今日は風が強かったなあ、
『ラスト・ショー』(1971)みたいだ。
廃館する映画館が物語のテーマを物語っていて物悲しい作品だった。
今の年齢になったから照れずに言えるけど、
青春の挽歌という感じだった。
同じような感情は、
『アメリカン・グラフィティ』(1973)にも感じる。
若さゆえのバカ騒ぎ。
今思えば馬鹿らしいと思うことに一生懸命になっていたあの頃。
若い頃、
アメリカはベトナム戦争の影を引きずり、
日本の若者もなんとなく灰色のイメージだった。
とはいえ、
元気がなかったわけではなく、
鬱積したエネルギーが爆発したら大人たちは手が出せない時代だった。
四畳半フォークが流行し、
藤田敏八監督の『赤ちょうちん』(1974)や『妹』(1974)に熱い声援を送った。
『仁義なき戦い』(1973)に代表された屈折した任侠映画に、
今までそのジャンルに疎かった若者までもが主人公広能に共感し熱狂した。
『エクソシスト』(1973)に触発されたオカルトブームや『ポセイドン・アドベンチャー』などのパニック映画で、
つかみどころのない不安や恐怖が商品化された時代でもあった。
千日前ビル火災やユリ・ゲラーのスプーン曲げなどの似非超能力がその商品価値を増幅させた。
政治の世界では強烈なカリスマ性を持った田中角栄が総理大臣になり、
ジャパニーズ・ドリームに踊らされた日本国が高度経済成長後の安定成長期に入る。
GDPも世界第2位だった。
が、
そのカリスマ性をもった総理大臣も、
「金」という最も俗なものに塗られたメッキであることが大衆に知られることになり、
角栄が唱えた夢の世界が蜃気楼のように消えてしまった。
オイルショックもあり、
未来が不透明な時代だった。
アメリカでは、
『イージー・ライダー』(1969)で口火を切ったアメリカン・ニューシネマが若者の声を代弁。
アンチヒーロー、アンハッピーエンド。
いろんな主人公が無慈悲に死んでいった。
『ソルジャー・ブルー』(1970)では、
アメリカの正義であった西部開拓を全否定してしまった。
が、
その流行であった気怠い感覚の幕切れは突然訪れた。、
『タクシー・ドライバー』(1976)でロバート・デ・ニーロが最後の一撃を放ったのだ。
ベトナム戦争帰りの不眠症のタクシードライバーが、
ニューヨークに巣くった膿を自ら思う正義の元にぶち壊す。
破滅型の青春はこれで終わったのではないか。
アンチヒーローがアンチヒーローを葬ったのだ。
そしてアメリカ映画は、
『ロッキー』(1976)がアカデミー賞を受賞して、
暗く沈んだ青春から、
「為せば成る」の希望を持った青春を描く方向へとだんだんと変わっていった。
ハッピーエンドが戻ってきた。
そして、
古き良き時代を思い出すような『グリース』(1978)などの作品や、
無邪気なおとぎ話である『スター・ウォーズ』などがヒットしていくことになる。
なんとなく思いついたまま綴ってみました。
いわば私の、
『Movie graffiti』。
時系列は適当ですので、
あまり真剣に追わないでくださいね。
あくまでも私の“落書き”ですから・・・
続く・・・