ダ・ヴィンチとノアの洪水 | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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 万能の天才、ダ・ヴィンチ。

 科学、工学、医学、美術と、どの分野でも一流の人で、ルネサンス期を代表する才人。
 

 iMac事件のどたばたで、ファイルを整理していたら、昔、他の場所で書いた記事が見つかったので、それも紹介しつつ、駆け足でダ・ヴィンチのことを書いてみましょう。(今回は、古い記事との区別が明確になるように、文体をデスマス体に戻しました)

 

 

ダ・ヴィンチは秘する天才

 

 ダ・ヴィンチは科学に関して、数々の発見をしていますが、後世の科学の発展への影響力は皆無でした。

 それは、魔女狩りを恐れ、自分の研究を隠していたからです。

 自分の研究ノートは、他人には理解できないように「鏡文字」を使って記録しました。一種の暗号ですね。

 

 そのため、彼の「大発見」は他人に知られることがなく、歴史の表舞台には登場することがありませんでした。

 それらの「大発見」はすべて、後世の科学者により、ダ・ヴィンチの研究とは無関係に発見されているのです。

 

 さて、ダ・ヴィンチが生きていたのがどんな時代だったのか、この前後に活躍した人を列挙して、探ってみましょう。

 

・グーテンベルク(ドイツ)1398〜1468<1454印刷機の発明>

・コロンブス(イタリア)1451〜1506<1492アメリカ大陸に到達>

・レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリア)1452〜1519

・コペルニクス(ポーランド)1473〜1543<1543『天球の回転について』地動説を発表>

・マゼラン(ポーランド)1480〜1521<1522地球一周航海/マゼランは航海途中に没>

・パラケルス(スイス)1493〜1541<錬金術(金をつくる)から医学(薬剤をつくる)へ>

 

 ダ・ヴィンチはコペルニクスの地動説を知らずになくなっています。

 もちろん、地動説はそれまでにもありました。古くは古代ギリシャのアリスタルコスから。

 コペルニクスの地動説が衝撃的だったのは、地動説を数学的に扱い、プトレマイオスの天動説モデルで困難だった火星などの逆行運動を解決してみせたことです。(コペルニクスは天文学には弱く、惑星についても自前のデータを持っていなかったので、ケプラーのように完璧な惑星運行モデルは作れなかった)

 

 ダ・ヴィンチが時代に先駆けて発見したことをいくつか列記してみると、その天才ぶりが伺い知れます。

 

・落体は加速運動をする(ガリレオより1世紀前)

・永久運動は不可能(ステビンより60年前)

・血液は循環する(ハーヴェイより1世紀前)

・大地の構造はゆっくり変化する(ハットンより2世紀前)

 

 これは、すごい。

 ダ・ヴィンチはパトロンのために大仕掛けのからくりを作り、彼らを楽しませることで庇護を得て、自分の研究に没頭した人です。

 当時、うかつにはできなかった人体解剖も行っています。彼の描く人体は筋肉の付き方がリアルですが、解剖の知識が背景にあったのですね。

 

 そんなダ・ヴィンチですが、どうやら、ノアの洪水を科学的に捉えてもいたようです。

 では、古い記事ですが、お読みください。

 

 

ダ・ヴィンチは事実を先入観なしに受け止める人

 

***   ***   ***

 

ダ・ヴィンチとノアの洪水

 今はたぶん絶版の国土社「少年少女科学名著全集」の第7巻がたまたま手元にある。この本の仕掛け人かの板倉聖宣氏で、科学がいかにして科学となったかという道程を明らかにすべく、エキセントリックな五編が並べてある。(新田次郎が千里眼を扱った文章まである。詳細は不明だが、どうもその調査に関わった藤原咲平と新田次郎の本名藤原寛人から類推して、なんらかの関係があるらしい) 

 特に杉浦明平の「神話と魔術からの解放」が、ジュビナイル向けの解説文であるにもかかわらず、広い知識と奥深い考察で飛び抜けていて舌を巻いた。 

 ダ・ヴィンチが運河の工事や山歩きの副産物として海から離れた地で貝の化石が出るのを知り、ノアの洪水起因説(教会)や星が産んだ生物説(占星術)に対抗して、現在信じられている説に近い考えを手帳に残しているという話は驚いた。 
 海と陸とが絶えず入れ替わってきたという考え(万物は流転する)のもと、山脈の貝の化石はそこが昔海だった証拠であると述べている。 

 ダ・ヴィンチはよく知られているように、自分の考えを鏡文字で手帳に記している。ノアの洪水説への疑問もその中にあったという。 

 よく宗教と科学は対立概念として扱われるが、それはヨーロッパ中世のキリスト教会との軋轢が原因だ。本来は宗教と科学は相容れない概念ではなく、競合しない別個の概念のはずだ。たまたまキリスト教会が是とする聖書の解釈が、科学的思考を敵対ししてきた歴史があり、その印象が強いためだろう。 

 実際、物理学者の中には独自の宗教観を持つ人間が多いし、中には敬虔なクリスチャンだっている。先代のローマ教皇ヨハネパウロ2世が就任まもなく「ガリレオの宗教裁判は協会側の誤りだった」と、400年ぶりにガリレオの名誉回復を行ったのは記憶に生々しい。 

 ダ・ヴィンチが教会の弾圧を恐れながら(鏡文字の暗号はそのためだ)本心を手帳に書き連ねたのは、後世の研究家によって明らかになった。暗号のため、彼の見いだした数々の成果(パスカルの原理さえ発見している!)は、科学史の中で他へ影響を与えずに終わった。 
 16世紀に生きた天才の嗅覚は正しかったのだろう。 
 イタリアのジョルダノ・ブルーノが地動説を唱えたかどで火炙りにされたのはまさに16世紀の最後の年1600年2月のことだ。 

 「わたしはたたかった。(中略)わたしが卑怯な生よりも勇敢な死を選んだことは、後世の誰も否定しないだろう」というのが、ブルーノの最後の言葉であるという。こちらは同じ本の森島恒雄「ガリレオの生涯」から。
 

***   ***   ***

 

 山頂で見つかる貝の化石を、星が生んだなどと空想的な発想は排除し、「事実としてそこに貝がいたんだから、そこは海だったんだろう」と至極まっとうな推測をしています。

 人体の構造を知るために解剖まで決行したダ・ヴィンチは、事実を何よりも大切に扱う人だったともいえます。

 

 そういえば、ダ・ヴィンチの研究ノートにあった砲弾の飛ぶ軌跡の図は、空気抵抗中の運動の特徴をよくとらえたスケッチでした。(つまり、放物線ではありません)

 

 では、また。

 

【追記】古い記事後のコメントを忘れていたので、かんたんに追加しました。

 

 

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地動説の系譜1 コペルニクス
地動説の系譜2 プトレマイオス

 

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