愛をうたう

愛をうたう

ショウジョウハイライト明香のアタマ




昨年10月、名古屋にある大好きなライブバーあらたるとでバンドマンと知り合った。

リトルキヨシの大ファンだという彼は

名古屋在住だが佐渡島に家があること、島にはライブハウスがあることを話してくれた。

そして自身のバンドとリトルキヨシ、ショウジョウハイライトで一緒に佐渡島ライブしましょう!と

かなりの目力で持ちかけてくれた。

名古屋から戻って年が明けるころ

キヨシと相談して上がった日程を彼に投げたところ

メンバーの都合がつかず、佐渡島ライブは未定となった。

その合わせた日が3/20からの3連休。

それならとキヨシに

こっちで一緒にライブしようかと持ちかけたのが、今回のミニツアー「とくべつ」のはじまり。


そこから思いつきと予感を頼りに

お店を決めて、調整をして、準備して

あれやこれやで本番を迎えることになる。


ネットで検索してみると

2017年9月9日に大阪で2マンライブをしたのがリトルキヨシとの最後の共演のよう。

多分その後も大阪に歌いに来たキヨシと会った気はするけど、どちらにせよとんでもなく久しぶりに会うし、ライブを見るのも久しぶりだった。


キヨシはやっぱりキヨシで

リトルキヨシは良いライブするし

わたしはわたしのままだけど

ショウジョウハイライトは、いつも少しずつわたしと共に育っている。

大切な音楽の先輩であり、大切な友人のキヨシが

歌や生き方や諸々を褒めてくれた。

素直に嬉しかったな。

たくさんのアドバイスやヒントももらった。

歌ってて良かったな、ずっと歌っていきたいなと思う2日間でした。


ライブの場を提供してくれた

kitchen sanablend

オーケストラカレー

studio FARM

の店主の方々、スタッフの皆さん。

わたしの歌やわたしを信用して

時間を作って足を運んでくれた皆さん。

大阪から会いに来てくれたみんな。

ライブには来れなかったけど

気にかけてくれたり、応援してくれた皆さん。

studioFARMでリトルキヨシと共演してくださった皆さん

一緒に演奏してくれたり、駆けつけてくれた

オーケストラカレー(楓さん、赤ちゃん含む)

音芸師HOMURA


本当にありがとう。


誰が欠けても何が欠けても

このとくべつな日にはならなかったです。


そして当たり前の顔して

こっちに来てくれたキヨシ

ほんまにありがとう。


ちなみに

リトルキヨシは京都北部の皆さんが好きになったようなので

またすぐに歌いに来ますので

今後ともよろしくお願いします。




ライブから帰れば

シンクには洗い物

日常は当たり前にそこにあるので

余韻に浸るほどの有り余る時間は待ち合わせていませんが

確実にこの2日間を終えて

わたし

ショウジョウハイライトが

新しいスタートを切れたことだけは確かです。




高校生のわたしに伝えたい。

教室のドアのところでぶっきらぼうに

わたしをバンドに誘いに来たキヨシとは

30年後も友達のままで

ふたりとも

好きな歌を大切な人に歌ってるんだよ!って。


だから大丈夫。

これからも想像も出来ない未来は当たり前にやってくるし

幸せだと思える瞬間もたくさんある。



あの時が

今が

はじまり。


















「松本さんっておる?」


そう言って教室の入り口のところに学ランの男子がいた。

私たち10期生から男子がブレザーになったから

学ランを着ているってことは上級生。

なに?なんや?

と思いながら、何の用か尋ねると


「みぃ(生徒会の先輩)から聞いたんやけど

ドラムやっとるんやろ?

うちのバンド、ドラムおらんのやけど一回スタジオ入らんけ?」

なんかちょっとぶっきらぼうにそう言ってきた

ひとつ年上の先輩がキヨシ。


そのあとすぐスタジオに入って

女のドラムなんて!と反対していたナオキからもOKが出て

ボーカルのジュンジさん(高2)

ギターのナオキ(高1)

ギターのキヨシ(高2)

ベースのタック(高2)

