いつか…ユデタマゴ -14ページ目


今さらですけど・・・

ライオンズのドラフトは上手くいったのか…な…?
取りあえず、捕手はいなかったですね

(ホッ)


今年もTBSの特番にライオンズの指名選手がいました
スタジオのヒトビトはさておき、思いくそ泣かせてもらい…

勿論彼だけでなく全員応援しますよー そふと




そして今日、秋キャンプメンバーの発表でしたね!

ちゃんと居たわ!
♯64さん…

(るん!)

第2弾戦力外の発表には無縁ですよね?ね?ね?!


さて…
特にトピックスも無く毎日過ごしております今日この頃

秋期練習見学にも行かずじまいです

(そして今夜のスポニュー各種での
明日からの日シリ展望などをギリリしつつ羨ましがってます)



野球も終わったことだしー、
平日TV観るのはアメフトしか無いぞー


暇だ・・・

暇だと飲む

(暇じゃなくても飲むね、テヘ )


大好きな ZAQゥ~を虐待しながら(^^)

飲み過ぎましたわ

一旦寝落ちしてた
(ブルッと目が覚めて) 復活!なう…サムッ

最近、アートっぽい記事しか書いてないから絞り出したのに・・・

ショボくてスンマヘン 苦笑汗












高野山・・・
平安時代に弘法大師空海が開いた、真言密教の総本山です
この展覧会は高野山が来年2015年に開創1200を迎えることを記念して、高野山に伝わる至宝の数々を公開するものです

特に、大仏師運慶による国宝・八大童子像(はちだいどうじぞう) を1度に観られるということは高野山でも難しいので、ワックワクで初日に出掛けてきました


アップこの方もお誘いくださってますしー


(ちなみに先週の土曜日の話…今日は金曜日だって?え?キコエナイ)


~ * ~ * ~


第1章  大師の生涯と高野山


3つの章にわかれてはいるものの、サントリー美術館の構造も関係しているのか展示は前後しています


入室するとまずドーーン!


《弘法大師座像 (萬日大師)》(16~17世紀)

別名、萬日大師となっている逸話について説明が有りました
ある行者がこの像に30年(約1万日) 詣でたところ、大師が夢に現れて「萬日の功、真実なり」と言って東方を向いたとのこと  
夢から覚めると、大師像が東方を向いていた…」





国宝《 聾瞽指帰(ろうごしいき)》空海筆   8~9世紀   (画像は上巻、下巻は22日から27日まで)


題名は、無知蒙昧な者が従うべき教えの意味で、空海24才最早期唯一の真跡だそうです

内容は、出家の意思を示す決意表明であり、儒教や道教に対する仏教の優越性を説いています

後に「三筆」と言われた空海です、王羲之(古代中国の書家) からも影響ということなので、じっくりと「ながめる」・・
勿論読めませんが、漢字なので意味を想像して見るのが愉しいです…
筆致は若い力で書き進んだ奔放なものを感じました



第2章  高野山の密教指導


深奥な密教の教えには、経典だけでなく絵画・尊像なども必要でした
鮮やかだったり恐ろしい形相だったりの仏像や曼荼羅など、空海が唐よりもたらした密教美術は高野山にも沢山の名宝を残しました




国宝《五大力菩薩像のうち金剛吼(こんごうく)菩薩像》10~11世紀

五大力菩薩像は全部で5幅ですが、焼失により現存するものは3幅で、1幅づつ展示がえされます

菩薩ですが、明王のように憤怒の表情をしているのは鎮護国家を祈る会の本尊だからとのこと

第2展示室での展示でしたが、階段を降りる途中から目に入るその迫力に圧倒されました…
なにせ3メートル位は有りそうな大きなお軸なので、火焔を背負いながらこちらを見下ろされると理屈抜きでピッ!となりますよ…



 


国宝《八大童子像》
運慶 (12世紀の六躯)、不詳 (14世紀の二躯)

