前回取り上げたイタリアのガリレオ・ガリレイの「レ・メカニケ」。梃子、滑車、輪軸など、ものを持ち上げる機械の仕組みと原理を、モーメントの考え方をうまく使って(ときには無理もあるけれど)、解説したもの。
序文では、ガリレオ独特の婉曲的な言い回しで、次のような内容の宣言があります。
【機械を作っている技術者たちが機械を使えば作業がいくらでも楽になるようなことをいっているが、この本でその機械の限界を示そう。】
ざっくりというと、こんな感じ。
後に「仕事の原理」として知られるようになる内容を、まるまる一冊使って詳しく証明している本です。
ちょっと脱線すると、ネジが坂道を機械化したものであることも、この本の最後の方に念入りに解説されています。これも今の高校物理では定番ですかね。(教科書に載っていないから、触れない人も多いのかな?)
物理が専門でない人にはちんぷんかんぶんなので、簡単に説明すると;
【物を持ち上げるときに機械を使うと直接持ち上げるときより小さな力ですむようになるけど、力と移動距離をかけ算した「仕事」と呼ばれる量は、得することができず、いつも同じになる。】
という内容。
つまり、ガリレオは、この世の中に、人間の知恵では解決できない限界があるということを示したことになります。
いろんな機械を論じつつも、彼の論点は、すべての機械に共通する法則があることを示したんですね。「レ・メカニケ」こそ「仕事の原理」発祥の地というわけです。
高校の物理の教科書では、いきなり仕事量の定義から入るのが普通で、
【力×力の向きの変位(移動距離)を仕事と呼ぶ】
みたいな感じで始まります。
「え?」って思いませんか。
そもそも、さまざまな物理量は、先人たちの紆余曲折の苦難苦闘の歴史の中から生まれてきた概念がほとんど。その歴史の中に、新しい物理量をどう定義するかという背景があります。
それを伝えた方が、腑に落ちるはず。
ガリレオが見抜いたように、重い物を持ち上げるという作業のとき、物体の重さ×持ち上げる距離(=労役:ガリレオのつけた名称)は、どんな機械を用いても同じになります。
その実験事実の積み重ねの中から、力×力の向きに移動した距離という物理量に人知を越える意味があることがわかり、後になってポンスレがこの物理量を「仕事」と名付けました。
だから、ぼくはいつも仕事量の導入の際には、まず仕事の原理から入ります。
ガリレオほどではありませんが、動滑車の組み合わせた機械や、梃子で物を持ち上げる作業を分析し、機械が手の力を半分にしたときには手の移動量が2倍になり、力を3分の1にしたときは移動量が3倍になることを示します。
こうしてから仕事量の定義に入ると、天下りでなく、新しい物理量を理解することができますからね。
実はこの導入の仕方はぼくのオリジナルではありません。ぼくが新任の頃に、愛知物理サークルの先輩から「仕事の導入は仕事の原理からした方がいいぞ!」と強く勧められ、いろいろ検討しているうちに、今の形に落ち着いたんですね。
愛知物理サークルで生まれた教材や教授法は、現在の物理教科書にかなり取り入れられるようになってきましたが、残念ながら、仕事の原理から仕事の定義につなげていく教科書はありません。
まず、仕事の定義、そして思い出したように仕事の原理の説明。
そんな順序がほとんどです。
まあ、授業はライブですから、「教科書を」教えるのではなく、「教科書で」教えるんだから、物足りないところは自分で補えばいいんですけどね・・・