にドラムのハルカ(高1)が加わった。


ビジュアル系、ジュディマリ、イエモン

ハイスタ、グリーンデイ、ランシド、ブルーハーツ

色んなコピーバンドがいたけれど

うちのバンドは流行りとは無縁で

レイラ

スターマン

メッセージインアボトル

ホテルカリフォルニア

などがライブの定番曲だった。


でもそういう独自の感じ含めて、誇らしくて好きだったし

なんとなく一目置かれている感じもあって

他のバンドが企画するイベントにも呼ばれて

よくライブをしていた。


ドラム人口が少ないので

多い時には8バンドほどのサポートドラムをしていた。

私は高2の途中で高校をやめたけれど

その後もキヨシとのバンドはメインで続けた。

やがてひとつ上のメンバー達がそれぞれ進路を決めて

バラバラになることが決まった。

大好きなバンドだったからずっと続けたかったけど

それを言っても先には道が無いことくらいは分かっていた。


キヨシは沖縄の大学に行った。

私は21歳になるまでスカイメイトを使って

何度も沖縄に遊びに行った。

その頃キヨシがギターボーカルで組んでいたバンドは、オリジナル曲を作って活動していた。

その時に自主制作したCDは今も持っている。


大学卒業後、東京に出たキヨシ。

高円寺の風呂もトイレもない

押入れの中に足を突っ込んで寝る部屋に住んでいた頃のキヨシはガリガリで、絵に描いたような貧乏ミュージシャンだった。


私は24歳で金沢から大阪に出て

散々回り道したのちに

30歳で初めて曲をつくって

ピンボーカルの予定がなぜかギターボーカルになって3ピースバンドが始まった。

弾けないギターで歌をうたっていた頃には

キヨシはもうすっかり界隈では話題の人だった。

ギターボーカルのキヨシと

ドラムとポエトリーリーディングのゲンキくんがメンバーの

リトルキヨシトミニマム!gnk!は2ピース ベースレスバンドとして横浜を中心に活動していた。

とにかくライブも音源も全部ヤバくて

大きなフェスに出たり、いつも面白いことをしていた。

キヨゲンのCDは今でも聞くし、全曲イントロから歌える。


昨年まで続いていた春一番にもキヨシはバンドやソロで

11年ほど出演していた。

今も

リトルキヨシは色んなところに歌いにいく。

リトルキヨシは全国にたくさんのファンがいる。

出逢う前からずっとギターを弾いていて

私が音楽から離れている間もずーっと歌っている。



大切な友達で

尊敬する先輩だけど

みんながキヨシ君いいね!と言うと

すごく嬉しくて誇らしいけど

なんだかちょっと悔しい。

私にとってのとくべつ。


それがキヨシ。


舞鶴に来てからは会っていないし

最後に会った日もはっきり覚えてない。

しばらくライブも見てないけれど

大丈夫。

私のとくべつは裏切らない。


だから

こっちで初めての企画ライブはリトルキヨシとします。


3月

21(土)夜に、京丹後kitchen sanablend

22(日)昼に、大江オーケストラカレー

この2本はショウジョウハイライトと2マンライブ。

22(日)夜は、福知山studioFARM

最後の夜はリトルキヨシがFARMのイベントに出ます。



あの時の私は想像もしてなかった。

30年後にこんな日がやってくるなんて。

教室のドアから繋がっていたこのとくべつな日。


あなたも一緒に過ごしませんか?





私はとても恵まれている。


帰る家があって

そこには愛おしい子どもたちがいて

それを共に守る人もいる

寒さと暑さを調節できる部屋があり

料理や外食を楽しみながら

美味しいと思えるものを食べて

いつでも温かいお湯に浸かれる

読みたい本は大体読めるし

好きな食器や絵を眺めたり

着飾ることもできる

どうしているかと気にかかる人たちや

わたしの心を分かち合える友達がいて

思い出すことで力になる過去もある


そして


自分の想いを綴った歌を

友人や仲間の歌を

わたしの声でうたうことが出来て

音楽を通して知り合った人たちと

心を通わせることができる


あるものを並べてみれば

私は充分幸せだ。



愛されていることを願い続けた幼少期をやり過ごした後

いつも恋人はいたけれど

自分を愛するということを知ったのは

ずいぶん大人になってからだった。


わたしが自分の中から誕生した赤ん坊を抱いた時

初めて死にたくないなと思った。


そんな風に思ってから

色んなことやものの見え方が変わった。

自分というものを生きてきた年数を重ねたせいもあるだろうけれど

自分がいなくなった後の未来を無視できなくなったことが大きな要因だと思う。



思うことを文章にして

好きな歌をうたい

愛したり

愛されたりしながら

テーブルを囲み

色んな人たちと笑い合う


そんな未来を願うのは贅沢なんだろうか。



教科書が黒く塗りつぶされたり

歌える曲が決められたり

語り合うことが命懸けになる

そんなことを受け入れてはいけない。



ごく一部の安寧が守られるための土台を

マジョリティに仕立ててきた人たちは

色んなものを使って当たり前にその椅子に座日続ける。

わたしの願いは願いのまま

今回もわたしの中に残ったまま

マイノリティなのだということを実感した。


でも

同じように悔しい想いをしている人たちが

わたしのまわりには結構いる。

それを感じれば

険しさを増した道も進む力が湧いてくる。


子どもたちと夢中で見たアニメの序盤

主人公が言われていた言葉


「生殺与奪の権を他人に握らせるな」



わたしは絶対諦めない。