ハイライトは展示の一番最後、第3展示室にズラッとクラッカー

不動明王に仕える身ですので、展示もやはり中心に《不動明王坐像》(12世紀) 、そして左右に4躯づつ…

ところでこの不動明王坐像は平安時代の作ですが、衣装が優美で憤怒相ながらどこか優しげな表情をしていました

さて、「 矜羯羅(こんがら)童子 」と「 制多迦(せいたか)童子 」は、不動明王の御付きとして良く一緒に安置されていて様々に目にします

今回八躯をまとめて観られたわけですが、一つ一つに個性があり、その役割に徹した表現が見事だなぁ…と見入ってしまいました
運慶とその工房作ということで、品が有るのかな
私は「烏倶婆ガ(うぐばが)童子」の迫力が良かった・・(控えめに…ムニャムニャ )

(八大童子についての詳細は、 コチラをご参照ください)




第3章  多様な信仰と宝物


高野山は、戦乱を避けた多くの宝物が存在するため「山の正倉院」と呼ばれます





国宝《澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃(さわちどりらでんまきえこからびつ)》12世紀

角と縁線の無い優美な造形、情緒溢れる自然景観、どれをとっても日本漆芸史に残る逸品

蒔絵で杜若や千鳥が描かれています
螺鈿も効果的に使われていて、四方八方どこから見ても美しい唐匱でした






重要文化財《四天王立像のうち広目天像》快慶作    12~13世紀


迫力ある四天王像が有りました
広目天に快慶の銘があるので、四躯とも快慶の工房作とされています

南都焼き討ちにあった東大寺大仏殿の四天王 (高さ3M) 制作のための雛型ではないかということです


~ * ~ * ~


童子が見たくて出掛けましたが、他にも確かに「名宝」だ~、という素晴らしい思いを持てました

訪ねたくても、おいそれとはかなわないので、仏像を仏像として観られなくても・・・












この秋一番楽しみにしていたのは、菱田春草展と、こちらのウフィツィ (一番の定義とはあせる)…
あ、仏像関係は別格です (は?)



ウフィツィ美術館展  ―黄金のルネサンス  ボッティチェリからブロンヅィーノまで】



ウフィツィ美術館は、イタリア・ルネサンス期の中心都市であり、「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェにあります

( フィレンツェ…あー、行きたい~フライト3時間くらいならなぁ(→腰痛 )

所蔵品が何点か来日したことは有るけど、美術館展としては日本で初めてなのです
(実はウフィツィ美だけでなく、フィレンツェの他の美術館からも数点展示 )

アレもコレも本物を初めて観られるうえ


つーことで、銀杏のカホリがちょっとアレですが、賑わう上野公園を横切りトビカンへ …
張り切って初日の土曜日に観に行きました ハート



珍しく音声ガイドを借りる・・・

従来のプッシュ式ではなく、太いペン型機にヘッドホンが付いているものでした
ガイド用のカラーシートに掲載された聞きたい作品の写真にペン先を当てれば音声が聴けます

4章に分けられた作品数は75点、そのうち3点が大きなタピスリーで残りが絵画でした



◆第1章   大工房時代のフィレンツェ


15世紀のフィレンツェの絵画芸術は、パトロンの存在と工房制度の充実により発展しました
親方を中心とし大勢の徒弟と協同制作者とで様々な注文を受けていたのです



《悲しみの聖母》ペルジーノと工房  1500年頃

遠くからも、独立ガラスケースからじいっと見られている気がした作品
こちらは油彩ですが、この章の殆どがテンペラ画なので、まざまざと当時の美しさを体感できます



《ロッジャの聖母》サンドロ・ボッティチェリ  1466-67年頃 

初期のボッティチェリ作品ですが、後世の修復でもともとの風合いが損なわれているとの説明が…(^^;

ロッジャというのは開廊のことです
師匠のフィリッピーノ・リッピの新しい描き方 (建物を背景に聖母子と天使を配する ) に影響された聖母子像は親愛に満ちていますが、聖母マリアの表情は物憂げです
その他の彼の作品でも、マリアはどことなく憂いを帯びているように感じました

あ、これも油彩でした…
オリジナルの額縁と共に伝わる大変貴重な作品だとか

下方の基壇には「おめでとう、恵まれたかた」という、受胎告知の際にガプリエルが告げた言葉がラテン語で書かれています
上部のルネッタと言われる半円形の部分には聖霊を表す鳩が正面向いています

