私は睡魔に引き裂かれて陥落寸前だった。


しかし、映像が目に飛び込んできた瞬間、睡魔は消え去った。


「?????」

「!!!!!」


こんな感情が一度に来たのは久しぶりだ。

まさか、だった。

ジダンに何が起こったのか???


勝っても負けても“有終の美”のはずだった。

それは個人のことだけではなく、チームにとって、家族にとって、サポーターにとって、マスメディアにとって、ファンにとって、祖国にとって、とにかく様々な本人以外の誰かさんにとって、だった。


しかし、それをあと僅かというところで、自らがブチ壊してしまった。


カッとして…体じゅうに逆巻く感情がのっとったように見えた。

鋭くきびすを返し、そして、コトを起こしてしまった彼の思考は止まっていて、感情だけに突き動かされていた… ように見えた。


結果に対して、

責める人、嘆く人、悲しむ人、怒る人、怪しむ人、慰める人、これまたいろんな誰かさんがいた。

その裏で、

歓喜に身をあずける人がたくさんいた。たくさん、たくさんいた。


これが勝負だ。


しかし、その部分とはまったく異なる後味の悪さが、ずっと私を捕らえて離さない。

ジダンは、なぜ?


彼の気持ちを想うと、苦しくてならない。

自分がしたこと、招いたこと、そんなこと、正気に返った彼には百も千も承知だったことだろう。

しかし、なにより、すべての理性をふっとばすほどの、人生の素晴らしい節目になったに違いない舞台をぶっ壊してしまうほどの、「何か」に反応せずにいられなかった、自分の「軸のまっすぐさ」が苦しいだろう。まちがったことをした、とは思いたくない、でも、止められないほどの激情が招いた結果は間違った方向に導いたという事実は彼を傷つけるだろう。


真相は彼の口から語られてほしくない。

それは彼を2度も3度も傷つける行為となる。

そんなのはごめんだ。


でも、誰かマテラッツィがどのような「言葉」を「技のひとつとして」投げつけたのか解読してほしい。

後味が悪すぎる。


できれば、フィーゴと暑苦しいほどの汗を吸ったユニフォームを交わして抱き合った、あのジダンの姿で私は記憶をとどめたい。正々堂々という姿、そしてその心が私には美しくみえるのです。

リラックス~


Jirung Spa of Eternity にて。


山に隔離されたような、ひたすらのんびりするためのリゾート。


バルコニーはリラックス空間。

ゴロゴロしているうちに本気で眠りに落ちる。

曇り空、ブーゲンビリア。


梅雨のただなかの慰めは、


ときどきの晴れ間、


白いくちなしの花、その香り。


写真はインドのゴアにて。


暑い国で、やっぱり私は慰められる。


ときどきの曇り空、


情熱的なブーゲンビリア、その息づかい。

大瀧詠一の「A Long Vacation」を聴いていて、とつぜん思った。


80年代の歌なんだな、これも…。

私にとってのエバーグリーン、いつまでも色褪せない歌っていうのはビートルズを始め、たっっっくさんあるんだけど、確かにわかるのは「時代の流れによる決定的な違和感」、それは人間社会の流行とかそんなんじゃなくて… 
たとえば電話かけるのが緊張する…って昔はケータイなかったし、

君に書く手紙がなんとか。。って今はメールだし、

公衆電話から。。って今ほとんど見ないし、

尾崎の歌でさえも100円の缶コーヒーって、プライスダウンの自販機さがさなくちゃ今はないし。
ここ数年はとくにすべての変化が早すぎて、恐ろしい。


当たり前になってるものが、10年前、どれほど当たり前でなかったか。
そんなこと考えてたら、なんにしても日々の出来事を大事に生きなくっちゃねー。。。と思うんだな。まぁ、いつものことだけど>笑。


粗末にしていたら粗末にされるし、尊大にしていたら尊大にされる。
                 もちろん、
感謝を抱いたら感謝を抱かれる。大事に想ったら大事に想われる。


