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つれづれ写真日誌

自宅周辺の日常の些細なできごとを中心に写真を添えて。

太宗庵
ご夫婦で小さなお店を丁寧に守っている手打ち蕎麦屋さん。
出汁と麺のバランスも良く、ここの蕎麦は市内でも大好きな店です。天ぷらもかりっと揚がっていてコストパフォーマンスも良です。
ご飯ものも時々食べますが、お米が美味しいです。

日祝除く2時までに行くと、たぬき・きつね・わかめそばにご飯・温泉卵・お新香がつくランチがあります。店内は狭いので、ランチ時はすぐに一杯になってしまいます。


※お店と直接関係ありませんが、このエリア町名がちょっと複雑です。行政が勝手に西区と中区に分けてしまったものですから、
中区花咲町と西区花咲町があります。
また桜木町の町名は1~7丁目まであります。1~3丁目が中区で4~7丁目は西区です。 
住所:横浜市中区花咲町3-100   
電話:045(241)6521
定休日:水曜
追悼ばかりで悲しい
先日訃報が届いたSteven Paul Jobs
「Macintosh」(略してMac)商用パーソナルコンピュータをビジネスにした伝説的経営者。実は共同経営者の一人で、最も波乱に満ちた人生をおくったことから、エンドユーザーにカリスマ的な人気があった。
彼スティーブン(本人はスティーブといっていた?)の波乱人生を一部紹介しよう。父はシリア人で優秀なイスラム教徒の大学院生アブダルファン・ジョン・ジャンダリ。母も同じく大学院生のジョアン・シンプソンで未婚の子供としてカリフォルニアに生まれた。
両親が学生同士で異なる生活環境では赤ん坊は育てられないということで、生後すぐにジョブズは、ポール・ジョブズ夫婦に養子に出されジョブズ姓となった。このことは思春期のスティーブンを大きく傷つけたらしい。

学生時代から独立心が強く、またビジネスの才能をいち早く発揮した。この時、出会ったのがウォズニアック、後の共同経営者の一人である。彼が電話をハッキングして無料通話可能にする装置を開発した(違法だろう?)。スティーブンは、これはいけると売りさばいてかなりビジネス感覚を磨いた。
実は、技術開発はウォズニアックで、スティーブンは販売担当だった。この時生まれたのが「伝説のApple I」そしてそれに続くApple Ⅱだ。
マイクロソフトを事実上創ったのがポール・アレンであるように、Appleを創ったのは一回り年上のマイク・マークラのマネジメントによるところが大きい。
スティーブン・ジョブスはアップル社の暴れん坊だった。ワガママ坊やという人も多いが経営センスは超一級。でも一時期アップル社を追い出されてしまう。
彼は人生のどん底にまで落ち、また立ち上がってきた。マイクロソフトに比べてカスのような存在、一部のマニアックなユーザーに支えられているとまで言われたアップル社に返り咲き、今やアップル社のニュースは一瞬にして世界を駆け巡る。iPhon iPod iPad を世に送り出した。世界一のプレゼンテータとも言われた。そして
死に際し、天才だ、英雄だという声も集めた。
創業会社との確執、日本でもどこかで聞く話しだが ジョブスのいるアメリカだからあり得る成功だろう。

追伸
全米超人気TVアニメのホーマーシンプソンの母親はスティーブンと兄弟!だそうだ。謎解きは各自でどうぞ。
ちなみに、私のマッキントッシュ社への投資は、500万円(株ではありません)を越えるだろうな。


終戦後の横浜を語る素敵な証人がまた亡くなった。2005年暮れ、彼にインタビューを申し込んだ時、会場の指定があった。
港が見えるところがいい。できればニューグランドあたりが
 ということだったが、メルパルクか英一番館しか空いていなかった。
柳さんサイドから返事があった。記念の場所(県民ホール)がいいということで、英一番館に決まった。夕暮れ間近、会場に入ってきた姿は 往年のふっくらした姿に対してすっかり痩せていた。
2005年柳さんは、かつて確執のあったゴールデンカップスのメンバーともコラボし、精力的にコンサートも開始した年だった。あの尖ったレイニーウッド時代の彼では無かったが、歌へのこだわりはもちろんギターへの思いもエディ蕃に匹敵する熱い語りだった。
ずいぶん痩せられましたねと尋ねたら、来年から少し気合いをいれなくちゃいけないからね と話す目線は海を見ていた。今思えばもしかするとすでに体調は良くなかったのかも知れない。
今日、彼のアルバムをランダムに聴きながら、久しぶりにハイボールを飲む。1960年代、日本で一番米軍占領地の多かった横浜(沖縄は日本国ではなかった)は、いたるところに「フェンスの向こうのアメリカ」があったという。横浜は不幸でありながら、切なく楽しかった時代であったことは違いない。
まだまだ聞きたかった。
まだまだ語って欲しかった。
あの日の横浜を。

