H's Road to Somewhere She Never Knows
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

ブログを変更しています

英語圏ではどのブロギングサービスが一番利用されているのかなーという疑問から、現在は違うプラットフォームを利用してブログを続けています。

アメーバを退会しようかとも思いましたが、こちらのアカウントから読者になったりチェックしているブログの更新が得られなくなるのも不都合なので、アカウントはこのままにしておくつもりです。

また、アメブロのネットワーキング力が必要になったら、こちらで更新しようと思っています。

医療過誤のお話

ブログを書くほどのことじゃないかーと思って書かないでいると、書けなくなっていきますね。
所詮大したことは言えないと思って、割り切って書くべきですね。
現段階では書き続けることに意義があるはずですね。

二人の古川さんという方に書かれた、医療過誤に関する本を読みました。

一人は、医師であり弁護士であり国会議員であって教授でもある。
言いたいのは、目線は施術する側であり、医療ミスを一方的に批判することではお仕事完了とはならない身分ということ。
なかなか知ることのできない医療の現場の現実を一般の人に伝え、実現可能な問題解決の方法を患者と一緒に
つくっていくための、具体的な提言をしている。
医者や看護師は特別な存在ではなく、疲れれば手際が悪くなったりうっかりミスをし易くなる。
それが医療過誤の原因の大きな要因の一つであることは間違いない。
日本においては、医療従事者への過度の崇拝志向のようなものが根強い。一般人には神聖不可侵な領域かのよう。
しかし、この古川さんは、インフォームドデシジョンという考え方が患者に浸透することで、医師と患者が相互に
関わっていく医療、患者が主導権を握る治療が実現できると考えている。
なぜならもう一つの医療過誤訴訟で多いのが、医師の説明不足に総称される選択した医療行為による予期しなかった
結果に患者側が納得できず、被害者を名乗るケースであるからだ。
これに対して上記のような患者参加型医療をとれば、患者の医療行為に対する納得性を高めることができ、
ひねくれた言い方をすれば医療行為に対する責任を分散あるいは患者が引き受けることになり、
これまでのような医療過誤訴訟を減らす解決策になる。
技術の進歩や技術使用者の多種の能力に限界がある以上、患者満足を充実させることが、ある意味根本的な
解決になる可能性は大いにあると言えそうだ。

もう一人の古川さんは新聞記者。2000年代初頭に立て続けに大きな医療ミスが報道された時期の著書。
市民の側の憤りを代弁し、医療の世界という閉鎖的で、人の命を預かっているにしては緊張感の削がれた現場
の様子を告発するような形で報告している。
こちらの著書には、こちらの著書の役割があり、広く世の中に医療過誤問題を認知してもらうであるということに主眼があるがゆえ、かなり印象的な与える言葉遣いで書かれている。

世の中を変えるにはどちらの方法も必要であり(もちろんこの2つだけがアプローチのやり方では無い、むしろ
医療従事者に対して、患者との相互関係を持つことを励行していくことを浸透させられるかが一番の障害)、
前の古川さんが2005年の執筆当時、これからの10年でどこまで取り組めるかが鍵と書いていたように、
これから高齢社会化が益々進む中で、より多くの市民が自分がどのような医療にどのように関わっていくのかを
含めた、自分の生き方を能動的に考えなくてはいけない時期なのだと教えられた。

勉強会をして①

お題その1
究極の客志向とは何か1

「絆」マーケティングという言葉に代表される現象や、口コミの台頭という社会現象が生じてきた理由は、
まず、人が生身の人を介さないコミュニケーションに飽きた・疑問を持った・満足できなくなった、ということと、
もう一つ、人が自分の得る物や情報について、自分の個性に準じたものを選択するようになった、ということがあると思う。

一点目について、断定的な因果関係を述べることは避けるとしても、人と人が繋がることに
より強く温かみが感じられるとすれば、これまで高速的に進んできた生活のあらゆる局面での電子化や
自動制御化というものと逆行、あるいは平行する形で、人と人とのコミュニケーションが見直されるに違いない。

二点目について、物的豊かさから精神的/心的豊かさの充足に重きが置かれるようになった90年代以降、
商品の流通は量から質/種類について大きさの比重が移ってきた。現代は流通については安定期であり
その中でも個人が自分のアイデンティティとしての物の持ち方を探る時代になっていると言われて久しい。
そこにおいて、物に対する評価は人それぞれ十人十色状態となり、ついてはこれまで一般的であった
業界関係者や、マスメディアによる画一的な評価や紹介にあまり多くの人が魅力を感じるとは限らなくなった。

