すてられた ぼくは ふとりすぎで なん日もうごけなかった。

いままで じぶんで ごはんをつくったことが なかったから

ぼくは ごはんが まったく たべられなかった。

だから、だんだん からだが かれた きのえだみたいに

やせてしまったよ。

でも、そのおかげで はつかねずみのように じゆうに

うごけるようには なったんだ。

 ぼくは うまれてはじめて ひとりぼっちで

いろいろなところへ いってみたよ。

ごはんだって じぶんで よういした。

そして、いろいろな ともだちも できた。


ひろいあきちで しりあったのは かえるの ケロ。

いっしょに とびはねたり うたを うたったりしたよ。


ビルとビルのあいだで しりあったのは ねずみの チュー。

ビルとビルのあいだは かぜが とおりぬけるから さむいことを

おしえてもらったよ。


レストランのうらで しりあったのは ねこの ニャー。

にんげんは やさしいひと ばかりじゃないって おしえてくれた。

ごご 3じ 30ぷん と よるの 11じ 30ぷん ごろに

レストランのごちそう いれが でてくることも おしえてくれた。

「わたしは、さかな だけでいいから」

そういって、ニャーは にくのほねを ぜんぶ ぼくに くれた。

けど いつも たべものが はいっているわけじゃない。

からっぽのときだってある。

そんなときは また べつのレストランへ いくんだ。

だから、ニャーと あるきまわることだってあったよ。

ひとりぶんを わけあったこともあった。

 ぼくは たべものに こまることもあったし

やせて うすよごれたぼくに いしをなげるこどもたちもいた。

でも、じゆう気ままで けっこうしあわせだったよ。

 なのに もっと こまったことがおこったんだ


のらいぬがりの おじさんが ぼくらを おいかけまわし はじめた。

ぼくは いつも こわくて にげまわった。

ゆっくり ねむれないよるが つづくこともあったよ。

だって うわさで きいたんだ。

おじさんにつかまると ライオンの えさになるって!

だけど、ぼくは とうとう つかまってしまったんだ。  つづく

  • 続きへ
  •  ぼくのなまえは わん。 
    ママがつけてくれた。
    だけど いっしょにうまれたみんなも おなじなまえなんだ。
    7ひきもいるのに なまえは みんな わん。
    でも、ママがひっぴきずつよぶとき すこしずつ わんのいいかたが ちがう。
    ぼくが よばれるときは、すこしたかいこえで
    ゆっくりと わん とよぶんだ。
    それで ぼくは あ ぼくをママがよんでいる ってわかるんだ。

     あるひ ぼくは おかねもちの おばあちゃんに もらわれたんだ。
    おばあちゃんは とてもやさしくて なんでも ぼくにしてくれた。
    ぼくは おいしいごちそうをたべて ぶくぶくと ふとってしまったよ。
    だけど おばあちゃんは とっても さみしがりやで いつも ぼくがいっしょに いないと いけなかったんだ。だから ぼくは おともだちとも あそべないし のんびり さんぽも できなかった。
    しかも ぼくのなまえは わん なのに
    おばあちゃんは かってに ぽち ってよんだんだ。
    それも ぼくは すきじゃなかった。
    だって ママがつけた なまえじゃないもの。

     そして、いつも おばあちゃんに だっこされていたから、 

    とうとう あるくのも たいへんになったんだ。
    「おまえは おもいね」
    そういいながらも おばあちゃんは まだ ぼくを だっこしてた。
     でもね、そのやさしいおばあちゃんは
    あるひとつぜんに しんでしまったんだ。
    そして、 ぼくは ぽいっ と すてられて しまったんだ。

                                  つづく


  • 続きへ
  • なみだの最初へ

    「ほら こっちにきてごらん」
    おかあちゃんが だいどろこのごはんをつくるところに ぼくをよびました。
    「はい。 これで たまねぎを きってみて」
    おかあちゃんは いつもおかあちゃんがりんごのかわをきってくれる、ちいさなほうちょうをかしてくれました。
    そこで、ぼくは たまねぎを トントンとゆっくりきってみました。
    あ あ あ・・・?? あれ? なみだが・・・
    ぼくは、かなしくもないし うれしくもないのに なみだが ぽろぽろとでてきました。
    「あらあら」
    そういいながら おかあちゃんは、ティッシュを いっぱい はなに あててくれました。
    チーン

