冒頭のイラストはミオくんの時計。ちょっと、時計の絵がほしいなと探したら、これが有りました。前回同様、昔書いた文章があったので、それを紹介します。お題は、「火熾し」と「オーパーツ・奇跡の石球」。
なお、文中に登場するHさんとは、<遊>の持ち主、林ヒロさんのことであります。
中南米の石球はオーパーツ?
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火の起源と中南米の球石
知人のHさんは根っからの実験屋だが、いろいろあってある大学で科学技術論を教えるはめに。最近その報告を聞いたのだが、その話が痛快だった。科学技術論に事寄せて、実は面白い実験をがんがん紹介するという講義内容。「科学技術」と「科学・技術」では社会的な意味が違うと意見する人(これは結構深い意味がある)に対し「正直なところ、ぼくはそんな講義のタイトルは何でもよかったんです」という返答。その潔さに拍手した。
火熾しで「火打ち石というのは思うより遙かに起源が浅い」という話をしていた。火打ち石といえば通常は鉄と石だが、鉄の発見はかなり後になってからだというのがその論拠。
それに異論を唱えた人がいて、最初の火打ち石は黄鉄鉱だから、結構古いはずだと。黄鉄鉱なら結晶で取り出せるから石器時代でも手に入るはずだと。
まあ、それはともかく、人工的な火熾しの最初が火打ち石ではなく錐揉みだったことは想像に難くない。
でも、錐揉みだってかなり難しい。
前に試したことがあるのだが、日本では錐揉み式の火熾しは、簡単なことではない。いくら丹念に木と木を擦り合わせても、真っ黒なカスが増えるだけで肝心の火が熾きないからだ。
もちろん、原因は湿気にある。
日本で錐揉み式の火熾しをやるときは、棒も木の台も事前に十分乾燥させておく必要がある。
これは実際にやってみないと、実感としてはなかなかわからない。使用する木の乾燥状態が絶対的なファクターなのだ。(*1)
最初に火を熾したのが果たしてヨーロッパ人なのかアフリカ人なのかわからないが、今の北ヨーロッパのように乾燥した世界だったかどうかは謎だ。錐揉み火熾しに成功するまでには果てしない試行錯誤があったに違いない。
それで思い出すのが、中南米の大中小さまざまな球体石。
かのエーリッヒ・フォン・デニケン(グラハム・ハンコックが「神々の指紋」などの著書で有名になるよりずっと前に、同様な主張をしてきた人)が「石を完全な球体に加工する技術が古代にあったとはとうてい考えられない」と唸った。これは宇宙人の特殊な技術が絡んでいるはずだと。 (*2)
大学時代にその話題を友人に振ったら、面白いことを教えてくれた。二つの石を合わせて擦り続けると、微妙な硬度の違いでかたほうが凹面になり、片方が凸面になる。凹面の石で凸面の石の全体を擦り続ければ、球体になるだろうと。友人によると、そもそもレンズを磨く技術がそれに近いのだという。
友人との議論の中で、キーワードは「時間」なのだと理解した。現代人には考えられない時間感覚が、不可能を可能にしたのだろうと。
二つの石を根気よく擦り続ければ、片方はじわじわと球体に近づいていく。それには途方もない時間がかかる。だが、昔の人間はその「仕事」を自分一代で終わらせる必要はなかったんじゃないか。
親から子、孫へと「仕事」を引き継ぐことで、いずれは必ず完成する。話し合っていたぼくと友人は、それに思い当たってしばし黙ってしまった。
「悠久だなあ」と、どちらからともなく、そういった。
古代の「秘密」のかなりの部分は、現代人との時間感覚の違いが解決してくれるんじゃないだろうか。
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(*1)もちろん、日本でも、材料が乾燥する季節なら成功するし、その他の条件で、やはり材料が乾燥しているときなら成功する。
(*2)この石球は大小様々で、中南米の様々な場所に点在している。残念ながら行ったことはないが、公園に飾られているものもあるらしい。
現代人と古代人の時間感覚はまるで違う
この石球に限らず、古代の建造物は謎めいたものが多い。
ナスカの地上絵、エジプトや中南米のピラミッド、イースター島のアクアク(巨人像)などは、オカルト世界で謎のオーパーツとされています。
その理由は、古代の技術では到底作り得なかったはずである、というものです。
ナスカの地上絵、何キロにも渡って伸びる一直線を描くのは無理。
ピラミッド、巨大な岩をあんなに高いところに運んで組み上げるのは無理。
アクアク、重い巨大な石像を陸上を運んでまっすぐ立てるのは無理。
いえいえ、どれも、古代の技術で可能です。
問題は、完成までにかかる時間。
現代の建築機械はパワー(仕事率)が大きく、短時間で大量の仕事をすることができます。木高層ビルがどんどん作られていくのを目にしたこともあるでしょう。
古代にはそんな便利な機械はありません。
例えば、古代エジプトには、「車」というものが有りませんでした。
ピラミッドの壁画に石を運ぶ絵が記録されていますが、巨大な石を運ぶ床にツボから何かを注いでいる絵になっています。
これは事実ですが、ここから先は後世の人の想像です。
これは、おそらく石畳のような通路の上に油を垂らし、摩擦を減らして動かした証拠ではないか、とも言われています。石畳の通路は、石灰岩を砕いてセメントを作り、コンクリート通路にしたのではという専門家もいます。
車はなくても、コロなら知られていたはずなので、木の丸棒を並べ、その上を移動させる、というようなことをやったかもしれません。
ナスカの地上絵には何キロにも渡る直線がいくつも描かれています。
こんな巨大な直線を引くのには、例えば現代のレーザーのようなものがあれば簡単ですが、古代の人はどうやったのでしょうか。
ここから先はやはり、人それぞれの推理が違いますが、最も簡単な方法は、杭を使う方法でしょう。
杭が3本あれば、それを適当な距離離して地面に打ち、片目で見て、一番手前の杭の後ろに他の2本が隠れるようなら、3本の杭は一直線上にあります。この場合、レーザーの代わりに太陽からの光が杭で乱反射する光を使っています。
光は直進するので、3本の杭が1本に見えるなら、それらは一直線上にあると考えられますね。
ところで、このやり方では、見る人と一番手前の杭との距離が重要です。近すぎると、一番手前の杭の太さがじゃまして、正確に一直線を取れません。
イースター島巨人石像の場合は、トール・ヘイエルダールがその著書『アク・アク』で、再現工事の様子を詳しく書いています。
テコとロープをうまく使い、少し持ち上がった像の下に手頃な大きさの岩を潜り込ませる、という作業を繰り返すことで、じわじわと巨人石像を立ち上げることができます。
創意工夫で、古代の技術であっても、かなりの建築が可能ですし、実際に行われています。
決定的に異なるのは、仕事に関する時間感覚でしょう。
現代人の感覚では、建設にかかる時間は長くて数年。早いものなら数ヶ月です。
しかし、古代では、大事業は、親から子、子から孫へと、子々孫々受け継がれます。
それが、一見不可能に見える建築を可能にしているのではないでしょうか。
何でもかんでも宇宙人の高い技術力のせいにするのは、あまりにも発想が貧困ではありますまいか?
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