終戦後の横浜を語る素敵な証人がまた亡くなった。2005年暮れ、彼にインタビューを申し込んだ時、会場の指定があった。
港が見えるところがいい。できればニューグランドあたりが
ということだったが、メルパルクか英一番館しか空いていなかった。
柳さんサイドから返事があった。記念の場所(県民ホール)がいいということで、英一番館に決まった。夕暮れ間近、会場に入ってきた姿は 往年のふっくらした姿に対してすっかり痩せていた。
2005年柳さんは、かつて確執のあったゴールデンカップスのメンバーともコラボし、精力的にコンサートも開始した年だった。あの尖ったレイニーウッド時代の彼では無かったが、歌へのこだわりはもちろんギターへの思いもエディ蕃に匹敵する熱い語りだった。
ずいぶん痩せられましたねと尋ねたら、来年から少し気合いをいれなくちゃいけないからね と話す目線は海を見ていた。今思えばもしかするとすでに体調は良くなかったのかも知れない。
ずいぶん痩せられましたねと尋ねたら、来年から少し気合いをいれなくちゃいけないからね と話す目線は海を見ていた。今思えばもしかするとすでに体調は良くなかったのかも知れない。
今日、彼のアルバムをランダムに聴きながら、久しぶりにハイボールを飲む。1960年代、日本で一番米軍占領地の多かった横浜(沖縄は日本国ではなかった)は、いたるところに「フェンスの向こうのアメリカ」があったという。横浜は不幸でありながら、切なく楽しかった時代であったことは違いない。
まだまだ聞きたかった。
まだまだ語って欲しかった。