    ぼくは、いたかったりかなしかったりしたときのように、ティッシュでチーンをしました。
    「おかあちゃんが ないていたのは このせいよ」
    「なんで なみだが でるの?」
    「そのうち わかるわよ」
    おかあちゃんは、にっこりしながらいいました。
       そのうちって・・・ いつだろう?!
    でも おかあちゃんに、そのうちが いつか きくと、そのうち としか いいません。

    なんどきいても、そのうちとしか いいません。

    それでも、ぼくがきくと おかあちゃんはこわいかおになったので、ぼくはきくのをやめました。
    ぼくは、なみだには いろいろ あるのだと おもいました。
    「カレー いっぱい おかわりしなさいね」
    やさしいかおになったおかあちゃんに、いわれて ぼくは こころのなかで つぶやきました。
    そのうち…。                    おしまい

  •  おかあちゃんは、ときどき だいどころで ゆうごはんのよういをしながら なきます。
    そんな時 ぼくは おかあちゃんが かわいそうなので、いい子にしています。
    そうすると、大すきな カレーライスがでてきます。
     ある日、おかあちゃんが ゆうごはんのよういをしながら、また ないているので
    ぼくは おかあちゃんに きいてみました。

     きのうの夜、おとうちゃんとおかあちゃんはけんかをしました。ぼくは、しらんかおしてねていましたが、おかあちゃんがなきながらぼくのおふとんにはいって、ぼくをだきしめたのをしっています。ぼくも、友だちのけんちゃんとけんかしたとき、いっぱいないたことをおもいだしました。
    「おかあちゃん なにか かなしいことがあるの?」
    「あら どうして?」
    おかあちゃんは、ふしぎそうなかおをしました。
    「だって、ないてる
    すると おかあちゃんは 大わらいしながら、エプロンでなみだをふくと、
    1まいの しゃしんを もってきました。
     そのしゃしんには、赤ちゃんのぼくとおとうちゃんが うつっていました。
    おとうちゃんは ぼくをだいて、目とほっぺになみだのつぶが いくつもありました。
    「あっ! おとうちゃんがないてる。おとうちゃんは、ほんとうは ぼくが きらいなの?」

     おとうちゃんが、ぼくをだいてないているので、しんぱいになっておかあちゃんにきいてみました。
    すると、おかあちゃんは わらいながらいいました。
    「ひとはね すごく うれいしときも なみだがでるのよ」
    「えっ?!」
    ぼくは、うれしいときには なみだがとまって えがおになります。
    このあいだも、ほしいおもちゃのまえで ぼくがないていて、おとうちゃんが かってくれると うれしくて なみだはとまりました。
    かけっこで ゆうたくんにまけたときは、いっぱいなきました。
    でも、かったときには、 とてもうれしかったけれど なみだはでませんでした。
    みんなとおにごっこをしていてころんだときは いたくて大きなこえでなきました。ようへいくんに ぼくのだいじなロボットをかしてあげたとき ようへいくんがとてもうれしそうに

    「ありがとう」

    と、いってくれたとき ぼくもとてもうれしくなったけど、なみだはでませんでした。
    ぼくのこまったかおを見て、
    「そのうち わかるわよ」
    と、 おかあちゃんは いいました。

    そのうちって… いつだろう?!    つづく

                                
  • 続きへ
  • 色の最初へ

    「でも兄がね。盲導犬の訓練士なんだけど…。そこで出会った盲目の女性と恋に落ちた時、両親は反対したの。自分の娘は許せても兄の相手は駄目だって」

    「まぁ…」

    「兄が大変な事がよくわかるからだと思う。それで兄達は駆け落ちしたの。でも…友恵さんは兄を思って海へ身を投げたの。あ、友恵さんって兄の恋人ね。それで兄は両親を許せなくて、家に帰って来なくなったわ」

