事ですね。」
立花は総武遊園地の入場客が多いのに驚いて言った。
「7月に入ったらから夏休みの人も多いと思いますよ。」
久美子が言うと
「しっかり分析していらっしゃるとはさすがですね。」
立花は冗談半分に言いながら珈琲を久美子の前に出していた。
「そんなにからかわないでくださいよ。」
久美子は言った。
「久美子さんはいつも冷静に物事を見ていますね。」
立花は言った。
「立花さんミルクはどうしますか?」
久美子が言うと
「すみません。」
立花は言った。立花の言葉はいつものようにハキハキしているのであった。
黄色いタンポポの記憶
その日を最後に青年は奥さんを見ることがなかった。旦那さんも男の子も女の子もいつものように言葉を交わしていつもの付合いをしているのに奥さんだけが姿を見せてくれなかった。ある朝に青年は我慢が出来ずに旦那さんに
「最近奥さんをお見かけしませんね。」
と緊張して言うと
「奥さんとは誰の事ですか?」
旦那さんが首を傾げて言った。
「お宅の奥さんですよ。」
青年は言が言うと
「私の家内ですか?」
旦那さんは言った。
「とても上品で優しい奥さんですね。」
青年が言うと旦那さんは笑いながら
「それはご冗談でしょ?」
と言った。
「冗談ではありませんよ。」
青年が言うと
「私たちは最初から3人ですよ。」
旦那さんは言った。青年は驚いて
「いつもご一緒にいらっしゃいましたよね?」
と言っただけで言葉が出で来なかった。
「妻とは事情があって別れましてね。」
旦那さんは言った。
「別れられたのですか?」
青年が言うと
「私たちは過去を忘れるためにこちらに越して来たのですよ。」
旦那さんが穏やかなに言った言葉が青年の耳には入っていなかったのである。
気がつくと青年は奥さんと散歩をした公園に来ていた。
「あの奥さんはどうしたのだろう?」
青年は言った。
「確かに奥さんはいたはずだよ。」
青年は言った。青年は奥さんと腕を絡ませた感触を今でも覚えていたのである。呆然としていた青年は人の気配がして目を向けると奥さんが優しく微笑みながら立っていたのである。
「奥さん。」
言った青年が言葉を捜していると
「驚かせてごめんなさい。」
奥さんは言った。
「私はあなたの心に呼びかかけているのよ。」
はっきりと響く声で奥さん青年に言った。
「それはどういうことでしょうか?」
青年が言うと
「夏の日にあなたが綿帽子に息を吹きかけて飛ばしてくれましたね。」
奥さんは言った。
「私は秋風に乗って空を飛んで降りた地に根をおろして花を咲かせました。」
奥さんが言うのを青年は黙って聞いていた。
「その花を摘もうとした男の子を諭して摘むのを止めさせました。」
奥さんが言うと青年はその時の事を思い出していた。
「そのおかげで私は生命をつなぐ事が出来たのです。」
奥さんの言葉に青年は驚いていた。
「それならどうして姿を見せてくれないのですか?」
青年は言った。
「いつまでも僕の傍にいてくれても構わないのですよ。」
青年が言うと奥さんは
「それは無理なのです。」
奥さんは言った。
「私の季節はもう終わりになりました。」
奥さんが言うと
「終わりとはどういう事ですか?」
青年は言った。
「次の季節もあなたに会えると嬉しいです。」
奥さんは言ったが最後の言葉は青年に聞こえていなかった。青年は目を凝らして奥さんの姿を捜したが奥さんはいなかった。耳をすましても何も聞こえず公園には青年以外に誰もいなかった。青年の足元には枯れたタンポポがあるだけであった。
黄色いタンポポの記憶 その1
青年は珍しく散歩をしていた。夏の日差しの中に暖かさを感じて蕾が花を咲かせるのを待つように青年の心も嬉しさを隠せなかった。思わず足元を見た青年に早めに散ったタンポポの綿帽子がとても綺麗に見えたのだった。青年はその綿帽子を折って手に取ると
「ふうっ!」
と息を吹きかけたてみた。綿帽子は風に乗って飛んで行った。
「どこまで行くのかな?」
と青年は呟いて綿帽子を見ていた。
「きっとどこかにたどり着いて根を伸ばして花を咲かせるだろう。」
青年はそう言って綿帽子をいつまでも見ていた。
季節は過ぎて翌年の夏に青年は夏の小道を歩いていた。子供たちが遊んでいる声が聞こえても静かな風景は青年の心を和ませてくれた。空が青く澄んでいるのが絵具で書いた絵のように鮮やかであった。
「こんなところにタンポポが咲いているよ。」
男の子の声が聞こえて青年はその声の方に目を向けると。
「黄色の花が綺麗だから折って帰ろう。」
男の子がそう言ってタンポポを摘もうとした時であった。
「やめなさい。」
青年は思わず声を出していた。男の子も周囲で遊んでいた子供たちも驚いて青年を見たのである。
「驚かせてすまない。」
青年は言った。
「このタンポポを折ってはダメだよ。」
青年は優しく言った。
「どうしてなの?」
男の子が言うと青年は
「タンポポは花瓶に入れる花ではないからだよ。」
青年は言った。
「こうして地面に根を張って生きないとすぐに死んでしまうからだよ。」
青年は言った。
「タンポポにもっと生きていてもらおうよ。」
青年は男の子を諭すように言った。
「かわいそうだから折るのを止めるよ。」
男の子は素直な表情で言った。青年は笑顔で男の子をみていた。
冬が過ぎて春になると青年の家の隣にひとつの家族が越してきた。青年よりかなり年上の旦那さんに青年より少し年上の奥さんと夏の日にタンポポを折ろうとした男の子と同じくらいの年の女の子であった。女の子と少し年下の男の子が無邪気な笑顔を見せていた。
「今度となりに越してきました。」
と旦那さんが明るく言うと
「よろしくお願いします。」
奥さんも優しく言った。
「今度私と一緒に遊ぼうよ。」
女の子が言うと
「何処か楽しい場所に連れて行ってよ。」
男の子も言った。その時から青年はその一家と親しくなっていた。青年はその一家と家族のように付合っていた。旦那さんとは友達のように男の子や女の子とは幼児期にかえったように無邪気に遊ぶことが多かった。奥さんとは恋人のように胸が締め付けられる淡い時間を過ごすことが多かった。上品で優しい奥さんに青年はいけないと知りつつも引かれていくのを実感していた。
ある日の事である。
「今日は一緒にふたりで散歩をしませんか?」
奥さんは青年に言った。青年は嬉しかったのだが少し驚いて
「僕と一緒に大丈夫ですか?」
奥さんに言った。
「あなたと一緒に花が咲いている所を歩いてみたいわ。」
奥さんが青年の目を見て言うと
「この先にある公園に行きましょう。」
青年は言うとしくなって心が弾んでいたのである。さりげなく青年に腕を絡ませてくる奥さんがいつもの奥さんではなかった。 公園を散歩してベンチに座ると青年の心は緊張していた。
「一度だけでいいからあなたと歩いてみたかったのよ。」
奥さんは微笑んで青年に言った。青年は驚いて奥さんから目をそらしていた。青年の足元には枯れた花が落ちていた。
「この花の前を知っていますか?」
青年は奥さんに言うと
「私にも解らないわ。」
奥さんは言った。青年は奥さんと目線を合わせてそのまま動けないでいた。