今日は、小田原のお散歩コースを歩きます。

まずは、小田原から箱根登山鉄道に2区間だけ乗って、風祭駅で降りました。

 

風祭駅の近くに、確かかまぼこの鈴廣とかあるよね?行こうかな?なーんて思っていたのですが……

駅(南口)を出たら有無を言わさず、そのまま「かまぼこの里」という土産物センターに直結。ほかに道はない。

まんまと計略にはまり、道中のおやつに…とあれこれ購入。

 

「かまぼこの里」の外観です。

 

隣には、鈴廣の本店。こちらは落ち着いた和風の建築です。

で、この広めの歩道は、箱根駅伝でいつも映る場所ですね。

 

さらに隣には、かまぼこ博物館というのがありました。

入ってみたら、かまぼこ作り体験をやってた。

すり身を練って丸めて…みたいな行程でした。面白そうです。

 

その奥では、本職の職人さんたちが働いていました。

 

機械化はされているけれど、微妙な調整は職人が担っているそうです。

この大きな釜みたいなの↑下半分は石で出来ているように見えた。

いろいろ面白かった、かまぼこ博物館(無料)でした。

 

線路の北側へ渡ります。

 

小田急の線路と並行して伸びるのは、旧東海道。

古い家が、少ないながらも残っていました。

 

しばらく東海道を歩くと、紹太寺というお寺に着きました。

江戸時代初期に小田原藩を治めていた稲葉氏の菩提寺です。

 

珍しいことに、ここは黄檗宗。

予約すれば、普茶料理も食べられるようです。

でも建物は中国風ではなく、ごくふつうの日本のお寺。

隠元和尚が書いたという「長興山」の扁額がかかっていました。

 

本堂から、さらに奥へ奥へと石段を登っていきます。

 

草ぼうぼうになってきていますが、石橋。その下には放生池が昔はあったそうです。

石段登りがきつい…。

ずいぶんと登ってきて、山の上の平らな一角に出ました。

紹太寺は以前はここに建っていて、たくさんの堂宇がある大きなお寺だったそうです。

今はみかん畑がひろがっていました。

 

さらに奥へ石段を登ると、稲葉氏の墓所。

初代藩主・稲葉正勝は春日局の息子。

ということで、真ん中のいちばん大きいのが、春日局の墓。

 

昔からの原生林の中を、さらに歩きます。

紹太寺を開山した、鉄牛和尚の「寿塔」。

丸い珍しい形をしています。

寿塔というのは、生前に長寿を祝して建立したものだそうです(1687年)。

 

山の中の細い道路に出ると、有名だという枝垂れ桜がありました。

紹太寺が建立された頃のものということで、樹齢は330年ほど。

今はもちろん葉桜ですが、その大きさは、わかります。

 

頑張ってここまで登ってきましたが、また旧東海道まで下りました。

旧東海道の続きを少しだけ歩くと、箱根登山鉄道の入生田駅。

近くに生命の星・地球博物館というのがあり、そこへ向かう人々が電車から降りてきました。

 

博物館には入らず、早川を渡ります。

早川の対岸に出て、今度は紹太寺と反対側の山を登っていきます。

目指すは、秀吉が小田原攻めの際に築いた石垣山城(一夜城)。

 

始めは、車道の脇の歩道を登っていく、単調な道。

 

ところどころに、案内看板が設置されています。

この山には、早川石丁場(石切り場)があり、早川の河口から海路で江戸へ搬出されたそうです。

これは、この近くで見つかった、積み残された?石垣用の石材。

 

やがて、道は車道を離れて、林の中に入りました。

日陰ができて、ホッとします。

 

古い五輪塔もあり、昔からの道のようです。

石垣城を造った時に、この道も使ったのかも?

 

箱根ターンパイクの上を通過しました。

このあたりが、峠のてっぺん。

 

ここからは下りとなり、南斜面。

しばらく行くと、ゴロゴロとした石垣が見えてきました。

石垣山城に到着したようです。

 

あちこちに、石垣の跡が露出しています。

城跡内、道が整備され、ず~っと続いています。

 

思ってたのより、ず~っと大規模でした!

