リブログ記事お誕生日の私に ”昔の自分と仲直り”
私事ですが、今日、誕生日でした一年で一番、チヤホヤしてもらってホクホクの日のはずなのに、振り返ってみれば、毎年誕生日ってなんだか拗ねた気持ちだった気がして体調崩して寝込んだり夫のサプライズの段取りが悪いとヘソ曲げたり一番嬉しい日のはずなのに、なんだか落ち込むことが多かったそしてふと思い当たるあ、そもそも私が私の誕生を祝福してないわそりゃ、だれにどんだけ心を込めて祝ってもらっても、なんだか不完全燃焼なはずだわで、思い出したのがこのとき↓のこと私は数年前まで気がつくと常に生まれてきてすみません私なんていなければよかったのにと思って生きていた居場所がなくて生き辛かったその設定がデフォルトすぎて意識に上がることさえないくらいナチュラルにそう思っていたそんな自分の異様な状態に気づいたのが↑の、父の再婚式写真ビリビリ事件だったわけです今でも鮮明に覚えてます父の再婚式(っていう?)の空気祖母の怒った顔両家のぎこちないやりとり新郎新婦の不機嫌そうな顔これ以上ないくらい重い空気それを6歳だった私は「私のせいだ」と思ったのです、なぜかあー、私がいなけりゃこんなややこしい空気にならず普通のめでたい席でみんな笑顔でお祝いできたのにとそして父と再婚相手の間に子供が生まれたまに一緒に食事に行ったりしたときも私さえいなければ普通の家族なのに祖父母から見ても父から見ても私ってすごく余計な存在じゃない?と思えて仕方なくみんなでいるときは出来るだけ発言せず、息を殺し、でも、ふてくされていては逆に空気を悪くするので、努めてにこやかに、空気のように存在するよう心がけていましたあと、写真とるときとかはさりげなくフレームアウトして家族写真の邪魔しないようにしてた今思うとなんでそこまで気を使ったか?と思うけどたぶん、みんなに笑ってほしかったんだよねご機嫌でいてほしかった余計者の私のせいでみんなの関係が歪んでいるなら私は可能な限り空気になろうそう思ったそして健気でいることで、存在を許してもらいたい、という気持ちもあったこれが、自分の誕生日を喜べない理由の一つか!と愕然そもそも自分の存在を許せていないのに、そんな私の誕生を祝われても受け取れないし、怒りしか湧かないわけだ私が私に拗ねてるんだからそして初めて自分にお誕生日おめでとうを言ってあげた生まれてきてくれてありがとうここまで頑張って生きぬいてくれてありがとうあなたが私を諦めなかったから、今私は大切な家族と大好きな仲間と一緒にいられる私が自分を諦めていたら、きっとこんな出会いはなかっただろう生まれてきてくれて生きてきてくれてありがとう大好きだよこれからはずーっと一緒だよ