スピルバーグ(ドキュメンタリー2017) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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 スピルバーグ(ドキュメンタリ―/2017)

 

 

スティーヴン・スピルバーグ監督が自身の映画人生を関係者のインタビューを交えながら語るドキュメンタリーです。

『フェイブルマンズ』(2022)をレビューするより、こちらの方が先でしょと思ったので、劇場公開作品ではありませんが、少しだけ触れようと思います。

 

劇中で語られることは、映画ファンならお馴染みのエピソードがつづられていくわけですが、そのエピソードを、スピルバーグ同様に若手映画界の旗手だった、フランシス・コッポラ、ジョージ・ルーカス、マーティン・スコセッシ、ブライアン・デ・パルマなどが語っているのが興味深いです。

 

音楽のジョン・ウィリアムスや編集のマイケル・カーンなどの証言も聞けます。

共同製作で長年相棒の、キャスリーン・ケネディも登場します・

 

リチャード・ドレイファスやトム・ハンクス、ドリュー・バリモアなどの演じ手の証言もスピルバーグ監督のこだわりを語っていて面白い。

 

『シンドラーのリスト』(1993)で主演のシンドラーを演じた、リーアム・ニーソンが、たばこの煙を吐くシーンにまで注文を付けられたとまで語っているように、実に細部にこだわる監督なんだなというのがよくわかります。

 

パラマウント・スタジオに忍び込んで映画作りのノウハウを身につけながら、8mmでホーム・ムーヴィーを皮切りに映画作りに没頭していったことが語られるのですが、付き合わされた妹たちも散々な目に遭っていたんだなと苦笑してしまった。

そのころの映像も観ることができます。

 

『刑事コロンボ』を始めテレビ―シリーズの何本かの監督を任されて、いよいよ日本では劇場公開された『激突』(1971)を任されることになったのだが、この時のスピルバーグの自信のある態度には驚いてしまった。

制作会社は、ラストで怪物のトラックを大爆発させて派手に終わらせたかったらしいのですが、自分の考えを貫き通ました。

それが、あの虚無的な名ラストシーンとなったわけです。

 

 

『続・激突カージャック』を撮ったあと、

いよいよ、当時の興行記録を次々と破った『ジョーズ』(1975)を監督することに。

 

この作品でスピルバーグは、巨大な水槽のセットを頑として拒み、海での撮影を熱望したのだそう。

撮影用に用意されたサメは故障が多くトラブル続きだったため、できるだけサメを写さずにサスペンスを醸造させるかを常に考えていたそうだ。

予算もオーバーしてスケジュールも厳しくなったそうですが、サメが引っ張る樽が水上を走り回る名シーンなどは、そうして生まれたらしいです。

 

でも、わかりますね。

『ジョーズ』がもしもセットのプールで作られていたら、あんなに緊迫した作品にはならなかったでしょう。

 

 

『未知との遭遇』や『1941』にも触れています。

もちろん、『E.T.』や『インディー・ジョーンズシリーズ』も。

 

私は傑作だと思っている『太陽の帝国』(1987)のことを原作者が、「ちょっと感傷的に作りすぎている」の述べているところも面白かったな。

 

私生活では、エイミー・アーヴィングと結婚、離婚と山あり谷ありの人生を送っていた彼ですが、『インディージョーンズ・魔宮の伝説』に出演した、ケイト・キャプショーと結婚したことで、彼の作風に変化が出てきたようです。

 

彼女との出会いが、傑作『シンドラーのリスト』(1993)や『プライベート・ライアン』(1998)を生み出したようにも感じてしまいます。

 

これ以上は書きませんが、

徹底的な娯楽作品も、社会派作品も、感動作も、どれもすべて彼が作りたい作品を作っているのだというのがよくわかるドキュメンタリーでした。

 

そして、彼の口から語られる作品の歴史が、私自身の映画との歴史ともリンクしました。

この歴史は私の歴史。

 

そして、冒頭で語られる『アラビアのロレンス』への想いでわかるように、彼は昔の偉人たちを常にリスペクトしているのが映画ファンとしてとてもうれしくなりました。

スピルバーグは偉大です!

『スピルバーグ!(ドキュメンタリー2017)

146分