まだ教会の祭壇画のような大きな仕事に恵まれなかったボッティチェリは、このような個人礼拝用の小型の聖母子像などを請け負っていたそうです
実際目にすると大変重厚で、個人といっても財力を感じますよ…




《聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル》ボッティチェリの周辺    1485年以後

イエスの傍らに毛皮を纏った洗礼者聖ヨハネ、後ろにミカエル、欄干に持たれているのが、純潔の象徴である百合をもつガブリエルです


16世紀にかけて、フィレンツェで好まれたトンドと呼ばれる円形の絵画で、ボッティチェリもいくつか手掛けているとか
この時期のボッティチェリはメディチ家をパトロンとして、第一線の画家として活躍していました



◆第2章  激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来


15世紀のフィレンツェの芸術文化はメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニフィコの時代に黄金時代を迎えました  
彼はボッティチェリら芸術家や文学家と交流し、彫刻や古いカメオなどのコレクションを披露するなど、気前よく華麗なパトロネージ(芸術・文化活動への精神的経済的援助) を展開しました

しかし、彼亡き後の外交政策の失敗によりメディチ家はフィレンツェを追放、サン・マルコ寺院の聖ドメニコ会修道士だったサヴォナローラが、神権政治を行います  
華美な芸術作品や俗悪と見なされた書籍などが焼かれ、ボッティチェリも影響を受けて優麗な作風から強い宗教感情が迸る作風へとかわってしまいます

この窮屈な市民生活は次第に反感を呼び、更に教皇の怒りを買い、サヴォナローラは処刑されました



「パラスとケンラウロス」ボッティチェリ  1490-85年頃

これは宗教画というより、神話のようです  
右の女性は学問の神パラス (ミネルウァとも言う) で、肉欲と暴力を象徴するケンタウロスの髪を掴んでいます
理性が獣性を統制するという意味が表されているそうですが、パラスの表情は決して強気でもなく憂いを湛えています




《東方三博士の礼拝》ボッティチェリ  1490-1500年

聖家族の前にイエスの降誕を祝う三博士と民衆が集っていますが、それだけでなく遠くから怒濤のように集まる人々がこれでもかと描き込まれています…少し怖いくらいです

サヴォナローラの洗礼を受けた後の作品で、前述したように、それまでの優美さを失い激しい宗教感情のみなぎる画風です



◆第3章  「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生


16世紀のフィレンツェは新しい曲面を迎えます。その主人公となる、15世紀末にフィレンツェに生まれた芸術家達はサヴォナローラ時代の厳格な神権政治を経験した後、ソデリーニによる開放的な共和制のなかで絵画技法を研き自由な感情を育みました。
彼らの青年時代は、ダヴィンチ・ラファエロ・ミケランジェロという偉大な芸術家がフィレンツェで活躍した時期に重なります。
マニエラ・モデルナ(新時代様式) とは、画一的に踏襲するのではなく、それを凌駕するほどの表現へと昇華し、優美で卓越した造形芸術を追求する新しい表現法といえます。
(説明より、大体です汗)



《ピエタのキリスト》アンドレア・デル・サルト  1525年頃

墓地とおぼしき場所で降下後のイエスが静かに腰を掛けています
これは聖堂のフレスコ画ですが、その他、宗教教義の議論の影響で、死せるキリストを描いた絵が求められたとか…(なぜかは聞かないで下さいよー)

ピエタですが、聖母マリアは描かれていません…
肉体描写の豊かさが良いですね (え?)

アンドレア・デル・サルトは、ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロがミラノやローマにいった後、フィレンツェの最も重要な画家として活躍していました

 


◆第4章  フィレンツェ美術とメディチ家


メディチ家はフィレンツェからの追放と復帰を繰り返していましたが、コジモ1世が1569年にトスカーナ大公になると、君主として大規模なパトロネージを展開します  
巨大な総合庁舎として、ウフィツィ (オフィスの意) をジョルジョ・ヴァザーリに建設させ、ブロンヅィーノを宮廷画家として重用しました

