愛をうたう

愛をうたう

ショウジョウハイライト明香のアタマ



3月末、リトルキヨシとの企画ライブ「とくべつ」を終えて

始まった4月と5月


⚫︎4月4日(土)福知山studio FARM /28周年イベント

ショウジョウハイライト

⚫︎7日(火)上六人部会館/お花見コンサート

ダルバートダルバート

⚫︎11日(土)夜久野高原桜花まつり

ダルバートダルバート/オケカレHOMUライト

⚫︎19日(日)報恩寺たけのこまつり

ダルバートダルバート

⚫︎26日(日) 福知山studio FARM /あの84ENDA

ショウジョウハイライト

+河野尚之(オーケストラカレー)+山口大介(音芸師HOMURA)

⚫︎5月10日(日)毛原田植え体験会

ダルバートダルバート/オケカレHOMUライト


色んな場所で色んな編成で演奏してきた。


舞鶴に移住したタイミングでコロナが流行って

大きく変わった新しい生活にわたしは歌うことを後回しにして暮らした。

世の中が少し落ち着いてきた頃には

当たり前だったことが当たり前じゃなくなって

あると思っていたものがなくなって。

そんな中わたしはまた新しい宝物を産むことになり

自分以外の大切なものを育てるために

結果わたしの中の大事な部分を、自ら置き去りにして数年過ごした。

そうせざるを得ないと言えば聞こえはいいけれど

結局わたしはそれを選んだんだと思う。

その間も何度か歌う機会をもらって

ステージに立った時には、すごく楽しくて幸せだったけど

その時の自分には確信のようなものはなくて

今までやってきたことの延長線で歌っていたと思う。


その頃にも、たくさんの出逢いがあって

声をかけてくれたり、応援してくれたり

気にかけてくれる人たちはいて

そんな温かさの中で、わたしは少しずつショウジョウハイライトを思い出していった。


2025年4月18日

繋げてもらった縁でギターを担いで行った場所で

飛び入りで歌わせてもらった。

大阪にいた頃、バンドでの活動が緩やかになって

ひとりで歌い出した頃みたいに

ステージにあぐらをかいて、自分の中に意識を向けて

ただ歌をうたった。

その時その場所にいた人たちの中に

今のわたしになるためのキーパーソンがいて

その人たちが今もわたしの歌を信じてくれるおかげで

思い出せたことがあったり、新しい自分と会えたり。

歌っている自分に

ショウジョウハイライトに確信がある。


その人たちのお店でスタッフをして、演奏したり

その人たちと一緒に演奏したり

その人たちがわたしを助けてくれたり、大切にしてくれたり。


そうして歌っていたら

置き去りにしていた色んな気持ちや想い

感じたことのない感情がたくさん溢れてきて

最近、新しい曲として生まれてカタチになっている。


それが答えだと思う。


5月後半も4人で演奏したり

オーケストラカレーで演奏したり

6月も

ショウジョウハイライトひとりでうたったり

お店で演奏したり

今のわたしがステージに立ちます。


もし何があれば

予感がしたら逢いにきてください。



しだれ桜の下も

棚田を見下ろす原っぱの上でも

ライトが熱いステージも

ステージがなくても

いつも楽しい。

そこはわたしがわたしでいる場所だから。



わたしは歌をうたう。


そこから何が生まれようとも

そこから何も生まれなくても


わたしは歌をうたうだけ。



いつもありがとう。









昨年10月、名古屋にある大好きなライブバーあらたるとでバンドマンと知り合った。

リトルキヨシの大ファンだという彼は

名古屋在住だが佐渡島に家があること、島にはライブハウスがあることを話してくれた。

そして自身のバンドとリトルキヨシ、ショウジョウハイライトで一緒に佐渡島ライブしましょう!と

かなりの目力で持ちかけてくれた。

名古屋から戻って年が明けるころ

キヨシと相談して上がった日程を彼に投げたところ

メンバーの都合がつかず、佐渡島ライブは未定となった。

その合わせた日が3/20からの3連休。

それならとキヨシに

こっちで一緒にライブしようかと持ちかけたのが、今回のミニツアー「とくべつ」のはじまり。


そこから思いつきと予感を頼りに

お店を決めて、調整をして、準備して

あれやこれやで本番を迎えることになる。


ネットで検索してみると

2017年9月9日に大阪で2マンライブをしたのがリトルキヨシとの最後の共演のよう。

多分その後も大阪に歌いに来たキヨシと会った気はするけど、どちらにせよとんでもなく久しぶりに会うし、ライブを見るのも久しぶりだった。


キヨシはやっぱりキヨシで

リトルキヨシは良いライブするし

わたしはわたしのままだけど

ショウジョウハイライトは、いつも少しずつわたしと共に育っている。

大切な音楽の先輩であり、大切な友人のキヨシが

歌や生き方や諸々を褒めてくれた。

素直に嬉しかったな。

たくさんのアドバイスやヒントももらった。

歌ってて良かったな、ずっと歌っていきたいなと思う2日間でした。


ライブの場を提供してくれた

kitchen sanablend

オーケストラカレー

studio FARM

の店主の方々、スタッフの皆さん。

わたしの歌やわたしを信用して

時間を作って足を運んでくれた皆さん。

大阪から会いに来てくれたみんな。

ライブには来れなかったけど

気にかけてくれたり、応援してくれた皆さん。

studioFARMでリトルキヨシと共演してくださった皆さん

一緒に演奏してくれたり、駆けつけてくれた

オーケストラカレー(楓さん、赤ちゃん含む)