まぁ、「そんなこと言ってたら、いいようにされるよ」 
…ってのが一般的に思われそうなことだけど、そこにあるカラクリって実は簡単だと思う。


それは、「損得勘定の違い」。
まずは“物質的”な損得勘定、これってこの現代社会で生きていくうえでは非常に有効なものではあるけれど、あくまでそれだけのものだと思う。“絶対”ではないってこと。
つまり“物質的”のみに振り回されると、何かその人の大切な運のようなものから、本来必要な潤いを奪っていくんじゃないか、と。
たとえば、ヒラリヒラリ、ある世界をその時々で要領よく、上手に渡っていても、そこで関わった人や事象を大切に思っていなかったら、陰で貶められていたなら、コンクリートのヒビのようにその人の何かは、渇き、引き裂かれていく(と思う)。だから、目に映る、解かり易いモノを頼り、信じ、欲しがり、それがないと自分は幸せではない、とすら思っていく。そして手に入れて、上手くやって… 獲得して… 自分の傷には蓋をして… 終着駅には何を見ているんだろう?そこに感謝の念が入ればまったく変わるんだろうけど…


そして異なるのが、“本能的”損得勘定。
お金やステータスなどの物質的なものではないものに対して、本能の部分で損得を加算する考え方です。
たとえば、代表的なのは人間。

「○○さんと話すと愚痴しか・文句しか・説教しか・高圧的な話しか・自分の話しか・同じ話しか(以下省略)しないから話すのを控えよう」 …の反対に「☆☆さんと話すと元気になる・発展的な話ができる・励みになる・好奇心が沸く・優しい気持ちになれる・知らなかった世界を知れる・自分に自信が持てる・良い感情を分かち合えるから(以下省略)もっと友達になりたい」…

ってこれ、損得勘定だよね…。でも、人間って繋がっていく生き物だから、自分のココロを高めるには本能的に必要なものだと思う。 終着駅には、何が見える?結局は、一緒?


話が反れているみたいだけど、「(ヒトに)いいようにされたくない」っていう想いの裏には、ヒトをどのように信じたらいいのか分からない、自分の審美眼に対する粗末な意識が見える気がするってことが言いたかったんです。


そして、「××したら損するから、損したくない」ってのは、傷つく自分に自信がないから、傷が嫌だから、ヒトよりいい思いをしたいというところから生まれ来る発想だと思う。
そりゃ、傷つくのは嫌。だけど、生きている限り傷つく自分を避けることはできない。

…でも、減らすことはできる。だから、これまでの傷を、生まれ来る傷を減らすために、生き方をちょっと見直したら、もっと楽しく幸せに生きられるんじゃないのかなってこと。


そこさえ大事にしたら、あとは勝手に流れていく、そう思っています。
たとえば実際にそうして、けっこう波乱のあった私の人生は34年目の今、一番おちついている、そんな気がします。


防衛本能を忘れない、良いことばかりイメージできるバカになれってことなのかもしれない。
自分の闇の部分、そこはおそろしいところかもしれない、けど宝の山かもしれない。
そしてそこを直視したら、今までとは違ってしまうかもしれない。この社会では上手く渡って生きにくくなるかもしれない。でもね、人間も生き物だから。

骨が支え肉が絡まり、見たこともない内臓でがっちり構築されて、あたたかい血がドクドク流れていることになんら変わりはない。


幸せって、日々の自分の中にあるんだなーって、そう想います。

そのために、もっと本能的な向上心あふれるバカになりたい。

最近、なんか変だ。

シンクロニシティ〔synchronicity〕

心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。ユングの用語。(大辞林より)

…ってのに ここのところ凝っている私だが、確かに意識すればするほど、この現象は頻繁に起こるように思う。しかも、は?それがなんやねんってなどうでもいいことから、おーっと助かったぁ~ってな大切なことまで、程度はさまざま。人間の神秘性を感じ、個人の性質を問われるので、非常に興味深い・・・

が!

