特急リバティに乗車。下今市駅で降りました。
下今市駅には、古い跨線橋が残されていました。
昭和4年(1929年)の建築。日中は通ることができます。
有形文化財に登録されているそうです。
他にも東武鉄道のホームや駅舎など、沿線の文化財登録を受けているものが紹介されていました。
下今市駅舎、外から。
レトロ風ではありますが、実際は新しい。
今日は、下今市から、日光杉並木を歩きます。
駅前の地図に、杉並木の場所が表示されていました。
(黄色マーカーで塗ったところ)
西から日光例幣使街道・日光街道・会津西街道、の3本がここ今市で合流し、日光東照宮へと続きます。
各街道に今も杉並木が残っていますが、会津西街道は残っている距離が短く、今市の市街地の中で途切れてしまっているようです。
お昼近い時間だったので、まずは腹ごしらえ。
駅前の「丸井食堂」という手打ちそばのお店で。
そばとゆばのセット1200円。
日光はゆばが名産のようで、あちこちで見かけます。
しっかりゆばの味がして美味しかったです。
お蕎麦の後は、駅前から少しだけ歩いて、まずは、日光街道・日光例幣使街道の合流点へ行きました。
こちらが、旧・日光街道。
わ~、確かに杉並木だ!
こっちが、日光例幣使街道。
どちらも車が通れる舗装路でした。
V字型に合流する三角形の場所には「追分地蔵尊」。
まさに追分に建っています。
ちょっと頭が大きめのかわいらしい感じです。
「大谷川の洪水でここに流れ着いた」という言い伝えがあります。
背中には、その時に「岩と間違えて鑿を打ってしまった」という跡。
追分地蔵尊から、今市の町の中を少し歩くと、今度は報徳二宮神社。
なんで二宮尊徳?と思いましたら、二宮尊徳は晩年、日光に招かれて活動し、亡くなったのも今市なんだそうです。
報徳二宮神社から、現・日光街道に出ました。
交通量の多い国道ですが、歩いていく向こうに、杉並木がそびえています。
杉並木の保存地域の入り口に建つ、瀧尾神社。
「バイクツーリングオアシス」となっていて、珍しい顔出しパネルがありました。
ここから日光方面へと、杉並木の保存地域を歩き始めます♪
車は通行止めにはなっていませんが、入り口のあたりで1台、停まっているのを見ただけでした。(写真の左手にすぐ平行して、現日光街道が通っていますので、ふつう車はそちらを走るでしょう)
道幅も当時のまま、と思われます。
道の両端の溝には、きれいな水が流れていました。
日光~今市の一帯は伏流水が多く、そのため水が豊かで豆腐とか湯葉とかが盛んに作られているようです。
場所によっては、杉並木と道との間にかなり高低差があり、石垣が組んであるところもありました。
太い杉、まだ細い杉、さまざま。
とりわけ太い杉には、企業名が書かれたタグが取り付けられています。
保護活動のスポンサーとなった証でしょうか?
杉並木、時々保護地域ではなくなり、一般の住宅が建つ場所もあります。
ここは舗装路。
車も来ませんし、時々お散歩している人に会う程度。
鳥の声がして、静かで…と言いたいところですが、国道の車の音は絶えず聞こえます。
砲弾打込杉。
戊辰戦争の時に砲弾が当たったそうです。
この部分かな?
さらに先へ進むと、車止めがあり、歩行者のみのエリアになりました。
ここがいちばん、雰囲気がいいです!
