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月刊「ぺるそーな」11月号、男の身だしなみ

写真はアンジェリカ・フェラーリ・永竹さん。

ボローニャ大学という世界で一番古い大学で美学専攻、
そのとき日本人の留学生と出会って
結婚、以来数十年、五人の子供さんがいます。

彼女の手料理をご馳走になりました。
少しも乱れない姿でお料理を一人で用意、
どんなときでも美しいことが大事。

中丸 知さんの今月のコラムに通じます。

「自衛隊の隊舎内にはそこかしこに鏡がある。
トイレや洗面所はもちろんのこと、
居室、隊長室、事務室の前、階段の踊り場と、
ありとあらゆるところに備え付けの巨大な姿見がある。

『世間体を気にする自衛隊』といったような揶揄の
格好の対象としてしばしば語られるものであるが、

そもそも、きちんとした服装態度を使用
としていること自体を批判される謂われは、ない。
 
前回も本棚における『見た目の重要性』について書いたが、
自衛隊に入って学んだことのうち、
最も大切なことの一つが『見た目の重要性』ということである。

姿見で自分の服装をチェックするという習慣は
人としても非常に大切で、それのおかげで
大して高い服を着ていない現在でも

なんだかきちんとした人物に(とりあえずは)
見てもらえて、ありがたいことこの上ない。
 
自衛隊ではポイントごとに服装のチェックをする。
たとえば朝礼上に並んだとき、
全員がそろってなにがしかの号令がかかりそうだな、
という前にささっとチェック。

その後、隊長がやって来そうな気配がしたら、
『気をつけ』という号令がかかる前にもう一度チェック。

こんなことを事ある毎に繰り返しているので、
何か次の動作に移る前に服装点検をするというのが
自衛官の第二の本能のようになっている。

六年三ヶ月しか在籍しなかった私ですら、
朝礼と終礼の一日二回しか仮にやらなかったとしても
二千回以上はそれをやっていることになるのだから、
無意識でも体は動く。

しかも実際には一日何十回とそれをやる。
体が自然と動かないはずがない。
 
制服であれば帽子の角度、ネクタイの位置、
階級章や名札の位置、ポケットのファスナーやボタン、
靴の泥。

夏の略装であれば、それに加えて下着が
ワイシャツの奥から見えないか、
などなど無数のチェックポイントを瞬時に確認する。

無数のチェックポイントなど、いったいどうやって覚えるのか、
などという野暮な質問はしなくてもいい。

新隊員時代に教官や助教からちょっとした
乱れに難癖をつけられ腕立て伏せや駆け足の
ペナルティーをもらって、
体の芯にたたき込まれている。
忘れるはずがない。
 
そうなれば、屋外の場合で鏡などなくとも
鏡があるのと同じくらいの精度でそれを行える。

頭に手を乗せ帽子を直し、
首に手を当てシャツを直し、
胸に手を当て、名札を直す。

ボタンやチャックも必ず手を当てて確かめ、
ついでにメモやペン、ハンカチ、ちり紙、
身分証明書があるかどうかまで

すべて手をぽんぽんと当てながら確認する。

戦闘服や飛行服であってもこれは同じで、
皺や靴の輝きから糸くず、
ベルトやマフラーの位置まで隅々まで点検してから、

たとえば隊舎に入っていく。

傍目から見たら変な宗教儀式か、
野球のブロックサインのようにも見える。  

と、自分にとってはあまりにも当たり前のことなので、
こんなことは別段自衛隊に限ったことでもない
のだろうと思っていたのだが、

よくよく見ていると、世間ではそのような習慣は
あまりないようだ。

故に『自衛隊は世間体をすぐに気にする』
というようなことを言われるのだろうが、
気にしない方がおかしい、

と思うのはすでに自衛隊に毒されすぎているからなのだろうか。
 
退職してすぐの頃は食事の後に店を出る
ときなどによく人に訝られた。

自分の頭上から屋根がなくなった瞬間に、
頭に手をやり、次いで体中をぽんぽんとたたき始めるからだ。

『何かのおまじないですか』
と聞かれても苦笑いするしかない。」

ユーモアたっぷりのコラムですが、若い方にも
中丸さんの経験した重要な真実を
読み取っていただきたいものです。

今でもいくつかの私立女子校では
この教育がちゃんと生きているようです。