今日は、初めて気分が悪くなった。

家に帰って横になり、PCが立ち上がるのを待ち、また横になり、アレコレ考えていた。私はもともと共感性、シンパシーする力が強く(テレビドラマとか映画とかを客観的に観れない。ひどい時は小説や漫画のキャラクターまでも私の心にリアルな影響を与える>笑)、殺人事件などが起こると時によって、一生忘れられないくらいのインパクトを受けてしまう。数件あるが、その中で本当に突然、浮かんだのだ。


山口県の光市であった、自分の愛妻をレイプ目的のみで殺されて(しかも遺体陵辱され)、1歳にもなっていない娘も泣いていただけで殺された。残された旦那さん、昔なにかで見たけれど、人相がきっと変わってしまっていて、痛ましかった。苦しかった。しかし…やはり男性の中に暴発的に発生する性欲というのは、コントロールができないまま持ち主を突き動かすだけのパワーがあり、本当に恐ろしい…

などなど。そして起き上がって、Yahoo!のニュース一覧を見ると…

「光市母子殺害 弁護士出廷へ」

…さすがにショックを受けた。この数年、意識にあげたことの無かった痛ましい事件を思い出していただけで、テレビを見ない私は現在の動きも知る由も無いのに。

嗚呼、もう少し、心を鍛えなくては。

しあわせは 遠くにありて 想うもの…


上田敏だったか? 

いや、それは 山のあなたの空とおく さいわい住むと人の云う だ。


とにかく、幸せっていうのは 大きくて大きくて、憧れてしまうほど、苦しみとか悲しみとかのない素晴らしい世界で、掴み取るもので、一度は手にしてみたい。そんなニュアンスがどちらの文にしても見られる…


けど、それって幸せか?


まるで、自分を苦しめるためだけに存在する「幸せ観」じゃん。


遠くないよ。めっちゃ隣にある。否、自分に内包されている。共存している。

誰かがくれるものではない。どこかで待っているものでもない。

小さくてもある。既にある。見えなくても、ある。

だって、それは心で眠るひそやかな種のようなものだから。

見つけて温めて、大事に抱きしめて育てたら、根ざしてぐんぐん伸びて、葉も生い茂って、その活き活きとした生命の匂いがいっぱいに自分を包んでくれるだろう。そしていつか縁のある誰かさんもその匂いに惹かれて、幸福を感じて、分け合って増えてみんな幸せ。


手にすればしたで、手堅く独り占めできるものではない。

永遠に引き止めることなんてできない。掴み取らないで。

だって、それはとめどもなく溢れる澄んだ泉のようなものだから。

手を伸ばして触れてその清々しさや優しさを感じたら、もうその気持ちは自分のもの。誰にも渡せない。でも増幅させて分け合える。だから、惜しまずに流して見送って、また惜しまずに触れて、…それを繰り返せばいい。水には形なんてない。でも、ある。確かにある。そしてその透明な輝きと豊かな量が、心を幸せで満たす。


葉は枯れない。手を入れれば伸びやかに匂い立ち、皆を抱きしめる。

泉は枯れない。すぐ流れ去って消えるけど、巡り来ることを信じれば。



…そんなことを考えてしまった。今日の明け方。

気持ちって甘やかしたら、危険だ。永遠に続く関係性ってない。

手を入れないとダメだなー。どんな関係にも、どんな仕事にも、慣れた日常にも。

そう、手を入れることを忘れずにいれば、永遠に繋がることはできるけどね。

2000年ホーリーの時期の大ヒット作。アミタブの復活、ヤシュ・チョープラ制作、シャールクとアミタブの共演、シャールクとアイシュの共演、シャールクとヘレンのダンス(笑)、ラタ・マンゲシェーカルの美声、新人6人の大放出・・・と、話題と見所まんさい!だった。


ストーリーも絡み合っていて、それぞれなのだが、大軸であった、シャールクとアイシュとアミタブのストーリーだけ絞って考える。

この映画はハッピーエンドだったのだろうか?


