もう何回観たかわからない。
ゴードン・ウィリスによる陰影を活かした撮影、
ニーノ・ロータの音楽、
緩急をつけながらサスペンスを盛り上げていくフランシス・コッポラの演出、
マーロン・ブランドの存在感、
アル・パチーノを筆頭にした(当時)若手俳優の名演など、
アメリカ映画史上に残る傑作という評価は疑いの余地はないし、
私もそう思います。
料金所での長男ソニー(ジェームス・カーン)の虐殺シーン。
息絶えたソニーの頭に蹴りをかます残酷描写も凄まじいし、
ドン・ビト―・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の臨終シーンは悲哀に満ちる。
クリスマスのドンへの攻撃に慌てふためいて銃も手につかないフレドー(ジョン・カザール)、
夫を殺されて半狂乱になるコニー(タリア・シャイア)、
怒りに震えながらも冷静にソロッツオと悪徳警官を射殺するマイケル(アル・パチーノ)等、
キャラ立ちが非常に優れている。
敵対する5大ファミリーや悪徳警官(スターリング・ヘイドン)の描き方にも手抜きがない。
平和協定を結んだあとの何とも言えない不穏感。
洗礼式の日の5大ファミリーのドンを粛清してしまう場面は、
様式美とも呼びたいくらいの名場面で文句なし。
と、文句のつけようもない作品なのだが、
ずっと気になっている場面がある。
今回、Amazon Primeで再見してやっぱり気になった。
それは、
ソロッツオを殺した後にマイケルが身を隠した父の故郷シチリアの土地で、
村娘アポロニアと恋に落ちるシーン。
有名な愛のテーマがバックに流れる有名なシーンなのだが、
私にはこのシーンがいつも唐突に思えて仕方ない。
いくら美しい娘でも、
そんなに簡単に結婚を考えるくらいの恋に落ちる?
ニューヨークに置いてきた恋人ケイ(ダイアン・キートン)との後のすれ違いを暗示するための大切なシーンなのかもしれないが、
やっぱり唐突だ。
このシーンだけコッポラの演出がちぐはぐに感じる。
コッポラは、ラブシーンの演出は下手なんじゃないだろうかと感じてしまうくらいだ。
その点、
『PARTⅡ』はラブシーンを極力排除して、
本作以上の傑作になったんだと思う。
うん、やっぱりコッポラはラブシーンが下手だ。