    「なんてこと…」

    「手紙をね。友恵さん亡くなる前に私にもくれたの」

     洋子は、バックの中からそっとその手紙を出して見せてくれた。

    それは、広告に針で穴を開けた点字の手紙だった。

    しかし、私が触ってもそれは、でこぼこな紙でしかなかった。

    洋子は、そっと指先で読み始めた。

    ☆親愛なる 洋子へ

    私の聡(さとし)さんへの深い思いが、ご両親を苦しめているようね。

    聡さんの幸せを祈ると、どうしても私は必要無い気がするの。

    でも、私には聡さんが必要で、命より重くて。

    どうするのが一番いいのかわからなくなってしまった。

    いろいろと、励ましてくれてありがとう。

    貴方は幸せになって欲しい。

                     友恵

     「私のお守りよ」

    そう言うと、洋子は大事そうにその手紙をまた自分のバックの中にしまった。

    私達は、公園を出て人通りの少ない道を選んで歩き始めた。私は盲導犬に導かれてはいるものの、一人で歩いている洋子のそばで、私は何を見ていたのだろうかと思った。世の中には、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、手足が不自由だったりする人がいるが、そうでは無い人と感じる事は何も違わない。悲しい事は悲しいし、嬉しいことは嬉しい。もしかしたら、そういう人の方がもっと強く感じる事ができるのかもしれない。私の目は、本当の事は何も見えていない事が多くあると思った。

     少し歩いた時、

    「あっ」

    「あっ」

    洋子と私は、同時にある香りに気がついた。

    「寄って行こうか」

    「うん」

    それは、安らいだ気持ちになる香だった。そして、かわいい感じのカフェが見えて来た。洋子の盲導犬であるバルーンが、ちらっと私を見て、ウインクをした気がした。私と洋子は、その香に誘われて、またおしゃべりのドアを開けてしまった。

  •  田中君の話の後で、洋子はまた自分の話を始めた。

     洋子の母と兄は、根気強くいろいろな事を教えてくれたそうだ。

    しかし、一番教えるのに困ったのが、色だったという。

    形は触らせれば、ボールを持たせて丸や円、四角い箱を触らせて四角とわかるが、色だけは見せる以外になかった。

    「どうやって、教えてくれたと思う?」

    「うーん」

    「温度や香り、感じ、それなら私にもわかるから。そう感じが一番多いかしら。青い色は冷たい感じ。でも、青色にもいろいろあるでしょ?だから、青っていう色の名前を言うんじゃなくて、こんな感じのする色が見えるんだって教えてくれたの。そして、その感じに名前をつけるとしたら青って言うわねって。例えばね」

    「うん」

    「貴方が今日の空をきれいな青空ね。って言ったとするでしょ?そしたら、私はじゃぁどんな感じ?って聞くの」

    洋子に聞かれて、私は少し考えて言った。

    「そうね。さわやかで何処までも高くて広がる感じ」

    「そう。じゃぁ気持ち良くて背伸びをしたまま体がどんどん上に伸びる感じね。今日の空の色はそんな感じ?」

    「そう、そう。そんな感じよ」

    洋子と私は笑った。今日は、本当にそんな空だった。

    「すごいね。ぴったり」

    「さよこ。ママ達はそうやって教えてくれたの。青っていう色は空や海の色で、でも青にもいろいろあって、見えていても言葉で表せない時があるし、人それぞれで見え方があるから、色は感じるものだって」