学生時代に自殺したアイシュ(恋人)を想い続けるシャールクは、音楽教師になって、追い出された母校に戻り、自分を放校した校長(彼女の父=アミタブ)の懐に文字通り「飛び込み」、自分の、そして死んだ彼女の真意を伝える努力を惜しまない。

頑なで強く迷いのない愛情を、シャールクは彼女にずーーーーっと抱いていて、 死んだ彼女も彼のそばでずーーーーっと見守り続けている。

今生で添い遂げられなかった2人だけれど、死はただ、2人の道を分かっただけで、共に2人は生き続ける。


でも、彼女、死んでいるのだ。その姿に触れることはできない。

そして、彼は、生きているのだ。出会いと感情とにまみれて。


彼女の死を選ぶ原因となった、アミタブが抱くシャールクへの無理解と怒りは、シャールク自身が時間と心を割いて解いた。悲しみと孤独と淋しさの中でアイシュの笑顔を、写真を見ないと思い出せなくなっていた父・アミタブは、娘の想いを理解し、なんと彼女の死後の姿がシャールク同様、見えるようになった、というエンディング、これは良いと思う(怖いけど)。

それはつまり、彼女のシャールクへの想いを理解できた、ということだから。

そうして、親はいい。親は。だってさ、親だから。


でも、彼氏は…。


私は日本人的な考え方かもしれないが、いつか生身の素敵な女性とシャールクが出会い、お互いを幸福にする相手だと認識して、その2人が出会えたことを、死んだアイシュ(彼女)が「良かった」と思う… そんな結末があってもいいな、と思う。


インドじゃ …だめかな。


♪ 止まらないで 自分の道を 少し間違っても いいから 脇目もふらずに…


チャップリン張りの洋服に身を包んで、ステッキ片手に歌っている彼女の姿を、私はついこの前、モニターで見た。10月末、相方と1時間だけカラオケに行ったのだ。

私が歌ったのは、「Oneway Generation」。お気に入りの曲だ。でも、歌うのは本当に驚くほどひさしぶり。



♪ 人ごみの真ん中 今いる場所さえわからないように
   自分の生き方が 見えない時ってあるよね


話してはみたけど、言葉が一方通行みたいで

   遠くの夢なんて 大人は判ってくれない。



「そう、こんなに可愛いんだったよね。」

セクシー系に転んだ時期も長かったけれど、私はこの歌に触れたときの自分の感想を思い出す。

「好きだと言いなさい」ってデビュー曲だったかな、その頃に帰ったみたいだ、と。


しかし何故、私は 彼女が死の床に就いていることも知らず、そのときこの歌を選んだ?



♪ 「さよなら」の代わりに 手に入れたものは 

   小さな自由と大きな悲しみと 中くらいの想い出だけさ



そんなの偶然だよ。ただの思い付き。目に留まっただけ。それを私は気の向くまま選んで、歌った。


でも…。


数ある曲の中から? 普段のレパートリーでもないのに? あの分厚い本の中から? たった1時間だったのに?


…こうなると、もうなんだかわからなくなる。

わかるのは本田美奈子という人間がこの世から去ったという事実だけだ。

アイドルとして低迷しつつあった彼女は、舞台でもう一つの彩を開花させ、開花させ、開花させた。


生の道を走っていた。

この世の誰もが走ってはいるけれど、有名な人は不特定多数にその走りを見られ続ける。そして彼女もその走りを見せつけていた。芸能界から、私たちに。病いになっても。

そして、フィナーレを迎えたのだ。



♪ 止まらないで 自分の道を 少し間違えてもいいから



有名な人の死はニュースとなる。その家族は、その友人は、その関係者は、そのファンは涙するだろう。そして、不特定多数は話題にして、忘れていくだろう。

見せつけるだけの魅力がある人間の死。自分にかかわることなど一度もなかったその人がこの世に生きていた、そして消えた。その事実は、ある人々の心に一石を投じる。心の湖を揺らめかせたり、心の鏡を割ることもある。そこに意味があるのだ。そう、信じたい。


芸能人だけではなく、惨い事故や災害、戦争、テロ、猟奇殺人などの餌食になったたくさんの人たちもそうだ。私は彼らを知らない。でもその事実を覚えていて、役にも立たないのに心を痛める。

自分に関係のないすべてが、ただのテレビの向こう側のニュースだとしたら、どうなるだろう?

