このブログを見てくださっている方々には、大変ごぶさたしており、本当にすみません。

実は最近ずっと、ひどい頭痛と肩こりと目の疲れに襲われていまして、ほとんどパソコンに向かうことができなくなっておりました。

さて、このブログの当初の目的は、もともとあったブログのデータを整理しながらアメブロに引越し、さらに今後はアメブロのほうで続けていく、というものであったので、今までそれに向けてちょっとずつこちらにデータの移行作業をしてきました。

けれども最近の体調不良のために、パソコンに向かう時間をかなり短縮しなければいけなくなってしまったので、しばらくの間その作業を停止せざるをえないかな、ということになりました。

読者の方々にはご迷惑をおかけすることになってしまって本当に申し訳ありません。


おわびにというのも変な話なのですが、ここ『秘密の花園+』のもとになっている『秘密の花園』というブログのほうではとりあえず現在も更新を続けていますので、もしよろしかったらこちらのほうへ遊びに来てくださいね。

(もともとはここから『秘密の花園+』のほうにデータを全て持ってくるつもりだったので、現時点では本家『秘密の花園』のほうが大分情報量が多いです)



ブーケ2秘密の花園 ブーケ2  ←本家本元のブログ。こちらからどうぞ。



なお、もうひとつのブログ、ブーケ2夢のある部屋 ブーケ2については、非常に遅いペースながらも、とりあえずは更新を続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。


それではまたいずれかの場所でお会いできることを祈って。

偉人は、色っぽくてセクシーです。
どこがそうかというと・・・以前記事で、私が色っぽさを感じる条件をあげたことがありますが、ここでもう一度その条件をあげてみます。

1、全てのものに打ち勝つことを想像させるほどの、力強さ
2、その存在そのものを脅かすほどの、危うさ


この二つが揃った時、それは最高の効果を発揮するのです。

ところで偉人の場合、まずこの1番を満たしています。
偉人は必ず、ただ単に生活しているだけでは昇華されない、爆発的にありあまったエネルギーを持っています。
このエネルギーが、あらゆるものに対して取り組むときに、常人には信じられないようなものを生み出すのです。
そしてそれがわかりやすく結晶したものの一部に、「才能」と「権力」というものがあります。
「才能」と「権力」とは、そもそも一般的にも、媚薬としてはかなりの効果を発揮するものですが、私の場合は、それらがこの1番の、力強さにあたります。

では偉人の2番とは何か。
これは多くの場合、偉人の死の直前あたりから死後にあらわれます。
もともとものすごいエネルギーを持っていたものが、そしてそのエネルギーが人間であることを超越しているかのように見えていたものが、やはりどうしても「人間である」ということに勝てずに衰退していくさま。
死というものは、エネルギーやそれによって頑張って築いたものを一瞬にして否定します。
そしてそれは、たとえ偉人といえども、内部には必ず巣食っているのです。
これが、危うさです。

私が、すでに人生を終えた偉人に接するときには、すでにこの二つが揃っている。
だから私は、歴史が好きなのかもしれません。
今日のオーストリア料理の基礎は、17世紀の「オーストリア・バロック」時代から飛躍的な成長が始まり、18世紀の「ロココ」時代の間にほぼ確立した、と言われているそうです。
これらの時代には会食というものが重視され、そこでは食事とともに楽器演奏、演劇、ダンスなどが催されて、とてもイベント性の高いものだったようです。
さらに18世紀になると食卓の上には数々の装飾品が並べられ、舌だけでなく目でも楽しめるような、美しく芸術性の高いテーブルを作るという発想も生まれました。
そうなってくるとそれにあわせて、見た目にも良いような美しいテーブルマナーというものも生まれ、現在の食卓文化に大分近づいていきました。

今日はその18世紀の「ロココ」の時代にあたる、マリア・テレジアの食卓についてまとめてみたいと思います。



ロココ時代の宮廷料理の特徴


●フランスの文化が輸入された

フランス料理が登場。
それにともなって「アントレ」「アントルメ」「シチュウ」「コンソメ」「テリーヌ」といったようなフランスの料理用語が使われるようになり、給仕法もフランス式に変わる。

「フランス式給仕法」では、料理は2~3コースに分けて出される。
そして同じコースの料理は全て同時にテーブルに並べられる。
この方法は、自分の好きな料理を好きなだけとって食べることができるという利点がある一方で、料理が冷めてしまう、他の人の前にある料理は自分以外の人に取り分けてもらわなければいけない、という欠点がある。

ちなみに現在用いられている、給仕人によって一品ずつ出される方式は「ロシア式」。
ハプスブルクでは19世紀になってから導入された。


●メニュー

通常、2コースで出された。

<昼食>

「第一コース」

スープ、ブロック肉。
牛肉、野鳥肉、鶏肉、野菜などの「アントレ」(※1)。

※1 アントレ
入り口の意。現在でいう「オードブル」。
昔はスープと次に出る本格的料理に入る前に出された料理のことを言った。


「第二コース」
五種類の焼肉料理、十種類の「アントルメ」(※2)

※2 アントルメ
コースとコースの間の意。
焼肉とデザートの間に出る食事。
口直し料理、野菜料理、肉、魚の煮汁をゼラチンで固めたアスピック、甘味料理など色々なものが出る。


<夜>

「第一コース」十品目、「第二コース九品目と決められていた。


<精進日>

「第一コース」

スープ2種類、「アントレ」として魚、卵料理、メール・シュパイゼなど6種類。
野菜、デザート。
合計して二十品目。

「第二コース」

魚料理4種類、野菜、デザート。


●ワインの充実

マリア・テレジアやマリー・アントワネットの結婚によって、今までオーストリアにはなかったワインが持ち込まれるようになった。
ブルゴーニュ・ワイン、シャンパンなど。


●和やかな雰囲気


これまで皇帝は従臣より一段高い台座のうえにテーブルを設けて食していたが、マリア・テレジアは同じ高さにして和やかなムードで食事をした。
さらに座席は高位の順に決められたりすることもなく、そのためにマリア・テレジアは色々な反対にあったようだが、変更されることはなかった。


●デザートの充実

マリア・テレジアが相当甘い物好きだったせいかどうかはわからないが、この時代デザート類が大分豊富になった。


                 


これらを見ていると、食事のムードがあまり厳粛でなく、開かれた感じがするところ、そしてスウィーツの充実など、マリア・テレジアのすごく人間的で温かみのある人柄がにじみ出た食卓文化、という印象を受けます。
ここには書きませんでしたが、マリア・テレジアの宮廷には多くの子供たちがいて、その沢山の王子王女たちが加わることによってさらに独自のムードもあったのではないかな、なんていうふうな想像も沸いてきます。
きっと、宮廷という場所しては、とても温かくて楽しげな食事風景だったのではないでしょうか。
想像すると、こちらも何となくほんわかした気分になってしまいます・・・