足元は杉の葉でふかふか。路肩に石垣も溝もなく、山の中みたいです。
日光参拝の大名行列が歩いてる姿を想像します。
道に溝はなかったけど、道から少し離れたところに、水路があったようです。
杉並木の左(南)は現日光街道。
右(北)は東武の線路と、大谷川が流れています。
この水も大谷川からひいてあるのでしょう。
ずいぶん歩いてきました。
杉並木を離れ、東武線の下をくぐって、大谷川のほうへ。
大谷川と東武線の間には「日光だいや川公園」。
広い園内です。まだ少し八重桜も残ってる。
ここでちょっと休憩しました。歩き疲れた。
ここから日光中心部まで進むと、さらに1時間ほどかかります。
いったんUターンし、公園内を歩いて今市へと戻ることにしました。
たぶん、ニリンソウ。
パターゴルフを楽しんでる人もいました。
満開の八重桜。
日光だいや川公園の外に出ました。田園地帯。
そろそろ田植えです。
田んぼの向こうは線路で、その向こうの木々は、さっき歩いてきた杉並木です。
スペーシアが、杉並木沿いに走ってきました。
今まで、電車で日光に何度も来ましたが、車窓から杉並木が見えてたこと、全く気がついていませんでした。
「日光だいや川公園」を出てほどなく、「杉並木公園」が始まりました。
杉並木に沿ってひろがる、細長い公園です。
大きな水車。
この公園は世界や日本の水車を集めてありました。
杉並木のすぐ横、少し低い場所を、並行して歩いていきます。
粉ひき水車小屋。
粉ひきの用意はあったけれど、水車と連動させてはおらず。
水車はただ、回っているだけでした。
上今市の駅に到着。
下今市と日光の間にある、静かな無人駅でした。
下今市~杉並木~日光だいや川公園~杉並木公園~上今市、と歩いて2時間半ほど。
平坦な道でしたが、暑くてちょっと疲れた。
上今市から、もう帰るかな~、日光まで行くかな~、と迷ったのですが、一駅だけ普通電車に乗って日光に出て、駅前のレストランで、コーヒー&ピザで休憩。
6時の特急の時間まで、日光をぶらぶらします。
日光中心部で行ったことがあるのは東照宮だけ。二荒山神社も輪王寺も知りません。
二荒山神社は「4時まで」だけど輪王寺は「5時まで」とあったので、輪王寺へ行ってみました。
4時過ぎに到着。確かに境内に入ることはできました。
けど、お堂や宝物殿に入るチケット販売は4時で終了とのこと……あらら。
まあいいや。
外から見るだけですが、「金堂」と額が掲げてある三仏堂。
大きなお堂です。
塗りがツヤツヤで新しく見えましたが、1645年の建築で重文なんだそうです。
外からチラッとのぞき見する仏像。
こちらは、「相輪橖」という塔。
これもピッカピカなのですが、江戸時代からの重文。
お経みたいな、金色の文字が刻まれています。
宝物殿にも入れないし、境内をブラブラしてもそんなに時間かからず、出てきました。
でもよく調べてみたら、今見た場所は「輪王寺」の一部分にすぎませんでした!
東照宮の裏手や、二荒山神社の隣とか、あっちこっちに「今の輪王寺」に属するものがあります。
神仏分離令で、無理やり東照宮・二荒山神社と分かれたので、こうなっちゃってるみたいです。
全部見てまわると、移動距離もあるので、数時間かかるようです…これは今度、ゆっくり時間をとって、来る必要がありますね。
日光駅のほうへと、ゆっくりと戻っていきます。
途中の道で見つけた、東照宮の「お旅所」。
春と秋の大祭の時に神輿がやってくる場所。拝殿前の広いスペースで舞が奉納されるようです。
このあたり、表参道から1本中の道に入ると、東照宮へ往来する人々の喧騒が嘘のような静けさです。
神橋のある交通量の多いT字路の突き当りに、上に登る階段がついています。
登ると、本宮神社。
石段のすぐ下の雑踏が嘘のような、ひっそりとした場所。
でもここは、神護景雲元年(767年)勝道上人により開山された「日光発祥の地」とのこと。
二荒山神社の別宮として世界遺産の一つにもなっています。
本殿の背後は男体山を拝むための扉があるそうです。
こぶをなでると喜びが廻ってくるという、こぶ杉。
他にも笹の葉とか、「触るといいもの」がいくつかあったなー。
本宮神社のすぐ裏には、三重塔がひっそりと建っていました。
四本龍寺の三重塔(江戸時代に再建)。
四本龍寺というのは、先ほどの、本宮神社でも名前が出てきた日光の開祖、勝道上人の草庵のあった場所に創建された「日光最初の寺」。
隣には、四本龍寺の観音堂。
今は四本龍寺という寺はなく、輪王寺の一部となっていました。
本宮神社と四本龍寺も、たぶん神仏分離令前は一体のものだったんじゃないかな。
三重塔と観音堂との間には、不動明王像らしき石像。
その向こうは日光幼稚園。
江戸時代以前の、日光の姿をしのぶことができる場所でした。