権力を誇示する必然性当時流行りのバロック的な文化とが結びついた結果、ルイ14世の生活はすべてのものが公開行事となって、ヴェルサイユは劇場と化しました。
そして大衆の目にさらされたルイ14世の生活の作法は全ての人びとのお手本とされ、その後その作法はヨーロッパ中に伝播していきます。
そんな色々な宮廷作法のうちのひとつに、食事のマナーというものがあります。
食事のマナーの成立も、もちろん例外なく、当時公開されていた「食事」という儀式に影響されていたことは言うまでもありません。
ルイ14世の功績には数々のものがありますが、食事という動物的な行為を、王権の威光を示す「ショー」といっていいようなものにまで高めていったということは、当時とても新しいことだったのではないでしょうか。

さてそのショーですが、もはや「家元」といってもいいようなルイ14世の食事風景とは一体どのようなものだったのでしょう。
ショーとして一番見ごたえがあったと言われているのは、毎日曜日と国王一家の誕生日に催された大宴会なのだそう。
この夜食会の出席者は王族全員、そして外国の君主が招待されることもありました。
ここではそのような、ショーとして一番完成形に近いものを例に挙げてみたいと思います。

パリ市庁舎での宴会に出席するルイ14世

まずは席順。
この大宴会の席順は、厳格に決められていました。
テーブル中央に国王、右手に主賓、左手に王妃、テーブルの端に第一王子その妃、他の端には国王の弟のなかで最年長の王弟陛下その妃殿下、国王に向かって王族の女性非嫡出子が座る、という具合です。
肘のついた安楽椅子には国王が座り、その他の王族は全員折りたたみ式の椅子があてがわれました。

服装については、少し変わった風習がありました。
それは、国王だけが帽子をかぶったまま食事をするというもの。
そしてほかの男性陣は全員カツラ着用といったかたちで行なわれました。

給仕の仕方。
国王に対しては、横から給仕することは禁止されていました。
ではどうするのかというと、テーブル越しに正面から給仕する、という具合。
これは国王を暗殺する危険から守るためのもので、給仕が背後にまわりこむことがないように、という理由からできた禁止事項のようです。

会食者に配られる皿は黄金
その他の食器は銀製

そのほかにも、天井には豪華なシャンデリアが光り輝き、多数の美しく着飾った貴族や貴婦人が付き従う中で行なわれたようですから、このお食事ショーとはさぞかし派手で見ごたえのある光景だったのだろうな、と思います。
こんなお食事ショー、一度はぜひ見てみたいものです。
当時は、最低限の服装さえしていればどんな者でも観覧しにきてよかったようなので、うらやましいかぎりですショック!

ところで最後に少し、不思議なことがあります。

この当時すでに一般的にはフォークで食べることが普及していたそうなのですが、そのようななかでルイ14世は手で食べる習慣をやめようとはしなかったそうです。
公開行事として人の目にさらされていたはずなのに、作法の家元的存在のルイ14世が手づかみでもよかったのでしょうか。
そしてそれを真似ようとする人々は現れなかったのでしょうか。
あと失礼ながらもうひとつ気になることは、ルイ14世が歯の手術の結果、飲み物を飲むと鼻から噴水のように飲んだものが流れ出てしまうようになった、というような現象は、ショーにおいて何かの妨げになるようなことはなかったのでしょうか。
王権の威光は大丈夫だったのでしょうか。
不思議です・・・。
毎度おなじみの大変な暴食家、ルイ14世ですが、彼はそのような食生活をしていたにもかかわらず、40歳になったときからすでにほとんど歯がありませんでした。
これは何故かというと、まずは虫歯がひどくなったから
そしてもうひとつは、侍医ドクトル・ダガンの主張する「歯はすべての病気の温床である」という説に従って、なんと12回にもわたる手術の末、すべての歯を抜かれてしまったのです。