    「おかあさん素敵な人ね」

    「うん…」

    洋子の声が、少し暗くなった。

                                               つづく



  • 続きへ
  •  詩の集会の後に、リーダー格の女の子が笑いをこらえた声で洋子に言った。

    「洋子。サークルで一番ハンサムな田中君が デートしたいって言ってるよ」

    それを聞いて、

    「田中君がいいなら、いいよ」

    と、洋子は、ほほ笑んだ。

     その次の集会が終わって、洋子と田中君は街外れの公園へと向ったそうだ。

    「後ろから尾行が付いて来ているのがわかったわ」

    洋子はいたずらっぽく笑った。

    「私わざと田中君と手をつないり、わざと顔を近づけたりして話しをしたわ。その度に小さなどよめきが聞こえた」

     洋子は楽しそうに話を続けた。

    「私、目が見えなくてよかったと思う時があるよ。もし見えていたらきっととんでもない いたずらっ子になったわね」

    私は吹き出した。そして、私は質問をした。

    「その強さは何処から来るの?」

    すると、少し間をおいて洋子は反対に私へ質問をしてきた。

    「ねえ。田中君って、本当は一番ハンサムじゃないでしょ?あれは私へのみんなのいたずらだった。実は全部聞こえていたのよ」


    私は返答に困った。

    「私は知らなかったのよ」

    私がそう答えると、

    「わかっているわ。貴方の声はしなかったもの。不思議なんだけど、私は目が見えないだけなのに、みんな私の何もかもが鈍感だと思うみたいね。いいのよ。ハンサムじゃなくても。どうせ私には見えないもの」

    洋子は、はにかんだように笑って

    「でもね。田中君には素晴らしい詩の才能と優しさがあるもの」

    と、続けた。そして、公園で田中君といろいろな話しをした事を洋子は、とても楽しそうに私に話してくれた。  つづく

  • 続きへ
  • 「今日の空は何色かしら…。一度でいいから見てみたい」

    私は、彼女の答えに抜けるような青空を見上げた。

     洋子と知り合ったのは趣味の詩のサークルだった。

    洋子はまったく目が見えなかった。全盲の彼女がどんな詩を作るのか、私はとても楽しみだった。

    風の匂い

    風は 私に場所を知らせる

    海に近づくと 潮を運んでくれる

    山に近づくと 草の匂いを運んでくれる


    私は 思った

    風自身の匂いは どんなのだろう

    風に触れてみた

    柔らかくて 指の間をすりぬける

    捕まえたと思ったら そこには いない

    けれど たしかにそこにいた

    風自身のにおいはわからない

    風はみんなにあわせて

    生きているのかもしれない

    みんなと一緒に生きているから

    いろいろな匂いになれるのかもしれない

    私も風のようでありたい

     洋子の詩に私は素直に感動した。


     私と洋子が、何度か二人で話しをするようになったある日、洋子は自分の事を話してくれた。

     「母と兄が、私にいろいろな事を教えてくれたの。私ね、生まれた時から何も見えなくてね。母は、それに気づいた時、深い谷へ突き落とされた気分だったそうよ。でも、かしこい人だから、この谷を登ろうと決めたんだって。でも…。本当はね、私の口をクッションで押さえていたら、私の顔の横に散らばった兄の本が、目に飛び込んだんだって。題名は【ヘレンケラー】私、本に命を助けられたのよ」

     彼女は、辛い話なのに明るく笑いながら話しをしてくれた。

    「あなたもヘレンみたいね」

    私は、本当にそう思って言った。

    「うふふっ。だと、いいなあ。でも、ヘレンの方がもっとたいへんだけどね」

    ほんの少し洋子の顔が優しくなった気がした。

    「そう言えば田中君とはどう?」

    「うん。いいお友達だよ。彼との事聞いた?」

     それは、サークルの意地悪なメンバーが企てた出来事だった。

                     つづく



  • 続きへ
  • 私の住む町に小さな駅前商店街があります。そのメイン通りを1本入ると、これもまた細い、細い裏通りがあります。

    私はその裏通りに入ると、まるで図書館にある本棚の間にいるような気分になります。

    なぜならば、いろいろな背表紙を持つ店が、さまざまな物語を秘めて静かに読み手を待っているかのように見えるからです。

     そんな店の中に、毎日のように訪れるお気に入りの店がありました。 その店は、狭い間口の古いドアを開けると、いつもマスターが銀の皿を磨いています。マスターは、白髪にべっ甲の縁をした眼鏡、そして今時珍しいたばこのパイプをくわえています。