私が結論に窮しているのが、果たして本当人々あるいは客というのは、人とつながることを求めて、つまり
一点目の観点についてインセンティブを持って、購買行動やその他の行動を起こしているのか、あるいは
これまでの時流の代表として、個人ベースでのニーズにあったものにアトラクトされる購買その他の行動なのか
ということである。

そもそも一点目というのは、3.11東日本大震災を皮切りに日本における時流の変化に特化した考え方として
始まった類のものである。確かにウェディング業界等ではその顕著な例が取りざたされたのは記憶に新しい。
筆者としては、3.11に関してその心的影響というのは同じ日本国土上といえどもかなり差があったと感じている。
つまり、あの災害及びその余波を受けて、震災後半年以上が経った今でもそれを記憶にとどめて、あるいは
潜在的記憶であっても、それが具体的行動に反映される人というのは地域によっては多くないと断言できるからである。

個人的には、産業界や経済界といった、エネルギーに関連した分野については、東京電力管内においては
従来の構造を変えざるを得ないエネルギー不足に陥ったため、それが購買行動を含めた生活に影響したと言える。
その方が、社会構造全体へのインパクトが大きかったと思うし、事実産業界や家庭といったセクターで
地球温暖化問題への10年弱のこれまでの取り組みの中で不可能と言われてきた、消費エネルギー削減が
いとも迅速に計画、断行されたことも非常に大きな意義のある、節目となった災害であった。

しかし、間接的な影響しか受けない消費者層に対して、人との繋がりをインセンティブにしてどこまでの影響
が出たのかは、自分が購買者として、また販売者として、言うほど感じられていないのが現状である。

人との繋がりについても、もう少し子細に分解する必要がありそうなので、続きはまた後日。

内定式

今年は10月一日が土曜日と言うことで、世間的には前倒ししての30日開催と週明けの3日開催に分かれた内定式。

私の会社は前者で、東京の採用の内定者のみでしたが皆で証書を受け取りーの、
執行役員の面々とお話しーの、お忙しい社員の方々の前で自己紹介しーの、という感じで滞りなく式が執り行われました。

自己紹介の場面でも「力相応一番」な自己紹介が奨励されたのは面白いなぁと思いましたね。
人材開発長の心遣いかな、と思いましたが。
自己紹介で意識したのは、我々は確かに社員として一人で稼げる人間にならなければいけないのだけど、
稼げないうちからこの会社に所属できるのは、ここにいる先輩方のお陰なので、ご要りようの際は参上し、
お手伝いします、というスタンスを伝えること。
多分これは私が飲食のバイト時代に叩き込まれた考え方のような気がします。あとは家庭の教え。
自分がやりたい事言うのも大事だけど、人は人に必要とされてナンボってところもある。
特に自分が方向性を持って、それで人を鼓舞して、引っぱる事ができるほどのドライブを持っていないうちは。

後で立食の際に、初めて面識を持った執行役員の方に「自己紹介インパクトあったでー」とおっしゃって頂けたのは幸い。
その方の話で印象的だったのは、元気なオーラが大事という話。
クライアント、支援先に赴いた時、何も無くても元気を与えられる、未来は明るいと思わせることができるのは、
大変価値のある能力だそう。

いつでも自分がワクワクできる新しい発見や出会いに心を触れさせ続けることで、元気オーラは枯渇しません。
そういう感度には自信があるなぁ音譜
ただ問題は飽きっぽいことですね。すぐに心が慣れてしまう。これは大病ですね。
入社までに治癒方法を考えます。

自己分析ー就活後でも必要なり

瞬発力はある けど
持続力はない

情熱はある けど
執着はない

羨望はある けど
自信はない

下手に知ってる、とか首突っ込んだことがある、 より
不得意って分かってること、知らないこと、に全力投球して伸びたい

短期集中型

土壇場にならないと力出せない

繊細っていうより
荒くて感覚的

顔に出る

石橋を叩いて渡る、というより
石橋を走って渡っちゃう

私にできるかなぁ、というより
私にできないことってない


ちなみにトップ画を変更したのは、
単なる気分転換ですチューリップ紫

WE TRY! 二次試験

アップしておきます、ワインエキスパートのテイスティング試験が行われた模様です。


一次試験からほぼ一月が経ち、同じ会場グランドプリンスホテル新高輪で、3種呼称資格同時に二次試験。

昨年度から大幅に試験内容が変更されまして、エキスパートは口頭試問という名の放送テストが無くなり、
テイスティングが4種から6種へ。

ふぬ。。

最近はめっきりワイン飲みながらのお仕事から遠ざかっているので、
(あ、飲食店でワインをサーブするお店は、品質チェックとしても利き酒は常時行いますし、
場合によってはお客様に注文されたボトルで、澱(おり)の加減で残した分を頂くこともあります)
飲むのは自分で買ってきたときか外で食事をするときだけ。
母はケチだから彼女の仕入れてきたワインには指一本触れさせません・・・\(*`∧´)/キー