音芸師HOMURA


本当にありがとう。


誰が欠けても何が欠けても

このとくべつな日にはならなかったです。


そして当たり前の顔して

こっちに来てくれたキヨシ

ほんまにありがとう。


ちなみに

リトルキヨシは京都北部の皆さんが好きになったようなので

またすぐに歌いに来ますので

今後ともよろしくお願いします。




ライブから帰れば

シンクには洗い物

日常は当たり前にそこにあるので

余韻に浸るほどの有り余る時間は待ち合わせていませんが

確実にこの2日間を終えて

わたし

ショウジョウハイライトが

新しいスタートを切れたことだけは確かです。




高校生のわたしに伝えたい。

教室のドアのところでぶっきらぼうに

わたしをバンドに誘いに来たキヨシとは

30年後も友達のままで

ふたりとも

好きな歌を大切な人に歌ってるんだよ!って。


だから大丈夫。

これからも想像も出来ない未来は当たり前にやってくるし

幸せだと思える瞬間もたくさんある。



あの時が

今が

はじまり。


















「松本さんっておる?」


そう言って教室の入り口のところに学ランの男子がいた。

私たち10期生から男子がブレザーになったから

学ランを着ているってことは上級生。

なに?なんや?

と思いながら、何の用か尋ねると


「みぃ(生徒会の先輩)から聞いたんやけど

ドラムやっとるんやろ?

うちのバンド、ドラムおらんのやけど一回スタジオ入らんけ?」

なんかちょっとぶっきらぼうにそう言ってきた

ひとつ年上の先輩がキヨシ。


そのあとすぐスタジオに入って

女のドラムなんて!と反対していたナオキからもOKが出て

ボーカルのジュンジさん(高2)

ギターのナオキ(高1)

ギターのキヨシ(高2)

ベースのタック(高2)

にドラムのハルカ(高1)が加わった。


ビジュアル系、ジュディマリ、イエモン

ハイスタ、グリーンデイ、ランシド、ブルーハーツ

色んなコピーバンドがいたけれど

うちのバンドは流行りとは無縁で

レイラ

スターマン

メッセージインアボトル

ホテルカリフォルニア

などがライブの定番曲だった。


でもそういう独自の感じ含めて、誇らしくて好きだったし

なんとなく一目置かれている感じもあって

他のバンドが企画するイベントにも呼ばれて

よくライブをしていた。


ドラム人口が少ないので

多い時には8バンドほどのサポートドラムをしていた。

私は高2の途中で高校をやめたけれど

その後もキヨシとのバンドはメインで続けた。

やがてひとつ上のメンバー達がそれぞれ進路を決めて

バラバラになることが決まった。

大好きなバンドだったからずっと続けたかったけど

それを言っても先には道が無いことくらいは分かっていた。


キヨシは沖縄の大学に行った。

私は21歳になるまでスカイメイトを使って

何度も沖縄に遊びに行った。

その頃キヨシがギターボーカルで組んでいたバンドは、オリジナル曲を作って活動していた。

その時に自主制作したCDは今も持っている。


大学卒業後、東京に出たキヨシ。

高円寺の風呂もトイレもない

押入れの中に足を突っ込んで寝る部屋に住んでいた頃のキヨシはガリガリで、絵に描いたような貧乏ミュージシャンだった。


私は24歳で金沢から大阪に出て

散々回り道したのちに

30歳で初めて曲をつくって

ピンボーカルの予定がなぜかギターボーカルになって3ピースバンドが始まった。

弾けないギターで歌をうたっていた頃には

キヨシはもうすっかり界隈では話題の人だった。

ギターボーカルのキヨシと

ドラムとポエトリーリーディングのゲンキくんがメンバーの

リトルキヨシトミニマム!gnk!は2ピース ベースレスバンドとして横浜を中心に活動していた。

とにかくライブも音源も全部ヤバくて

大きなフェスに出たり、いつも面白いことをしていた。

キヨゲンのCDは今でも聞くし、全曲イントロから歌える。


昨年まで続いていた春一番にもキヨシはバンドやソロで

11年ほど出演していた。

今も

リトルキヨシは色んなところに歌いにいく。

リトルキヨシは全国にたくさんのファンがいる。

出逢う前からずっとギターを弾いていて

私が音楽から離れている間もずーっと歌っている。



大切な友達で

尊敬する先輩だけど

みんながキヨシ君いいね!と言うと

すごく嬉しくて誇らしいけど

なんだかちょっと悔しい。

私にとってのとくべつ。


それがキヨシ。


舞鶴に来てからは会っていないし

最後に会った日もはっきり覚えてない。

しばらくライブも見てないけれど

大丈夫。

私のとくべつは裏切らない。


だから

こっちで初めての企画ライブはリトルキヨシとします。


3月

21(土)夜に、京丹後kitchen sanablend

22(日)昼に、大江オーケストラカレー

この2本はショウジョウハイライトと2マンライブ。

22(日)夜は、福知山studioFARM

最後の夜はリトルキヨシがFARMのイベントに出ます。



あの時の私は想像もしてなかった。

30年後にこんな日がやってくるなんて。

教室のドアから繋がっていたこのとくべつな日。


あなたも一緒に過ごしませんか?