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一本の竹に一輪の花、これが日本のおしゃれ

黒茶屋はいつ行っても
しつらえがいい。

なにげなく
一本の竹を切って、
一輪の花を活ける。

経営を一手に指揮する専務さんに
この心意気と目配りがあるから
出す料理も自然と美味しいのは当然。

日本のおしゃれのセンスはこれだ、と
いつも背筋が伸びる思い。

トイレの前の廊下には、
鮮やかに大振りの南天の枝が
大徳利(船徳利)に
赤い実をたくさんつけて活けてありました。







政治と風景

ある華僑の御曹司の話を読んだ。
父親からの希望あるいは、教育は簡単だという。

1 酒は一流の飲み手になること
2 ゴルフはシングルになること
3 政治とは深く係わらない事

これで2百年以上、名門の家系は保たれているそう。

写真は7日の東京新聞に載っていた
埼玉の神川村の寒桜と紅葉の競演

こんな美しい景色が埼玉にあったなんて
初めて観る思い。
この間も秩父のキレイな風景がのっていました。
川越も色々面白そう。

でも私はかつて政治に関わっていたころ
選挙区だった埼玉では景色の美しさに
気づいたことは一度もなかった。
殺伐とした荒野がいつまでも続いているようだった。

人がいるから必要な政治
でも政治にかかわると荒々しい人の心からひたすら逃げたくなる。

政治に関わる男女はなぜか心が荒々しい。
なぜ人の心はこんなに荒々しくトゲトゲしいのかと
感じたのは私だけかしら。

いや政治だけではない
ビジネス社会でも同じ、
心の奥に爬虫類が宿っている人がいる。

生きて死ぬだけだなと
思い返して、
一生懸命生きなくちゃと思い直す。







月刊「ぺるそーな」11月号、戦後の名作「平林たい子」

写真はパリでの出光美術館の浮世絵出品展覧会の画集。
本作りの伝統の違いがはっきり。
センスがとてもいい。
絵が手に入らなくてもこれで十分。

秋の夜長、もっぱら私はコリン・フォーブスと
ジャック・ヒギンスというイギリスの作家の本に
ふけっています。

それでも月刊「ぺるそーな」だけは
私は読まなくてはならない。

平林たい子、覚悟のある共産党員の作家
というぐらいにしか知らない。

かつて中曽根康弘氏(元総理大臣)を評して、
「油っ紙のようによくしゃべる奴」と言う。

これはいやな言い方だと思ったものです。
学生運動をした人が癖になっている
嫌らしい表現の仕方だからです。

でも月刊「ぺるそーな」で戦後の名作として
彼女の作品の番になりました。

読みにくい記事でも読まなくてはと思ったときに
皆様におすすめは、
私のホームページから「ぺるそーな」をダウンロードして
横書きに直してみるとさっと読めます。

私もまたそうして
なんとなく教養が増す思いです。
知らないでキライというのも悪いから。

平林たい子
「・・・生命。
自分の生命の向背を眞劍に考へなければならない病氣にとりつかれてから、

生命の畏(かしこ)さは地に手を突いて
伏して哭してもよいほど私の身に沁みた。

ことに長い問留置場の高窓の下にゐて、
見るものとてその窓を過ぎる日々の天氣のほかには、
自分の心の内面しかもたなかった孤獨な私は、

自分の生命力にすべての希望を託するやうな
偏倚(へんい)した激情を経験した。

誰も縛することのできない生命、
錐のやうなこの力で、復讐ために
何枚もの厚いものを徹(とほ)して行く生命。

それを鑽仰する激情が、逆に病む體の衰へが、
焦燥の鞭となって心の駒を鞭つた。

しかし、堅固な復讐の城塞と思へた
あの留置場の二畳も今は失はれた。

そしてあの中で思つたことや企てたことも
大部分色褪せてしまつた今、
自分の生命の力も天翔ける力を失つたことを
私は感じないではゐられなかつた。・・・」

ここで私も彼女の文章にはじめて触れましたが、

戦前、戦中を通じて共産主義を信じて活動した
彼女は過酷な体験をした事実を思い、
私もあらためて、権力の、国家の暴力装置に
身震いしました。