男子は、勿論、自衛隊の学校や、
陸上自衛隊高等工科学校などでも。

とにかく躾けは親と学校が子供をサンドイッチにして
両方から協力して育てていかなくては
効果がありません。

子育ての方針にお悩みのお母さんは
一度その学校を見学してください。







センス

民営化が悪かったという大合唱ですが、
六本木の地下鉄の通路を歩いていて、
このセンスのいいタイル画、

お役所仕事ではできないことです。
おちらこちらでいろんなお店があって地下道も楽しい。

警備だって安全だって原点は
村ではみんなが知恵を力を出し合ったこと。

民営化こそ本来の姿、
一度、お役所を全部なくしたら、
何をどうやって守るか

毎日の暮らしが怖いから、
本気にみんなが心配しなくてはならない。

すべてのことは、
もともと何の為だったかと、
原点、もとの場所に戻って考えれば
見えてきます。

それに使うお金も税金などといわず
みんなで考えて出して使います。

今日、新しい仕事で
一見、みんなのエゴと意見が対立して
会議が膠着したようでした。

でも「何のため、どうすればいいか」と、
純粋にもともとを考えれば答えは簡単。

みんな不幸は望まない。
自分が幸せを希望すれば人も同じ。
理性はときとして役にたたない。







月刊「ぺるそーな」11月号、黒岩祐治さんのコラムより

秋晴れの朝、カラスが目の前に飛んできて
カーカーカーと冴えた声でご挨拶。
写真にとったらちゃんとおすましの横顔。

さて月刊「ぺるそーな」11月号が発行されています。
いつもどおり http://www.hamadamakiko.com
から無料でお読みいただけます。

黒岩祐治さんはいつも報道の質を考えて戦うキャスターです。

月刊「ぺるそーな」11月号、
先の総裁選で黒岩さんの虚しい努力の模様です。

曰く、「・・・しかし、実際に5人の候補者が一同に
顔を揃えての本格的論戦が始まると流れは
変わるかもしれないと私は思っていました。

役者は決して悪くはありませんでした。
総理就任を前にして早くも国民的人気者に
躍り上がったかに見えた麻生氏。

石原ブランドだけでない、
若手論客としての存在感を示した石原氏。
防衛オタクと思いきや、・・・

老壮青に女性もいて、
総裁選を華々しく見せるためのキャスティング
としては最高でした。

5人が大型バスに乗り込んで遊説に
向かう様は、麻生一座の興行という風情でした。

この勢いでそのまま麻生政権が発足すれば、
もしかしたら自民党の思惑通りになるかもしれない……。
私自身もそう思った瞬間がありました。

ところが、視聴者の視線は終始、冷たいものでした。

9月14日、21日と二回にわたって放送したものの、
視聴率は普段の番組よりも低かったのです。

麻生氏の圧勝が早くから伝えられ、
結果の分かった出来レースという印象を与えた
ことはあったでしょう。

しかし、実際に5人の討論を仕切った
私の立場から言えば、論戦そのものが
全く面白くなかったということも影響しているように思えます。
 
彼らは実際に論戦が始まった途端、
あえて対立を避けることに全力を注ぎ始めました。
論戦というのは他との違いを強調することにより、
白熱してくるものです。

・・・石破氏の経済政策がよく分からなかったために、
私はこのマトリックスを示して、
彼の立ち位置を質問しました。

これが番組における総裁選の本格論戦の最初の質問でした。
彼はこう言いました。
『マスコミはすぐにそんな風に面白おかしく
議論しようとする。我々はそもそもみんな
同じ自民党の政治家なのであって、
そんなに政策の違いはないんだから』
 
違いがないのなら何を論議しようというのでしょうか? 
他候補の主張も政策の違いのなさを強調するものばかりでした。

『・・・あれもこれもということ。
マスコミが違いを煽っているだけ』
 
各候補はいっせいにマスコミ批判に論点をすり替えたのです。

そもそもメディアを利用しようとして躍起になっていたはずなのに、
肝心の政策論争になるとそのメディアを批判する
というのはどういうことなんでしょうか? 

・・・代表選挙をしなかった民主党と
同じことになってしまうのではないでしょうか?・・・」と。

以下ぜひ黒岩さんの「ぺるそーな」本文のご一読を。