最近、横浜でも水辺の整備が進んでいます。都市の中心部にも水鳥が増えきました。
街歩きの風景に鳥達の姿が見えるのは心がなごみます。
特に親子鳥の微笑ましい仕草に思わず足を止めたくなります。子育て中の親鳥は神経質になっていますが、ここにいた親子は、あまり危害を加えられたことも無いのでしょう。少し近づいても逃げること無くかなりアップ(近く)で撮影できました。(この夏の光景です)

建築にデザインは重要ですが、時になんでこんなデザインにしたの?と思うものに出会います。
つれづれ写真と共に


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町内会の集会場らしい。時々しか開けないようです。結構この前を通るが使用していた場面に出くわしたことがありません。町内会のイメージアップ?建築物だからこそこのように設計したのだろうか?
バリアフリーってわけでもなさそうだし。わかりません!??
ちょっと高く小上がり風にしたのは 浸水の可能性があるのかな?でもとなりの倉庫は 高さが違います!
鳩とカラスの遊び場になってます。
中津川の友人から秋の便りが届きました。
すやのくりきんとんです。
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栗きんとんは岐阜の名物菓子です。おせち料理の栗きんとんのイメージとは違い、粘り気がなく形は茶巾絞りで栗の形をしています。
写真は ちょっと輪郭を切り抜く作業をしました。最近簡単に切り抜きができるんですね。要した時間30秒。
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これが元写真です。
野毛の外れにうなぎの「江戸っ子」がある。うなぎの蒲焼きしか売っていない店で、同じ野毛町内に同じ名前で飲食店の「江戸っ子」(支店)もあるが、安く自宅で食べるにはここが一番。
つれづれ写真と共に
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店先で注文すると その場で焼いてくれる。タレと山椒がつく。自宅でご飯を炊いておけば 焼きたてうな丼が食べられる。
店で食べると2,000円の値段がついてしまう。
値段は 大きさで 1,000円、1,200円、1,800円。ちょっと前は一串一匹700円 900円 1100円だったような。ここも値上がり必至か。これからの寒い季節、うなぎも良いもんだ。
たしか 第三火曜日は特売日で 安くなりますが混んでいまっせ。
横浜市内の古民家について
先日アップした古民家紹介。瀬谷の長屋門が横浜市内最大級の古民家というのはおかしいのでは?というメールが届きました。敷地面積から言えば、新治(緑区)、都筑区の民家園も舞岡(戸塚区)、そしてせせらぎ公園(都筑区)の方が圧倒的に広いし規模も大きいのでは?という指摘でした。
確かに!おっしゃる通り!!!!
この評価は総合判断で、ということにしておきましょう。
オリジナリティで言えば、鶴見の横溝屋敷が市指定有形文化財(建造物)第1号で(恐らく)唯一移築せず修復したもので、当時の谷戸の風景が感じ取れます。
その他は 移築復元されたもので、どこから移築したか?敷地をどう活かしているか?になってきます。
主観です。

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(仲町台のせせらぎ公園内古民家です)


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(鶴見横溝屋敷 正面写真を撮っていない。近々撮ってきます)
本当に久しぶりだった。全く変わっていなかった。昭和がそのままタイムスリップしたようだった。
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味に関しては意見の分かれる所だが、私にはかつて青春時代の胃袋を満たしてくれた癒しのラーメンだったので、思わずこの味だと うなってしまった。
記憶にしっかり残っていた。部活後の空腹時、良くジャンボラーメン定食(ジャンボラーメンと炒飯とミニ餃子)を食べた。(今はメニューに無かった)
現在、餃子は290円で王将と良い勝負!テイクアウト含め人気メニューだ。
店に入ると店内も変わっていない。机も椅子もそのままだった。
今日は名物「ジャンボラーメン」を食べた。しっかり麺2玉分はある大盛りラーメンで550円という安さ。ラーメンは庶民のものという経営姿勢がいまも貫かれている。
古久屋独特の平打ち麺で、柔らかい。出汁は醤油味で鶏がら、豚骨味でさっぱりしている。
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(ジャンボラーメン 普通のレンゲが小さじに見える?)

もう一つ。安い上に 従業員の教育がしっかりしている。これも変わらなかった。家族連れにはもってこい。店は古いが、掃除も行き届いている。
藤沢名店ビル地下一階 迷路のようで探し難いかも。
藤沢市南藤沢2-1-3 ダイヤモンドビル B1F
11:00~19:30(L.O)
日曜も営業