ワインのテストって言って、昨年度まではうち1種が、今年度はうち2種がそれ以外の酒類です。
よって、普段飲みつけないターイヘンアルコール度数の高いお酒にも挑戦しておく必要がありました。
お陰でグラッパとかコニャックとかアルマニャックとか、だんだん美味しさが分かるようになってきました。

ワインでも、変わり種が出るかも!っとAOCマディランのタナ100%とか、
コートロティ元祖のシラー×ヴィオニエとか、まぁかこつけて色々飲む理由にしてただけなんですけどね。

だがだがしかし、試験は甘くなかったっす。ひっかかったのはテンプラニーニョワイン
やられつちまつたかなしみは・・・

アーンド

VODKAメラメラメラメラ

ウォッカって質のいいのは、全然クセがなくてなめらかなんですけど、学生のガブ呑み仕様の臭いに慣れた鼻は
そのことをすっかり忘れてウォッカをチョイスできず。。。
しかも赤なんてピノが選択肢に無いという驚愕の展開・・・1杯目は完全にピノ狙いだったー

結局6種類中3種類を当てて試合終了。
品種だけでなく外観~香り~味わいの各観点につき5~10項目くらいを選択していくので、
テイスティング能力について総合的に判断され合否が確定します。

まぁ、品種だけでなく国名も当てなきゃなんですけどね。書いてると思いだしてやるせなくなるのでこの辺で・・・

来年は二次の再試験受けてる時間なんてなさそーだなーDASH!

若者と年者(トシモノ)

結論から言うと、「若いって大事ー!」というお話。

今の職場は皆さんほとんど歳も経験も上。
そりゃもちろんワタシが新入社員の年次ですから、当たり前なんですが。

それで、やっぱり上がいて、その人たちの足手まといでしかない毎日を過ごしていたいり、
少ない経験から業務上の提案とかしても潰されまくったり白い目で見られたりして過ごしていたりするうち、
やっぱなんもできないんだなー、という、明らかな落胆をまず感じ、
そのうち、それが常態になってくると何のショックもなく、日々淡々と過ごすようになるんです。

何も新しいことをせず、問題の少ないように、負担の少ないようにやっていく。
変化をさせるのは上からどうしてもやれって言われた時だけで、
やればやったである程度素敵にやり遂げられるんだけど、
それは経験があるからね、
でも、積極的に変化のクオリティーを上げようとはしない。


そんな感じなんです。
ところがです、やっぱり若い人ってなんかやりたいと思ってるし、できると思ってるんですね。
それが、若い人同士の線として繋がっていかないのが残念なんです。
点としては存在してるんです。
衝撃でした、最初休憩室で他の若者と色々プライベートの話とか、業務の話とかした時は。
それで、多分それを聞いてたのかわかんないけど、他の人からも最近声かけられて、
どんどんファッションのこと、業界のこと、深い話になって。
その人は会社外で勉強会にも参加してるくらい、自分の業界について見識を広げようとしているし。

確かに、ファッションやアパレルって私はノータッチの分野だったけど、勉強するいい機会。
ブランディングとか、マーケティングとか、絶対他の小売業に通じる。


齢を重ねた人の経験や、過ごしてきた歴史の中のある時代についての見聞は非常に貴重で、
若者には得ようにも簡単には得られないもので、教えを請う必要がある。
そういったものが、効率的に生きるためではなくて、深みをもって生きるのには必要。
しかも、この世の中、一定数以上は年者の方々で、その人たちを満足させられるというのも、
もちろん大切。
若い人は、若いというだけで一律、壁を持たない考え方ができるし、そういう行動もできる。
若いっていうのは、中間管理職みたいな事をやらなきゃいけない役割を与えられるまで、とも言えるかも。
上に行きたいって思うけど、それはある意味自由とか主体性に歯止めをかけるってことだ。

とりあえず最近感じたこと。
期待に応えていかにゃならんー

consciousに生きる@とあるboutique winery

先週の旅行中にワイナリーを訪れました。

ちなみに旅行先は日本一のワイン生産量を誇る山梨、ではありませんでした。

旅初日のランチでご当地のワインを、と飲んだリースリングの美味しさに醸造元を調べてみたらすぐ近く!
翌日訪れようとしたところ、カフェなど一部が休業でああるとの不運な事態。
すぐさま確認の電話をかけると、オーナーを名乗る男性が軽い調子で今どこだ、などとしゃべってくる。
聞くと、売店はあけてるし、自分が色々と話してあげるよ、とのことで、来れば良いと勧められるがままに
行きついたワイナリーだった。


