1990年に嫁と娘の来日ビザ発給はされましたが
フィリピン出国迄の一週間を嫁出身地セブ島に行き
手頃な物件の”借家契約”をしました・・・
自分なりに頑張ったつもりの”日曜大工(DIY)”だが
知識と経験の無さが露呈したダケだった・・・
下記のいずれかのクリックにて
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おはようございますHamreyです
翌日は嫁実家Medellinへ行く事となり
朝4時のバスで行くという事だったのだが
起こされたのは未明の3時・・・
その時には既に嫁の他に姉Etに妹Uと
親戚筋のタンバイDnは起きていたが
若しかしたら寝ていないのだろうか・・・!?
(その通りで一晩中トランプをしていたらしい)
時間にルーズなP民だが
この様に前乗り的にすれば遅れる事は無いが
発想が可笑しい様に思える・・・!
Etの娘Hは寝ぼけながらも起きたが
娘M子はUが必死に起こそうとするが
全く起きる気配が無い・・・
寝起きの(-。-)y-゜゜゜をしていたワイだが
M子を抱っこする形でリビングへ連れて来た・・・
ネットで拾ったイラスト
ところでセブ北バスターミナルまでの交通手段だが
Etが近所のジプニー・オーナーと交渉して
この”借家”から200P(約1000円)で貸し切りした・・・
因みに当時のジプニー事情は
ラプラプ市のジプニーターミナルから
セブ市コロン通りまでを往復するモノであった・・・
(他の路線もあっただろうがワカラナイ)
その際の売り上げは往復200P(約1000円)くらいなので
1/4くらいで往復分の営収となるので二つ返事らしいが
Etのコミッションはワカラナイ・・・!
(タクシーで行っても200Pだっただろうか)
と云っても当時のラプラプ市にはタクシーは
殆ど居なかったしその時間にトライシクルも
走っては居なかった・・・
外には既にジプニーは来ていたので
皆で乗り込むが戸締りは嫁に任せていた・・・
未明のマクタン島は車通りも少ないので
スムーズに走行出来るが所々で通勤客が
手を前に突き出して乗車の意思表示をしている・・・
ジプニーターミナルは朝6時くらいに係員が来るが
その以前では街中でお客を乗せて
そのまま営業をするが別に咎められるモノでもなかった!
走行中の途中で止まりタンバイDnは降りるが
どうやら家に帰って寝るのだろうが
奴のする事や考えている事は良くワカラナイ・・・
30分後にはセブ北バスターミナルへ到着して
料金200Pを払い水溜まりに気を付けながら
目指すバスに乗り込む・・・
(M子は自分で歩く様に嫁にきつく云われた)
バスに乗り込んだら3人掛けの椅子に
ワイ・M子・嫁とEt・H・Uと分かれて座る・・・
ネットで拾ったイラスト
M子くらいだと膝抱っこすれば無料だが
3時間は辛いでしょう・・・
バスの座席に座った我々だが嫁を始め女共は
直ぐに寝入ってしまうがM子とHは元気そのモノだが
母親達を気遣い静かにしていた・・・
やがて4時近くになるとバス・ドライバーが
クラクションを鳴らして出発時間を知らせているが
クラクションのリズムで行先が解るのだろうか・・・!?
時間になりバスは北バスターミナルを出発したが
僅か20分ほどで休憩になってしまう・・・
その後の事もほぼ同じなので
更に続いて
Medellin到着後の行動も
同じ様なので↑を参照してください
一通り挨拶?をしたら買ってきた食材で
朝食の準備を始めるEtとUだが
ワイと嫁は座って待っているダケ
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It will be erect encouragement. ⤴
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M子とHはJeやTeとおしゃべりに夢中だった・・・
(ビサヤ語のガールズトークはワカラナイ)