さあ、新しい世界、仕事とエネルギーの世界へ入っていきます。ちょっと、この装置を見てください。(上図*1)
動滑車は、中学で習いましたね。力が何分の1になったんでしたっけ?
2分の1の力ですね。
手で直接持って上に持ち上げるときに比べて、この動滑車を使うと手の力は半分ですみます。機械を使うと、楽ができる━━人類の歴史は楽(ラク)したいための工夫の歴史でもあります。
でも、ほんとうに機械を使うと楽ができるんでしょうか。それを研究したのが、ガリレオ・ガリレイです。等加速度運動や落下運動のところで登場したガリレオですね。
ガリレオは「レ・メカニケ(機械論)」という本で、機械のことを徹底的に調べています。その結果、面白いことに気がつきました。
機械を使って物を持ち上げるとき、力は小さくできるけど、移動距離はかえって増えてしまうという発見です。この黒板の装置で試してみると・・・糸を引いて、動滑車につるしたおもりを10cmだけ持ち上げてみましょう・・・このとき、糸を引く手の移動距離は倍の20cmになりますね。
動滑車を2つ使うと力は4分の1になりますが、この場合は手の動きは4倍になります。
この表がそれをまとめたもの。(b)〜(d)のどの場合も、手の力Fと手の移動距離xをかけた値F・xは、直接物体を手で持ち上げた場合(a)と同じで、いつもmghになります。
どんな機械を使っても【力】×【持ち上げる高さ(いいかえれば、上方向の移動距離)】という量は同じ量になることに、ガリレオは気づきました。この量は、人間の知恵ではどうにもごまかせない量です。人知を越えた物理量が存在することが発見された、科学史上初めての例です。これがやがてエネルギーの発見につながっていきます。
ガリレオは力Fと移動距離をかけたこの新しい物理量を「疲れ」と呼びました。
この言葉は、後になって「仕事」と呼ばれるようになったので、ガリレオが見つけた機械に関する新しいルールも「仕事の原理」と呼ばれるようになりました。
教科書には「力と距離をかけた量を仕事という」なんて天下りに書いてありますが、人間の勝手で適当に力と距離を選んでかけあわせたのではありません。この【仕事の原理】によって、宇宙には【力×移動距離】という新しい物理量が存在することがわかったんですね。
ポンスレはガリレオの仕事を、物を持ち上げるとき以外にも使えるように、次のように定義しなおしました。これが、現在の仕事量の定義になっています。
仕事はWorkだから、記号Wを使います。仕事Wは【力F】に【力の向きの移動距離x】をかけた値です。よく【力】かける【距離】と、簡単に覚えることがありますが、本来の【力の向きの移動距離】という考え方が重要です。その重要性は、学習が進むとわかるようになるでしょう。
仕事の単位は力が(Nニュートン)、移動距離が(mメートル)だから、それをかけて(Nm)。これを(Jジュール)と呼びます。(ジュールは仕事やエネルギーのことを詳しく調べた人で、面白い逸話がたくさんあるのですが、またの機会にしましょう)
ガリレオは「機械論」で機械の例として梃子(てこ)のことも詳しく調べていますから、梃子についても仕事の原理が成り立つかどうか、確かめておきましょう。
図の梃子だと、力はmgの半分ですむけど、手の移動距離は物体の移動距離hの2倍になります。このときの仕事Wはやっぱりmghになりますね。仕事の原理は、機械の種類によらない、物理の大法則ということです。
さて、仕事は向きのないスカラー量ですから、向きのあるベクトル量とちがって、ふつうの足し算が使えます。だから、斜方投射の式や運動方程式みたいに、方向別に式を立てる必要はないし、してはいけません。向きがないので、計算は今までよりずっとかんたんになります。
仕事の研究が進むにつれ、仕事の素となる量として、「エネルギー」の研究も進みました。
仕事とエネルギーの関係は、買い物とお金の関係に似ています。
買い物をするにはお金がいります。500円の買い物をするためには、お金を500円もっていないといけません。また、1000円もっていて途中で300円の買い物をすれば残りは700円になります。1000円もっていて途中で知り合いから300円のこずかいをもらったら、手持ちのお金は1300円になりますね。
