マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
(1717年5月13日 - 1780年11月29日)



神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1743年 - 1780年)。
カール6世長女。
「オーストリア継承戦争」、「シュレージエン戦争」、「七年戦争」を指揮するかたわら、16人の子供を産む。
オーストリア系ハプスブルク家最後の君主。
彼女の子供たちの代からは正式には、夫の家名ロートリンゲンとの複合姓(二重姓)で「ハプスブルク=ロートリンゲン家」となる。
一般に「女帝」と呼ばれ、その実態も女帝そのものであったが、実際には皇帝に即位したことはない。
ちなみに彼女が好んで使用した称号はKönigin(=女王)とKaiserin(=皇后)の頭文字を取った「K.K」。


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人物 マリー・アントワネット

王女の結婚は、嫁いだ国に新たな文化をもたらすことがあります。
そんな風にして、マリー・アントワネットがフランスに持ち込んだもののひとつに、「キプフェルン」のレシピがあります。

「キプフェルン」とは、フランス語でいうと「クロワッサン(三日月)」のこと。
「クロワッサン」と聞くと、現在でも有名なあのくるくるの三日月型のパンを思い浮かべます。
そして何となくフランス生まれのようなイメージがありますが、もともとはオーストリアのパンで、バターや卵、砂糖などが入った菓子パンは、ヴィエノワズリ(ウィーン趣味)と呼ばれて人気だったようです。
そしてウィーンでは、パンのクロワッサンだけでなく、三日月形の焼き菓子も、広く「キプフェルン」と言われているそうです。

クロワッサンの食べ比べ

さて、パリのクロワッサンの出自はウィーンですが、「キプフェルン」はウィーンでどのように生まれたのでしょうか。
それは、オーストリアが1529年と1683年の二回にわたって受けた、オスマン・トルコ軍の攻撃に由来します。
ウィーンはこの攻撃によって陥落寸前のところまで追い込まれました。
そのトルコ軍の旗が、三日月型をしていたのです。
それを見たウィーンのパン職人は、「トルコ軍憎し!」の念をこめてパンを三日月形にこね、これを火に入れて焼いて食べてしまうことで憎き敵の征服をイメージしたのだそう。

意外と毒々しい歴史を持つパンだったようですぶーぶー
マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ
(1755年11月2日 - 1793年10月16日)



フランス国王ルイ16世王妃
ハプスブルク=ロートリンゲン家出身。
オーストリア大公マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファン11女
結婚前のドイツ語名は、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
2男2女に恵まれる。
享楽的な性格浪費癖のために国民から疎まれ、フランス革命時の国外への逃亡(ヴァレンヌ逃亡事件)を図ったことによって完全に国民の支持を失う。
王政は崩壊し、幽閉生活の末、ギロチンで処刑された。


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