愛をうたう -9ページ目

愛をうたう

ショウジョウハイライト明香のアタマ




認められたいとか
分かってほしいとか
何かのためにとか

言い出した途端に
色んなことが面白くなくなってしまう。


そこが目標になると楽しくなくなるまであっという間。





でもわかる。

そうだったし
今もその癖は抜けきっていない。

認められたり
褒められたりしたら
いい気持ちになるし
もっといい気持ちになりたくなるし
何なら
常に気分良くいたいもんね。


でもその思考自体が幻覚のようなもの。


そうなったら
そうじゃないことが怖くなって
求めて
確かめて
演じてみたりしちゃって
なんかどんどん離れていくんだよね。

自分なのに
自分が遠くなる。




そこじゃないところに思考の先がある人って面白い。
輝いている。
愛される。


面白いから。
楽しいから。


それのどこがダメなんだろう。

大体問題にしたがるのは
羨ましい人たち。



なぜ輝いて
なぜ愛されるか


自分に対して嘘がない。



それの美しいこと。




でも出来ないことをやっているんじゃないよ。
やらないんだ。
出来ないって自分で決めているだけ。

状況でも環境でもタイミングでもない。

自分がそう決めているだけ。




私はつまらないものはいらない。

だってつまらないから。







台風が過ぎて秋がやってきたよ。




明日は通天閣の足元
まるでお家のようなお店
のこされ島で歌います。

のこされ島のカレーも美味しいしナシゴレンも好き。
でも久しぶりに新世界行くから鶏カツわさびは外せない。
小さなグラスで最初の1杯が飲みたいから飲み切らなくても瓶ビールがいい。
あとは居合わせた誰かに飲んでもらって空いたグラスで乾杯。

そこに行けば会いたい人がいて
そこでしか食べられない美味しいものを食べる
笑ったり
思い出したりして
少し帰る時間を遅らせたり。

そんな夜が私は好きです。


明日ははあなたが会いに来てくれるから
私はここで待っているよ。




■□■ショウジョウハイライト 9月のライブ


9月22日(木祝)
会場■新世界のこされ島
開場■18:30
共演■なかみねしょー/クロエ
料金■投げ銭
☆ショウジョウハイライトは20:40頃から歌います。


先日
大きくて立派な栗が手に入ったので
栗ご飯にした。

食べると美味しいものは手間がかかる場合が多い。

8年かけて実をつけるようになった栗の木が
毎年1年かけて育んだものが栗の実になる。
毬までつけて守りたいほど愛おしい実なだけあって
人ごときが口に入れるまでの道のりは長い。

15分ほど水から茹でる。
そのままある程度冷ましたら
お尻のところに包丁を入れてまずは鬼皮を剥く。
そのあと渋皮をやっつける。

この上の2行の部分が何とも時間がかかる。

「美味しい栗ご飯になりますように(えへっ!はーと)」
なんて一瞬も頭をよぎらない。
とにかく私が単純作業をやるときの呪文
「必ず終わる」
を唱えながらひたすら剥き続ける。


小さい時
栗を茹でで半分にしたやつをスプーンで食べるのが好きだったな。
よくおばあちゃんと栗拾いに行って
栗ご飯食べたい!ってせがんでしてもらったな。
私には危ないからって手伝わせずに
おばあちゃんが1人で手を赤くして「面倒くさいこというわ」って笑って栗を剥いていた。
何回もお代わりして栗ご飯食べたな。


経験と想像力がかみ合えばきっと人の気持ちに寄り添える。
心からありがとうが言える。

想像力を使わずにいると色んなことが簡単になる。
捨てたり傷つけたり
知らなかったって言えば済まされてしまうように錯覚して
誰かのせいにしたり。

見えないことは無いことじゃない。
見えなくてもあるんだよ。



出来上がった栗ご飯は美味しかったけれど
お代わりはしなかった。



明日は久しぶりのライブ。
私がこの1年で育んだもの、ゆっくり手をかけて歌にしていこう。
そしてみんな言うよ

おかわり!!

えへっ!はーと



■□■ショウジョウハイライト 9月のライブ


9月10日(土)
会場■西成難波屋
開演■13:30
共演■葦田純/岩井わい/はしもとりえ
料金■投げ銭


9月22日(木祝)
会場■新世界のこされ島
開場■18:30
共演■なかみねしょー/クロエ
料金■投げ銭
☆ショウジョウハイライトは20:40頃から歌います。