これと同じように、物体は持っているエネルギーの分だけ仕事をすることができ、物体に仕事を与えるとその分だけ物体のエネルギーは増えます。
研究が進むと、物体のエネルギーを減らしてしまう負の仕事や、物体のエネルギーがまったく変化しないゼロの仕事があることがわかってきました。
負の仕事は日常でもよく使っています。
たとえばサッカーやドッジボールをするときを思い出してみましょう。サッカー選手は、勢いよく飛んできたボールを胸で受け止めて、ボールの勢いを殺してすとんと足元に落とすことができます。つまり、ボールのエネルギーを奪って、ボールの動きを止めてしまうわけです。つまり、負の仕事をしているんですね。
さて、このとき、サッカー選手はどんな体さばきをしているでしょう?(*2)
ボールが胸に当たる瞬間、身体をのけぞらせています。つまり、身体を後ろに引いているんですね。
このとき、ボールには何が起きているのでしょうか。
ボールが胸に当たっている間、身体がボールを押す力は前方を向いていますが、ボールの移動方向は後方を向いています。つまり、力と移動の向きが逆向きのとき、この人はボールのエネルギーを奪う負の仕事をしたことになります。
普通に止まっているボールを蹴ったり投げたりするときは、力の向きとボールの移動の向きは同じ向きで、この場合はボールのエネルギーは増えますから、当然、力のする仕事は正です。
つまり、正の仕事になるか負の仕事になるかは、力と移動の向きの位置関係によるんですね。
ドッジボールでも、強いボールをうまく受け止めるときには、手を引きながら受け止めます。これも同じ。野球はグラブを使っているのでわかりにくいのですが、このグラブもこの技術を使っています。ボールをグラブではさむとき、グラブのミットは後ろにせり出すように作られています。ミットはボールを前方に押しているのに、ボールはミットとともに後方へ進みます。やはり、力と移動が逆向きで、負の仕事をすることになります。
次はゼロの仕事です。
もっともかんたんな例は、力をかけても物体が移動しないときです。
この場合、移動距離がゼロだから、当然、仕事もゼロになります。
こんなふうにただ物を持っているだけというのは、物理的には仕事にならないんですね。(経験的には、ただ持っているだけで疲れますが、それには別の理由があります。それはまた別の機会にしましょう)
エネルギーとの関連で考えると、仕事がゼロであることは、もっとよくわかります。持っているだけでは、相手の物体は速さも高さもかわりません。つまり、相手のエネルギーは増えも減りもしないんだから、この人のした仕事はゼロということになります。
ところが、物体が動いても仕事がゼロになることがあります。
例えばバケツに水を入れて廊下を歩く時とき、力はバケツが落ちないように上向きに支えていますが、移動方向は水平方向で、力に対し垂直です。このとき、物体は速さも高さもかわりません。つまり、相手のエネルギーが変化しないので、この人のした仕事はゼロになります。
つまり、力と移動が垂直な場合は、仕事がゼロになるということですね。ここでも、負の仕事と同様、力と移動方向の位置関係が重要になります。
さて、これは次のように考えることもできます。
仕事の最初の定義は【力】×【力の向きの移動距離】でしたね。
バケツを廊下に沿って運ぶ場合、物体は力の向きには1mmも移動していませんから、力の向きの移動距離はゼロ。だから、仕事もゼロになると考えることができます。
さて、何種類も仕事が出てきたので、仕事の定義をまとめておきましょう。
単純に考えるなら、力と移動方向が同じ時は正の仕事、逆向きの時は負の仕事、垂直の時はゼロの仕事と覚えればいいのですが、機械的にそうやって丸暗記するのは意味がありません。
仕事とエネルギーは表裏一体で研究されてきましたから、仕事の正、負、ゼロの区別は、相手の物体のエネルギーの増減と合わせて理解した方がいいのです。今まで紹介したような具体的なケースで考えれば、仕事の正負は丸暗記しなくても、当たり前のこととして判断できますね。
ところで、教科書や参考書をみると、仕事の定義として、もっと難しい式が書いてあります。