着いてから昼を挟んで2時間半程話していた内容はワインの話や作り手としてワインに接する際の考え方から、
他の種や生命と生きること、人間の身勝手さ、共存や資源循環という、生き方を問うような話にも及んだ。
小学生の社会科見学のような教育現場から、都内からワイン好きが高じて来園するマダム達、
それから有名ホテルのソムリエ一団など、様々な人を相手に青空教室的講義をぶっているんだとか。
自分が食べているもの、飲んでいるものについて何も知らず、ぬけぬけと口だけ達者に生きている人間
には容赦がない、といった感じである。

オーナーは気のいいおじさんという感じで、中背でスレンダー、よく日に焼けた肌でとにかくよく喋る。
元々ゼネコンで建築士として働いていた経験と技術を生かし、ワイナリーのブドウ畑の斜面から、
セラー、テイスティングや販売を行う建物まで、全体を上手く設計し電線を視界から廃するなど、
理想とするカリフォルニアのブティックワイナリーを徹底的に再現したという。


ワイン栽培家として彼は、ワインメーキングにおいてもインターンシップ制度の拡充を図るべく、
無給で、しかしワインの勉強と衣食住は保障された形で、意志のある勉強したい人間を受け入れている。
海外のワイン醸造科のある大学では、住み込みで1か月~の長期インターンをワイナリーで行うことは
一般的だが、日本で醸造科をおいているどの大学でもインターンとはあっても名ばかりだという。
インターンに参加するような若い衆というのは、醸造科を出ても働き口が無くあぶれてしまうのが現在の問題。
だから多くが海外に出る。日本にはワイナリーが圧倒的に少ない。それは一つに農地法の影響で、
始めたいという思いだけでは、農業をつまりブドウ栽培を始められないことに問題がある。
課題はいかにワイナリーを全国に増やすか、ということ。
ブドウ栽培の南限は熊本/九州だそうだ。沖縄、台湾までいくとさすがに厳しいそう。
北海道も今面白いという。


他にも牛の授精の話や、コーヒー牛乳の話、野生動物の塩場の話など、いっろんな話を聞いた。
もしこれを読んで訪ねてみたいと思った方は、是非ご一報ください。

まだ栽培したブドウを使ってワインをボトリングし始めてから7年しか経っていないということで、
30~40年で樹の特徴がしっかりしてきて、100年~もつと言われるブドウという植物にとっては若い若い段階。
ワイナリー自身も、今はやるべきことをやって、時が来るのを待つというスタンスであった。
そして、オーナーは豪語する「俺が死ぬときには、そろそろまともな物ができてるよ」と。

廃棄物処理業+飲食業+旅館業

旅行先で見たビジネスモデルだった。


古民家を移築・保存した集落に宿泊棟や温泉棟、江戸時代からの骨董品の類を展示する棟を設置。
客室数は26室と極めて少ない。
最も近いJRの駅からまだ数十キロ離れ、周辺にはいかなる商業施設も無い。
あらゆる娯楽はその集落施設の中で完結するしかない為、様々なことをオファーしている。

従業員はすぐ隣に立つ社員寮2つに分かれて暮らし、業務を行っているようである。
従業員は様々な年齢層、出身も多様そうであった。

調べてみると、旅館業以外にも都内にレストランを複数展開しており、
それ以前に元々は廃棄物処理業から商売を始めたそうだ。
時代の要請に応じてか、自己の得意とする分野を「資源循環型社会」や「持続可能」というキーワードに
当てはめて事業を展開していったようである。
その路線で、最近は不揃いの果物や野菜の栽培を行い、宿泊施設や近隣で販売も行っているようである。

また、例えばその施設で提供しているスチール缶入り飲料の原料はリサイクル原料である鉄を使っている。
それが同社が回収したものを直接加工し直しているかは定かではないが、その知識やノウハウは
自社の取り組みから得たものであると考えられる。
自社製品としてしまった方がコストも下げられる。本当に大盤振る舞いで提供される。

一般/産業廃棄物処理業は全国的に売り上げの落ち込みが起こっているとリポートされている。
それ以外にも法整備や他業種参入など変化の多い業界のようだ。
その中で、同社は商圏としては北は青森から主に東北関東中部を圏内に収めていることから
(同社の本社機能及び他の業務施設は埼玉、群馬、東京)かなり広く、また業種としても廃棄物処理から
広げるという工夫をしている。
同社の取り組みで面白いと思ったのは、宿泊業や飲食業という接客業に通ずる感覚で廃棄物回収や処理を
行っているということだ。