濁流の中の流木のようにすべてが往きすぎ、私の中に何も残らないのだとしたら?


死は忌わしいもの、そして恐ろしいものとして現代社会で捉えられがちで、正直、私も怖い。

でも、それは必ずやってくる終着駅で、誰もが迎えるのだ。

ならば、見てやろうじゃないか。覚えていたいじゃないか。思い出したいじゃないか。


……。

このようなことを考える機会をくれた本田美奈子の生き様に、合掌。そして、感謝。


病気すると痛感することがある。


独りってやだよね。


熱出してハァハァ喘いでいるけれど、部屋の天井しか目に映らん、だとか、

確かに空腹になってきているのに、適切なご飯のやってくる気配なし、だとか、

寝込めば寝込むほど、外の世界に置いていかれていくような疎外感、だとか、


(以上、ネパールで高熱を出したときに痛感>笑)


なんとかしてほしいけど、なんともならん。

ひょっとして、普段たのしくやってる私って、ウソっこ?とか思えてしまうほど。

だって、こんなにシンドイのに、誰も来ない。誰もいない。

(まぁ、ネパールの山の中ではしょうがないけれど>笑)


でも、今日、急に道すがら、思ったんだな。


誰かがいて、たくさんがいて、その中で感じる孤独はとても辛い。

その誰かが大切な人なのに、感じてしまう孤独はもっと辛い。

単純に比較はできないけれど。


病いの中でも、

温かく思い浮かべられる人がいるのは、幸せ。

その相手もきっと、こんな自分のことを心配してくれるに違いない、と信じられるのは本当に幸せ。

その相手に何かが起こったとき、何かしたいと思えるなら、もっと幸せ。


肉体がピンチのとき、そんなことを感じたりします。


ってまぁ、大したピンチじゃないけどね・・・。

一日中、会社も休んで引きこもっていて、さすがにおなかが減り… ローソンへ。

お決まりのブックコーナーで、目に留まった エキゾッチックな顔立ちの女が表紙の雑誌。


えええ!? ゴクミなのか?!?!


驚いた。すっげー好きなタイプになっている(注:私は♀)。

日に焼けた肌。野性的な瞳。しなやかな黒髪。笑顔に白い歯。スレンダーな体。

そして、なによりも オーラ。

芯がある。華がある。野性がある。


そして読んでみると、そうだそうだってことがたくさん書いてある。

そうだ、アレジと結婚してたんだ。

そうだ、芸能界から退いていたんだ。

そうだ、スイスに住んでいるんだ。

そうだ、子供がいるんだ。


・・・。


なんか、すげーな。

どうやら彼女はセレブの一員で、「本物のセレブに憧れる女性たちから絶大な支持を得ている(原文ママ)」らしい、が、それよりもこれよりも、相変わらず、「後藤久美子」であるってことが凄い。

昔、彼女が国民的美少女として扱われていた時代、発していた内容とほとんど変わってない。

どこにいようと、誰といようと、何をしていようと、彼女は彼女なのだ。


…というわけで、買ってしまった。

読めば読むほど、いいオンナじゃん!>笑

思考の真っ直ぐさに、相手へのひた向きさに、自分への真摯な気持ちに、素直にシビレる。

かつては、ナマイキなんて言われてたゴクミけど、今の私には超スタンダードに思える。

・・ってことは、私もやっぱり生意気なのか…。


まぁいいや、彼女にこれから注目していこう。


(雑誌そのものも良くできている。見ごたえあり。写真もキレイ。創刊3号ってことだけど、今後が楽しみ)

papyrus(幻冬社)