力Fと移動距離xのなす角がθであるとき、仕事量Wは、
W=F・x・cosθ
この難しい式を仕事の定義式として覚えて、仕事の計算はこれを使ってやれというのです。θが90°より大きいとcosθは負の値になります。例えば、cos150°などの計算が登場するのですが、これはただ計算が大変なだけで、物理学としてはあまり意味がありません。
この式は今の段階では、まったく覚える必要はありません。
みなさんの数学の知識がもっと増えたら、この式の数学的な意味がわかるようになります。(*3)それまで、この式は、みなさんの学習にとって、何の役にもたちません。
実際に問題を解く場合でも、W=F’・xとW=F・x’のどちらかを使えば答がでますから、W=F・x・cosθの式を覚える必要はないのです。どうしてもθを用いた式が必要になったときは、自分でこの式を作ることができます。
ちょっと、作ってみましょうか。
さきほどの表にある、仕事の三つの定義(正・負・ゼロの仕事)を組み合わせて求めるか、一番最初に紹介した仕事の定義(仕事=力×力の向きの移動距離)を使えばいいのです。
では、まず、三つの定義を組み合わせて使う方法。
図(a)のように、まず、力Fを移動方向の成分F’と、移動に垂直な方向の成分にわけます。垂直な方向の力は力と移動が垂直な関係にあるので仕事をしません。力F'は力と移動が同じ向きなので正の仕事をします。だから、結局、力Fのする仕事は力F'がする仕事と同じになります。
W=F'・x
これを理解していれば、とりあえず仕事が計算できます。図から明らかにF'=Fcosθだから、これを代入すれば、W=F・x・cosθとなって、あの式になりますね。
次に、仕事の本来の定義から考えてみましょう。
図(b)から、【力の向きの移動距離】x’がわかります。仕事の定義から【仕事】=【力】×【力の向きの移動距離】だから、仕事Wは次のようになります。
W=F・x’
これでも仕事量を正しく計算できます。この場合も、図からかんたんにx’=xcosθとわかりますから、式に代入してW=F・x・cosθとなり、さきほどと同じ式となります。
だから、(a)と(b)の方法を、臨機応変に使い分ければいいのです。どちらでもいいのだから、(a)か(b)のどちらかだけを使えるようにすればいいのではないか? 残念ながら、片方の計算方法だけでは計算できない場合があるので、この両方の計算方法を身につけておかなければなりません。
【その1はここまで➜その2へ続く】
*** *** ***
【物理コーチのためのメモ】
補註
(*1)動滑車の仕事の原理の説明は作図でもじゅうぶん行えますが、実物で実験して見せて、例えばおもりが10cm上がるとき、ひもを引く手が20cm下がるのを実際に見せた方が、はるかに直感的でわかりやすい。ぼくはなるべく、装置を見せるようにしています。
(*2)どのクラスにもたいていサッカー部員がいるので、質問して答えてもらう場合がほとんどです。中には自分の身体の動きを言語化できない生徒もいますが、ほとんどの生徒は「身体を引く」「身体をそらす」などの表現を使います。言語化できない生徒の場合は実際に身体のさばきを実演してもらい、他の生徒に言語化してもらいます。
(*3)仕事の定義は高校の教科書では天下り的にW=F・s・cosθ(sはストロークでしょうか。xを用いた方が記号が増えずに混乱が防げるので、ぼくは授業では変位には記号xを用いていますが、どちらの記号を選ぶかは大した問題ではありませんね)から教える場合が多い。正負の仕事もこの式に当てはめて計算させるのです。
仕事はスカラー量なので、その正負の説明は、エネルギーとの関係を無視して教える場合は、どうしても数学的な説明になります。しかし、ベクトルの内積という概念がわからない生徒にそれを教えるのは非常に困難ですね。内積を使わずに数式的に説明しようと試みている教科書もありますが、正直、かなり苦しい説明になっています。(例えば、力と移動が逆向きのとき、逆向きの力はベクトルとして-Fと書けるので、W=-F・xになる、とか。これは苦しい。スカラー量である仕事の説明にベクトルを利用しているので、正しくないばかりか余計な混乱を招きます)