後継者のフランチェスコ1世により、ウフィツィの最上階が改築され、現在のウフィツィ美術館となります




《公共の福祉の寓意》ブロンヅィーノ  1565-70年 

寓意とは、擬人像や象徴的な意味をもつモチーフを組み合わせて、思想や概念を表現することです

この作品では、中央の「幸福」、左端の男女二つの顔を持つ「賢明」、背中を見せる老人の「時」、天秤を持つ「正義」、その他狂気や怒りといった擬人像も描かれてます (もっといますが勉強不足です汗)

メディチ家およびイタリアフィレンツェの幸福を表わす寓意画で、 40 × 30 の小品です  
精緻な人体描写に見とれます~


 ~ *  ~ * ~ * ~


アレもhコレもh…とはいかなかったけど、強調したいところをハッキリ感じられた構成でした

今週末までのオルセー展の、マネからマネへじゃないけど、
メディチに始まりメディチに終わる…という感想…

あー、行きたい~ 飛行機






火曜日に出掛けたというのに、記事完了まで時間の掛かること…
夜に行われる飲酒儀式が元凶と思われます
今日観てきたものは来週一杯予定かなー(ヲイ)

では、春草展の続きです



◆4章 「落葉」、「黒き猫」へ:遠近を描かない 1908-1911年


この回顧展の呼び物のひとつが、「落葉」全作品展示ではないでしょうか

未完の「落葉」こそ期間相違でしたが、 滋賀・永青の重文・福井・茨城の落葉を鑑賞できました  
しかも、いっぺんに目に入れられる会場構成で…(すばらしーのすけ)


ただですね・・・
そのようにじっくり見比べられるってのに、みんな良くてですね…
特に、構図が殆ど同じ重要文化財と、福井県美のものは (10/7~行った日からの展示) は、
俯瞰の違い、落葉の量と低木の枯れ方の違いなどを確認しただけという…ナハハ


すっかり秋の気分になったら、ほっこりゾーンへ!


The・NEKO ラブラブ



「白き猫」1901年  (前期展示)



「春日」1902年



「黒猫」1910年



「黒き猫」1910年  (六曲一双屏風)



「椿に猫」1908―09年



「柿に猫」1910年



「猫に烏」1910―11年 (二曲一双屏風・一部)


ずらずらずらっとね !

シュッとした白き猫は、中国風です  
説明によると、北宗の徽宗 (中国・北宗の8代皇帝で、自身も素晴らしい書画を残している)の作と言われる猫図に着想を得ているそうです

ここでも徽宗…
夏の故宮博物院展で色々感動させて貰った皇帝です
この秋、国宝の桃鳩図を観るつもりです
あー、話が飛んでもーた汗


猫の絵だけでも、背景や樹木、輪郭についての相違など、短い生涯のなかでも少しづつ変化が見られます

とにかく、猫好きにはタマランのです




キャプションには制作時の満年齢が記されていました  
珍しいなと思いましたが、最後の方は晩年となっていて胸がつまります


「梅に雀」(1911年3月) 、最後に描いた軸物です  
病で殆ど絵筆を執れない状態の中の制作で、梅枝も震えて見えます
しかし、雀の可愛らしさ可憐さは同じ…


この後春草は、回復することなく誕生日直前にこの世を去りました
会場には、縁側で赤ちゃんを抱く春草の写真が……
優しげなイケメンパパさんでした





 










見つめあえたら、
きっと運命。


近代日本画史上、最も有名な黒猫からの誘惑に負けて、ノコノコと会いに・・・

とかいって、今年始めからずっと楽しみにしていたんですけどね

しかも、後期展示の君↑に会えないのはわかっていて、今週行ったんですけどね


今週末のアート番組で紹介予定なので、混む前に取り合えず前期展示を観に行きました






菱田春草  (1874―1911)・・・


わずか36才で早世した近代日本画を代表する画家です
明治期、横山大観や下村観山達と共に岡倉天心のもとで日本画の発展に尽力しました
15年ほどの画業の中で行った様々な絵画上の実験が、後の日本画を変えたと言われています



