知らなかった・・・マイケル・チミノ監督死去 | あの時の映画日記~黄昏映画館

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ディア・ハンター』(1978)や『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)の監督で、

『ディア~』では、アカデミー監督賞を受賞したマイケル・チミノ監督が2016年亡くなっていたそうです。

 

8月公開のイザベル・ユペール主演の『エル』について調べていたところ、彼女の出演した『天国の門』(1980)の記事を見つけて、

同作品を監督したチミノ氏が亡くなっていたことを知りました。

 

脚本家上がりの監督さんで、

彼が脚本を書いた、

3人の悪徳白バイ警官とハリーが対決する、

『ダーティーハリー2』(1973)は前作に劣らず抜群の面白さでした。

 

特撮でおなじみのダグラス・トランブルが監督した異色SF,

サイレント・ランニング』(1971)も面白く、

意外な才能があるなと思ったりしました。

 

1974年に、

これもクリント・イーストウッド主演で、

一風変わった銀行強盗映画『サンダーボルト』(1974)で監督デビューしました。

 

そして1978年。

ベトナム戦争が若者に与えた深い傷を丹念に描いた、

『ディア・ハンター』を監督。

この作品は個人的にも思い入れが強く、

観終わった後、

席を立てないくらいの衝撃を受けたのを覚えています。

 

実力を持った巨匠としての地位を確立したチミノ氏だったが、

次作『天国の門』(1980)で、

その名声は地に落ちることになる。

 

予算を大幅にオーバーし、

興行成績も散々。

アメリカ史の汚点ともいえる『ジョンソン群戦争』をテーマに描いたことで、批評家からの評価も散々。

配給会社のユナイトが倒産する事態まで招いてしまいました。

 

失敗作ほど作家の個性がよく出るもので、

この作品でも『ディア・ハンター』と同様に、

延々とパーティーシーンが続いていました。

 

抜群だったのは、

名手ビルモス・ジグモンドを迎えてのカメラで、

ワンシーンワンシーンがまるで一枚の絵画のように美しかったのを覚えています。

 

以後、

チミノ氏は思うように映画を撮れなくなってしまいました。

 

5年のブランクを経て、

1985年に公開された準娯楽作、

イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』でメジャーに返り咲いたように思えましたが、その後の彼の作品は観ていません。

 

脚本家上がりの監督は、

一つ一つのセリフやシーンを大事にしすぎて、

なかなかハサミをいれることができないらしい。

チミノ氏も作品を大事にしすぎた。

 

でも、

アメリカ映画史に名前が残る名監督でした。

少なくとも僕はそう思います。

 

追悼記事として、

『ディア・ハンター』のリブログを・・・