【仕事の原理と仕事の定義、仕事とエネルギーの密接なつながりについて】
仕事の導入に仕事の原理を使うのは、ぼくが新任の頃、愛知物理サークルの先輩たちから教えていただきました。仕事の原理という物理法則があってこそ、力と移動距離をかけるという概念が生まれたのですから、仕事の原理を説明してから仕事量の導入をするほうがわかりやすいし、興味も喚起されます。
また、仕事とは二物体間のエネルギーの受け渡しである、という発想もまた、愛知物理サークルの先輩からうかがった話です。仕事の正負と相手のエネルギーの増減を結びつけて説明する方法は、そこから発想して発展させたものです。
エネルギーという概念を明確に定義しないまま使用していますが、そもそも仕事とエネルギーは表裏一体のものなので、どちらかを先に厳密に定義するというのはなじまないのではないでしょうか。
ニュートンの運動方程式を変形して運動エネルギーと仕事量の関係(エネルギーの原理と呼ばれることもあります)を導くときも、運動エネルギーと仕事量の両方が同時に現れます。どちらが先、ということではありません。
そもそも、歴史的にも、仕事とエネルギーは二人三脚のように研究されてきた概念です。本文にちょっとでてきたように、ニュートンは運動エネルギーを速さに比例するm・vで考え、ドイツのライプニッツたちのm・vの2乗という考えと対立しました。その決着をつけたのが、フランスのエミリー・デュ・シャトレの研究所です。この記事は前に「エネルギーとロマンス」というタイトルで詳しく描きましたので詳細は省きますが、エネルギーを持つ物体に仕事をさせ、その仕事量からエネルギーの形がどちらなのかを探ったのです。仕事とエネルギーが表裏一体だからこそ、実験がうまくいったのですね。結局は、ライプニッツたちドイツの科学者が正しかった(真実に近かった)と証明されました。現在知っている運動エネルギーの形は、ライプニッツたちの値に2分の1をかけた値です。
さて、理科教育論的にいうならば、新しい概念を脈絡なく天下りに定義して教えるのは、自然科学ではできるかぎりやるべきではありません。物理現象があってこその物理量ですから、新しい物理量がどういう理由で生まれたのかという歴史は、自然科学を学ぶ上で非常に重要な要素です。科学史にあまりに微に入り際に入って深入りするのはいただけませんが、その重要なエッセンスは紹介する必要があるでしょう。
実際、W=F・x・cosθという式で仕事を計算するのは、生徒に無意味な混乱を招くだけです。物理現象を学んでいるのか、数学の勉強をしているのか、わけがわからなくなるのは避けたいですね。
仕事量がスカラーなのは、数学的な構造でいうと、力Fと変位xという二つのベクトルの内積だからです。これが理解できると、物理学と数学の結びつきの深遠さに触れることができるので非常に興味深いのですが、高校生が数学の授業でベクトルの内積を習うタイミングを考えると、仕事を初めて学ぶときに数学的な式で教えるのは、意味のない困難を持ちこむだけでしょう。今は特に、1年生から物理を学ぶ学校も増えてきましたから、特に数学の扱いには注意が必要です。
日本の物理教科書は無意味に数学を押しだす傾向が強いですね。もっと物理現象に基づいた教え方をした方が、物理量や物理法則の意味がわかるのに。アメリカのへーウィットさんが執筆した「CONCEPTUAL PHYSICS」なんかは、数式を極力抑えて作られた、非常にすぐれた教科書です。日本では受験もあって、こういう教科書は作りにくいのですが、概念形成をもう少し重視した教科書や参考書が必要なんじゃないでしょうか。
この物理ネコ教室が、物理の概念形成に役立つ参考書になればと思っています。
※本文の文体をくだけた口語調からです・ます調に改めました。(他の記事との整合性のためです)思いつきで授業の口調を取り入れてみたのですが(笑)、他の記事とのバランスを考えて改めました。また、そのさい、記事内容について、初出で話の流れがあいまいだったところを、実際の授業の流れを再現できるように変更しました。本文は初出よりすっきりしたと思います。
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