「廃棄物といえどもお客様からお預かりした大切な商品です」

これは同社が掲げるスローガン。価格競争に陥りがちな同業種においてそれ以外の部分でしっかりと
アピールしていると感じた。
また、ホームページなど見ても分かるように環境配慮、環境保護、環境循環、環境貢献といった言葉を
積極的に利用することで上手くブランディングを時代に合わせてきているという印象を受ける。

収益性としてどれくらいなのかは分からないが、こういったビジネスモデルが成功しているのだとすれば、
それぞれのセクターがお客さんを喜ばせ、環境や社会というより大きな次元に対してもプラスの影響を出している
のは非常に優良なモデルに違いない。

面白い発見ができた良い旅だった。
もう1つの大きな発見については、別に書く。

男の美学 ロールモデル

『官僚たちの夏』城山三郎
を読んだ。

山崎豊子に代表されるような、経済産業政界の人物や事件について
広く世に知られている見方とは異なる視点から描いていたり、
特定の人物の目線から定点的に解釈し直し描いていたりするタイプの小説である。

官僚たちの夏の風越や片山、
白い巨塔の財前に里見、
時に対照的な人物と正面からぶつかり合ったり、すかされたり、
親分子分という風に慕い慕われ合ったり、
多様な考え方や信念、信条を持った男たちが出てきては彼らなりの生きざまを貫く。

風越は「人事の風越」と呼ばれるほど、通産省内の人間、人材に興味を持ち
本来の役職を超えて、生来の「無心臓」で「雑」な体で人事異動について予想をつけるのが習慣。

彼と対照的なのが片山であり、私としては最後までしっかりと人物像を描けなかったが、
片山について間違えなく言えるのは、人間らしい文化的な生き方を何より大切にしようとしたことだ。

風越はむしろひたすら走り続ける、努力し続ける、素直に燃えることができる人間に信頼を置いた。
ある意味、天下を背負う官僚たるものワーカホリックぐらい働くのが当然という考えだ。
そして重用し、期待をかけ、期待をかけられたものは、それに応え「死」が待っていた。

「国際派」と言われる片山や牧、玉木は状況に抗わず、あるいは少なくとも本音のところを表に出さず、
他者に対する興味も敵か味方か、要か不要かの計算の上で必要であればそつなく関係を築く。
片山らとは一線を画した描かれ方をしており、当時の”舶来物”一般へのイメージを投影しているのか、
その辺りは定かではないが、著者が彼らのような生き方や働き方に未来を見ていた印象は受ける。

初出が1975年であったことを考えると、こうした二項対立は最近のゆとりやロハスの登場が初めてではなく、
高度経済成長の時代から、ある意味日本的でない幸せの定義のようなものとして存在したことに驚きを覚えた。

風越の人物像に戻る。
風越というのは非常に分かり易い人間である気がする。
全部手の内を明かして、孤独に頓着せずに居られ、その雑で豪快な人間性に皆が惹かれる。
いや、皆でなく、そういういかにもいきり立った、暑苦しさが好きな人間がついて行きたくなる人物。

彼は果たして本当に人間に興味があったのであろうか。
公の利益になるよう通産省が動くための人事、が彼の目指す所であった。私利の絡んだ人事は行わない。
それでも彼の人間への興味は非常に浅薄であったと感じる。
というより、自分の求める人物像をかき集めるために、大声で自分の好みを宣伝しているような、
どこか一方的で押し付けのような感がある。

信念を貫くというのは、そういうことなのだろうか。
人のためという大義名分の下、我を主張し、我を通す。

もう一点、これらの小説は様々なロールモデルを示してくれる。
男のロールモデルである。
もちろん小説の毛色であり、時代背景であり、題材となった場所、場面というものがある。
男というのが元来、社会に出て、一人で立ち、何かを成し遂げることを求められる存在であったということもある。
そして今、それはこの国の女性にもかなり多く当てはまる社会状況になってきたように思われる。

私のロールモデルに今一番近いのは、オーストラリア人の10歳ほど年の離れた友人だろう。
人生の様々な局面におけるデシンジョンメイキングが、非常に素敵だと感じる。
柔軟であり、いつでも楽しんでいる。そして周りを元気に、幸せにするチョイスができる人。
とにかく柔軟というのが美しい。

話が脱線したが、女性としての生き方、いくつかの型を知っておくのは悪くないと思う。
そんな本を探したり、願わくば直接会って話を聞いたりするのは良いかもしれない。
入社までの宿題。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>