この展覧会は、総計108点の作品からなる、彼の生誕140年の大回顧展です

展示は制作年代順に4章立ての構成でしたが、10/13までの前期と10/15からの後期で展示がえが多くあります




◆1章 日本画家へ:「考え」を描く 1890-1897年


「西洋画で言へば此によい景色があるとすれば其の色を取り光線を其のまゝに出さうとする、日本画では(中略) 画家自身の考へを画くのだらうと思ふ。」

西洋画の写実と対置する日本画の特性として、この「考え」をとらえていたそうです



「水鏡」1897年10月  (前期展示)

作品発表後の雑誌上の談話で春草は、「天女の衰相」を描いたと言うことを言っているそうです  
美しい天女もやがて衰えるという考えを、姿を映す水を濁らせ、色の移り変わりがある紫陽花を添えて、更に紫陽花は天女を暗示するために衣装に同じ色彩を用いています

そういった深い思いを知らなくても、天女の無垢な表情や淡くニュアンスのあるパステル調の色彩、全体を包む金色から発する神々しさなどにしばらく見つめずにはいられないのです
そしてキャプションを改めて読み、作品の意味するものを探ろうと再び動けなくなるのです




◆2章 「朦朧体」へ:空気や光線を描く 1898-1902年


東京美術学校の教員だった春草は、校長職を追われた岡倉天心が新たに日本美術院を創立するにあたり、自身も多くの同僚と共にそれに参加しました
そこで、大観とともに新しい日本画の表現方法を追求し、墨の輪郭線を描かない、いわゆる「朦朧体」が生まれます

そもそもは、日本画で「空気、光線」を描きたい、しかし西洋画の線遠近法や陰影方で空間を写実的に表現するのはやはり違う 、空気や光を描いて画面に情緒を与えたいと考えたとか

しかし、筆線のない色彩主体の絵画は西洋絵画の亞種だと世間の酷評を受けました
「朦朧体」の言葉はこの新表現への反発や拒絶を含む蔑称だったのです



「菊慈童」1900年4月  (前期展示)

中国・周の時代、菊の力で仙人になったという物語を主題にした作品です

科学調査によって、上部の白っぽいところ以外に金泥が掃いてあることがわかったとか  
薄く暈した描き方が山々の果てのなさを表していると思います



「暮色」1901年4月  (通期展示)

この暖かな色みはどうでしょう はーと2
明るい夕焼け色を背景に柳のシルエットが映えています
……うっとりします…



「王昭君」(重要文化財) 1902年3月  (通期展示)

この章のハイライトですねー、沢山の美女たちが泣いてます…

中国・前漢の時代、匈奴の王へ後宮から女性を差し出すこととなり、一番醜い女を肖像画で選んだところ、それは絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれた美しい王昭君だったのです  
驚いた元帝が策を高じるも時すでに遅く、王昭君は敵国に嫁すこととなるのです
この絵は、その高貴な王昭君との別れの場面を描いています

女性たちの陶器のような肌と、透ける薄衣の美しさが目を引きます
朦朧体が結実した作品ということでした




◆3章 色彩研究へ: 配色を組み立てる 1903-1908年


大観と共に北米・欧州への外遊の中で、日本では酷評された作品が高値で売れました
これに自信を深め帰国後には、一層色彩の研究を進めていきます





「賢首菩薩」(重要文化財) 1907年10月  (通期展示)

高僧の纏う袈裟には、近づくと細かい刺し子が点描で描かれているのがわかります  
地色との補色表現が意図されているそうです

椅子にかかる布には日本画では初検出となるカドミウムイエローを始め、数種の西洋顔料が使用されているそうです

この作品を含め、10点を科学調査した結果も、とても興味深く、春草がいかに新しい絵画を求め研究熱心だったかが窺い知れます



「雨中牡丹」1907年7月 (通期展示)

儚すぎて夢の中で鑑賞しているようです・・・

近くで観てらしたご年配の方が「葉だけのお軸かしら…あの黄色いのは虫か何か?」とお連れに言っているのを聞き、そんなにも儚いのか…と…
(単に目が悪かったみたいですが)

とにかく、描かれているはずの雨はどこまでも薄く、一方写実的に表現された牡丹はどこまでも淡く・・・素敵な作品です



第4章のお話は、次であせる

猫ちゃんたちは写真入れたいのです、自分用ですね (笑)