そしてこの手術がまた壮絶なのです。

歯はやっとこで引き抜かれましたが、抜いた後は真っ赤に焼けた鉄の棒を歯茎に押し当てるという方法を消毒としました。
しかしこの時代は麻酔というものがなかったので、そのようなこと、考えただけで震えがきます。

『敵を踏みしだく馬上のルイ14世』 コワズヴォックス作

ところでこの手術は技術的にかなりお粗末だったのでしょうか、なんとルイ14世の口の天上には大きな穴があいてしまい、飲み物をとると鼻から飲んだものが噴水のように溢れるという事態に。
もちろん歯がないので、固形物を噛み砕くこともできなくなってしまいました。
これによってルイ14世は、好物のシチューを食べるにしても、10時間くらい煮込んだものでないと食べられなくなってしまったのです。
ちなみにこのルイ14世の好物のシチュー、パラティーヌ公女によると、かなりひどいものだったよう。
彼女は、「シチューには胡椒、塩、たまねぎ、ニンニクが沢山入っていて我慢できない」と愚痴をこぼしています。

ところで歯がなくなったルイ14世は、食べ物を丸呑みにするようになりました。
これは本来は、歯がないので仕方のないことなはずなのですが、国王が食べ物を丸呑みにしているのを真似てか、18世紀初頭の一時期、「食べ物は丸呑みにするべきだ」という風潮が広まったことがありました。
その理由は、食べ物をくちゃくちゃ噛んで食べるというのは動物的でよろしくない、ということです。
そこで、それをうけて、飲み込みやすいように食べ物をゼリー状にして食卓に出す貴族も現れたようですが、この風習はすぐに廃れたようです。

それにしても、毎日大量の食べ物をすべて丸呑みにしていたというのに、77歳まで生きるとは、ルイ14世は体力も並外れた人物だったようです。
マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアは名君主として知られる立派な人ですが、そんな彼女は実は甘いものが大好きでした。
その好きさといったら・・・、自分の宮殿の中に「宮廷菓子部門」を作ってしまうほど。
それまでの宮廷では、お菓子というものは晩餐会のたびに専門店に注文するという形をとっていたのです。
マリア・テレジアは1741年に「宮廷菓子部門」を設立しますが、それは帝国崩壊直前の1912年まで続きました。

「王位継承者としてのマリア・テレジア」

8歳ころ。王権の象徴である、オコジョの赤いマントをまとっている。


では「宮廷菓子部門」とはどのような組織だったのでしょうか。
まずはその構成員、役割をあげてみたいと思います。

●宮廷菓子長官(「宮廷菓子部門」の一番偉い人)
●宮廷菓子長(シェフ)
●宮廷菓子職人(1~3級)
●菓子助手(1~2級)
●菓子運び人
●鍋洗い人
●シュトロイヤー
「ふりまく人」の意。晩餐会の食卓の上にパン屑、小麦粉、砂糖、塩、アマルガムなどを使って絵を描く仕事。地位は宮廷菓子長と同格。1760年代から役職として加わった)
●宮廷飲料水係
(この時代は水の衛生がよろしくなかったので、飲料水を殺菌する役目。女帝一家以外にも、宮廷の職員全員のために、アルコールやジュースなどのすべての飲料水はこの係によって作られた)


このような構成になっている「宮廷菓子部門」の役割は、お菓子を作ること以外にもありました。
それは・・・

●晩餐会での食卓のコーディネート(磁器やガラス食器などを駆使して、食卓を芸術的に優れたものになるようにコーディネートする)
晩餐会で貴族たちに菓子を配る(マリア・テレジアの作った規則によると、この役は「宮廷菓子部門のなかでも容姿端麗なものに限る」ということらしい)


このような環境が整ったことによって、ハプスブルクにはお菓子の文化が発展し、今に残る有名なお菓子を沢山生み出すことになったのです。
現代の甘党たちににとってみれば、非常にありがたいことですねブーケ1