ここは一夜城とも言われていますが、最後に木を伐採して小田原から見えるようにしたので、北条氏側から見ると「いきなり出現した」ように見えただけ。実際は八か月にわたって築城していた…という話です。

(そんなに長期間大規模工事をしていて、北条氏側は、なんで気づかなかったのか…?)

 

広大な二の丸跡。

 

さらに上、本丸跡。

ここは樹がたくさんあるので、日陰にシャガが咲いています。

 

風が気持ちいい、日陰のベンチでお昼ご飯。

かまぼこの里で買ったモノもいただきました。

 

本丸跡、ベンチのある場所からは、早川の町は見えるけど、小田原は見えません。

 

でもちょっとだけ移動した展望台からは、小田原が見えました。

この城の場所は、手前の山に阻まれて、小田原からは見えにくいです。

見えない場所にたくさん櫓を築いておいて、最後に見える場所に本丸を建てたのかも…なんて思いました。

 

小田原城が見えるそうですが、どこだろう???

 

拡大しながら探したら、小田原城、見つかりました!

今は林立するビルの中で、なかなか見つけるのが困難です。

 

本丸から下ります。

 

あちこち、石垣の跡がゴロゴロと続きます。

 

北側の展望台からは、早川・旧東海道・鉄道が通る谷。

さっきまでいた招太寺のあたりも見えました。

 

ここまではほぼ、小田原のウオーキングコースの「太閤一夜城と長興山史跡巡りコース」というのに沿って歩いてきたのですが、ここからは「早川・片瀬ウオーキングトレイル」というコースに入り、石橋山古戦場を目指します。

 

石垣山城から、南斜面を海のほうへと降りて行く道です。

あたり一帯は、みかん畑。まだ樹に残っています。

 

ほとんど車も人も通らない農道。

 

なかなか急な斜面が続きます。

急斜面の高い場所まで、みかん畑は広がっていました。

 

ひたすら降りてきて、海が近づいてきました。

新幹線の線路まで来ました。

トンネルとトンネルの合間の短い区間を、新幹線が走っていきます。

新幹線の少し海側には、東海道線も走っています。

 

早川駅から湯河原・熱海まではずっと、急な山が海に迫り、東海道線も新幹線も、通れる場所は限られているんだなー、と歩いてみてよくわかりました。

旧東海道が箱根まわりとなった理由も、この地形ゆえ。

 

ここからは、海岸に沿って、丘のみかん畑の中を歩きます。

樹によっては、実が残りつつ、花も咲いています。

 

あたり一面、みかんの花のいい香りがして、とってもいい気分。

一つ一つの花は、とても香が強いという感じではないのですが、たくさんあると、さわやかな芳香がただよいます。

 

収穫中のみかん。

 

時々、東海道線がやってきたり。

楽しい道のりです。

 

 

佐奈田霊社に到着。

このあたりが、石橋山の古戦場。

 

戦いで討ち死にした頼朝側の武将、佐奈田与一を祀っています。

 

与一塚。

 

文三堂。佐奈田与一の家臣だそうです。

 

石橋山古戦場は、アップダウンの多い山の中でした。

こんな山の中でどうやって戦った??って思うし、こんな山の中だから(しかも海は近い)、頼朝の敗走も可能だったかもね、と思いました。

 

 

さらに進みます。ちょっと下って、東海道線が近づいてきました。

 

すぐ隣に出た。

でもまたすぐ、道は東海道線を離れて高台に。
アップダウンが多くて、けっこう疲れます。そのぶん、眺望はGood。

 

北側がひらけると、大山も見えます。東海道線と。

 

海の向こうには、房総半島。

南西のほうは、箱根の山まではギリギリ見えたのですが、富士山は見えませんでした。

 

斜面の畑の必需品、モノレール。

 

うねうねと伸びる農作業用の道なので、案内看板がなければ絶対に歩けないコース。

案内看板はきちんと整備され、歩きやすかったです。

 

下に根府川の駅が見えてきました。

下っていきます。

 

駅前に、古い建物をおしゃれにリノベした感じの何か?がありました。

(ワーケーション・スペースだそうです)

 

根府川駅。

 

つくづく、いいロケーションの駅です。

東海道線で、小田原まで帰りました。

15キロ程度、アップダウンがあって約5時間半。

ずいぶん歩いてちょっと疲れたけど、海とみかん畑と線路の、楽しい道中でした。