    私が挨拶をしても、眼鏡の隙間からちらっとこちらを見るだけで、一度も挨拶が返って来た事はありません。

    最初は、こんな小娘に買える物などないと思われているのだろうかと、少し気が引けていました。けれど、慣れてくると話しかけられない事はかえって、私にとってはとても楽になりました。

    何故ならそのお陰で、私は静にじっくりとその店の芸術品を眺める事ができたからです。

      その日も、いつものように崩れそうな程積み重ねられ、並べてある「アンティーク」を、私は眺め始めました。

    ボビンレースの襟

    蝶貝でできた古いボタン

    私のおばあ様より長生きをしている腕時計

    そして小さなカメオ…etc

     店の中には、シンバルがこすられる音が優しいジャズが流れていました。

    お客はみんな、店主をマスターと呼びます。

    きっと、いつも店主が黙ったまま銀製品を磨き、店の中にはジャズが流れていて、そう

    まるでお酒こそ出ませんが、洒落たジャズバーを思わせるから、そう呼ぶのでしょう。


    「あの」

      私は、小さな声でしたが思いきって聞いてみました。

    「このカメオ。何年頃の物でお幾らくらいする物でしょう?」

    マスターはいつもの無表情な顔で、眼鏡の上の方の隙間からちらっと私を見ながら

    「あんた、幾らがいいと思うかい?」

    と、言いました。

    「えっ?」

    「あんたは幾らがいいと思うんだ?」

    マスターの言葉に驚いている私に、二度同じ質問をマスターはしました。

    「そんなぁ…値段なんてつけられないですよ。ただ、すごく好きだから、あきらめきれなくて…」

    私は心のままに答えていました。

    すると、マスターは、咳払いでもしたかのような笑をしました。    つづく


  • 続きへ
  • 長い沈黙の後、イン ザ センチメンタル ムードが始まった時でした。

    「じゃぁ あれだ あんたが言う値段にしてあげるよ」

    「えっ!!」

    私は非常に驚いたと同時に困ってしまいました。値段など、私が決められるはずがありません。

    しかし、私はどうしてもそのカメオが欲しくて、思わずマスターに質問をしていました。

    「これ 何年頃?」

    「そうだなぁ。ビクトリア…うーんもうちょっと 新しいかな。めのうじゃよ。 綺麗じゃろう」

    「そうなの…」

    「あんた、よく来てそればっかり見てたからな」

    「あら、ご存知だったんですか」

    「ふふっ。あぁ。あんたみたいに一途な客は忘れないよ」

    気にとめられていないのだとばかり思っていた私は、なんだかとても恥ずかしく思いました。

    「そうですか…。値段、わからないわ。私素人だし」

    「あのなぁ。アンティークの値段なんて あってないようなものじゃよ。決め方っていうのは一応あるがね。わしは、あんたみたいな客には『想い料』しかもらわんのじゃ」

    「『想い料』?」

    「そうじゃ。『想い料』じゃ。くだらん薀蓄並べあげて金をちらつかすような奴からは ふんだくってやってるから安心おし」

    そう言うとマスターは、肩を揺すって大きく笑いました。  

           ―この人も 笑うんだ―

      私は急に、マスターを身近に感じていました。

    「あんた、今財布に幾らある?」

    「ええと、3000円くらいです」

    「じゃぁ。今夜のわしの飯代とかを考えて…1000円でどうじゃ?」

    「えっ!そんな…。これ安くても10万はするんじゃないですか?」

    「だから、言ったじゃろ『想い料』だ。

    それに明日な、お得意様のマダムが来て、ほれそこのレースを全部買ってくれるそうじゃ。それに上乗せしとく」

    そう言って 今度は パイプをふかしながらマスターは大きく笑いました。

    「そんな、その方に悪いわ」

    「ふんっ。その人にちゃんとあんたの話しをするから気にするな。レースがより素敵に見えるようになったって、きっと喜んで言う人じゃよ」

    「本当に?」

    それを聞いて私は、胸のどきどきが加速したように思いました。

    「本当だ、さぁ買っておくれ」        つづく

  • 続きへ