この秋一番楽しみにしていたのは、菱田春草展と、こちらのウフィツィ (一番の定義とは
)…あ、仏像関係は別格です (は?)
【ウフィツィ美術館展 ―黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで】
ウフィツィ美術館は、イタリア・ルネサンス期の中心都市であり、「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェにあります
( フィレンツェ…あー、行きたい~フライト3時間くらいならなぁ(→腰痛 )
所蔵品が何点か来日したことは有るけど、美術館展としては日本で初めてなのです
(実はウフィツィ美だけでなく、フィレンツェの他の美術館からも数点展示 )
アレもコレも本物を初めて観られる

つーことで、銀杏のカホリがちょっとアレですが、賑わう上野公園を横切りトビカンへ …
張り切って初日の土曜日に観に行きました

珍しく音声ガイドを借りる・・・
従来のプッシュ式ではなく、太いペン型機にヘッドホンが付いているものでした
ガイド用のカラーシートに掲載された聞きたい作品の写真にペン先を当てれば音声が聴けます
4章に分けられた作品数は75点、そのうち3点が大きなタピスリーで残りが絵画でした
◆第1章 大工房時代のフィレンツェ
15世紀のフィレンツェの絵画芸術は、パトロンの存在と工房制度の充実により発展しました
親方を中心とし大勢の徒弟と協同制作者とで様々な注文を受けていたのです
《悲しみの聖母》ペルジーノと工房 1500年頃
遠くからも、独立ガラスケースからじいっと見られている気がした作品
こちらは油彩ですが、この章の殆どがテンペラ画なので、まざまざと当時の美しさを体感できます
《ロッジャの聖母》サンドロ・ボッティチェリ 1466-67年頃
初期のボッティチェリ作品ですが、後世の修復でもともとの風合いが損なわれているとの説明が…(^^;
ロッジャというのは開廊のことです
師匠のフィリッピーノ・リッピの新しい描き方 (建物を背景に聖母子と天使を配する ) に影響された聖母子像は親愛に満ちていますが、聖母マリアの表情は物憂げです
その他の彼の作品でも、マリアはどことなく憂いを帯びているように感じました
あ、これも油彩でした…
オリジナルの額縁と共に伝わる大変貴重な作品だとか
下方の基壇には「おめでとう、恵まれたかた」という、受胎告知の際にガプリエルが告げた言葉がラテン語で書かれています
上部のルネッタと言われる半円形の部分には聖霊を表す鳩が正面向いています
まだ教会の祭壇画のような大きな仕事に恵まれなかったボッティチェリは、このような個人礼拝用の小型の聖母子像などを請け負っていたそうです
実際目にすると大変重厚で、個人といっても財力を感じますよ…
《聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル》ボッティチェリの周辺 1485年以後
イエスの傍らに毛皮を纏った洗礼者聖ヨハネ、後ろにミカエル、欄干に持たれているのが、純潔の象徴である百合をもつガブリエルです
16世紀にかけて、フィレンツェで好まれたトンドと呼ばれる円形の絵画で、ボッティチェリもいくつか手掛けているとか
この時期のボッティチェリはメディチ家をパトロンとして、第一線の画家として活躍していました
◆第2章 激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来
15世紀のフィレンツェの芸術文化はメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニフィコの時代に黄金時代を迎えました
彼はボッティチェリら芸術家や文学家と交流し、彫刻や古いカメオなどのコレクションを披露するなど、気前よく華麗なパトロネージ(芸術・文化活動への精神的経済的援助) を展開しました
しかし、彼亡き後の外交政策の失敗によりメディチ家はフィレンツェを追放、サン・マルコ寺院の聖ドメニコ会修道士だったサヴォナローラが、神権政治を行います
華美な芸術作品や俗悪と見なされた書籍などが焼かれ、ボッティチェリも影響を受けて優麗な作風から強い宗教感情が迸る作風へとかわってしまいます
この窮屈な市民生活は次第に反感を呼び、更に教皇の怒りを買い、サヴォナローラは処刑されました
「パラスとケンラウロス」ボッティチェリ 1490-85年頃
これは宗教画というより、神話のようです
右の女性は学問の神パラス (ミネルウァとも言う) で、肉欲と暴力を象徴するケンタウロスの髪を掴んでいます
理性が獣性を統制するという意味が表されているそうですが、パラスの表情は決して強気でもなく憂いを湛えています
《東方三博士の礼拝》ボッティチェリ 1490-1500年
聖家族の前にイエスの降誕を祝う三博士と民衆が集っていますが、それだけでなく遠くから怒濤のように集まる人々がこれでもかと描き込まれています…少し怖いくらいです
サヴォナローラの洗礼を受けた後の作品で、前述したように、それまでの優美さを失い激しい宗教感情のみなぎる画風です
◆第3章 「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生
16世紀のフィレンツェは新しい曲面を迎えます。その主人公となる、15世紀末にフィレンツェに生まれた芸術家達はサヴォナローラ時代の厳格な神権政治を経験した後、ソデリーニによる開放的な共和制のなかで絵画技法を研き自由な感情を育みました。
彼らの青年時代は、ダヴィンチ・ラファエロ・ミケランジェロという偉大な芸術家がフィレンツェで活躍した時期に重なります。
マニエラ・モデルナ(新時代様式) とは、画一的に踏襲するのではなく、それを凌駕するほどの表現へと昇華し、優美で卓越した造形芸術を追求する新しい表現法といえます。
(説明より、大体です
)《ピエタのキリスト》アンドレア・デル・サルト 1525年頃
墓地とおぼしき場所で降下後のイエスが静かに腰を掛けています
これは聖堂のフレスコ画ですが、その他、宗教教義の議論の影響で、死せるキリストを描いた絵が求められたとか…(なぜかは聞かないで下さいよー)
ピエタですが、聖母マリアは描かれていません…
肉体描写の豊かさが良いですね (え?)
アンドレア・デル・サルトは、ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロがミラノやローマにいった後、フィレンツェの最も重要な画家として活躍していました
◆第4章 フィレンツェ美術とメディチ家
メディチ家はフィレンツェからの追放と復帰を繰り返していましたが、コジモ1世が1569年にトスカーナ大公になると、君主として大規模なパトロネージを展開します
巨大な総合庁舎として、ウフィツィ (オフィスの意) をジョルジョ・ヴァザーリに建設させ、ブロンヅィーノを宮廷画家として重用しました
後継者のフランチェスコ1世により、ウフィツィの最上階が改築され、現在のウフィツィ美術館となります
《公共の福祉の寓意》ブロンヅィーノ 1565-70年
寓意とは、擬人像や象徴的な意味をもつモチーフを組み合わせて、思想や概念を表現することです
この作品では、中央の「幸福」、左端の男女二つの顔を持つ「賢明」、背中を見せる老人の「時」、天秤を持つ「正義」、その他狂気や怒りといった擬人像も描かれてます (もっといますが勉強不足です
)メディチ家およびイタリアフィレンツェの幸福を表わす寓意画で、 40 × 30 の小品です
精緻な人体描写に見とれます~
~ * ~ * ~ * ~
アレも
コレも
…とはいかなかったけど、強調したいところをハッキリ感じられた構成でした今週末までのオルセー展の、マネからマネへじゃないけど、
メディチに始まりメディチに終わる…という感想…
あー、行きたい~









